今日はKさんseriesで、蒸機現役時代 夏の北海道で今はなき、渚滑線の北見滝ノ上駅です。 代理投稿by D51338
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Kです。前回の幌内線から、一気にオホーツク海沿岸にぶっ飛んで、名寄本線(1989(平成元)年廃線)の渚滑駅と、同駅で分岐して内陸の北見滝ノ上駅との間を結んでいた渚滑線の様子をお届けします。
渚滑線は、1975(昭和50)年4月2日に撮影したラッセル列車の写真を以前掲載しました Kさん撮影: 蒸機現役時代 渚滑線ラッセル&最後の蒸機列車? 1975.4.2
が、その前年の昭和49年夏の撮影行の途中にも訪ねておりました。ちなみに昭和49年夏の北海道の蒸機の状況ですが、函館本線の山線を含め道南はほぼ全滅。釧路のC58が夏を目前にして意外と早く淘汰されるなど、室蘭、宗谷、石北など一部の本線を除くと、盲腸線を含むローカル線で一日1~2往復の貨物列車を牽くキューロクを追わないとなかなか撮るものがない、という状況になっておりました。
① 渚滑駅 渚滑線の乗換え駅の名寄本線渚滑駅(だと思います)で、朝の名寄方面行貨物列車の発車を撮影。かなり長い貨車を連ねた列車の先頭は名寄区の39628。このカマは渚滑線の終点だった北見滝ノ上の滝上町郷土館の屋内で静態保存されてるようです。② 渚滑線 濁川-北見滝ノ上 当時の渚滑線はキューロクの牽く貨物列車が一日一往復走っていました。撮影名所と言えば終点北見滝ノ上駅手前の渚滑川の鉄橋を見下ろす高台、ということでその場所で列車を待ちます。
当時のSL時刻表によると、朝10:30過ぎに北見滝ノ上に到着するダイヤでした。
③ 少しは見えていた白い煙が、鉄橋の上に差し掛かる頃には消えてしまいました。写真を見ると貨車には空車も多く、力持ちのキューロクには軽すぎたのでしょう。
④ 渚滑川の鉄橋を渡ると少しの間支流に沿って走ります。
反対側の山の斜面は現在「芝ざくら滝上公園」として整備され、例年5月に一面に咲く芝桜が見頃を迎え、多くの観光客を迎えています。
⑤ ここまで来ると駅の構内はもう目の前。
⑥ 北見滝ノ上駅 終着駅北見滝ノ上の駅構内に行ってみると、キューロクは既に向きを変えていました。カマは名寄区の39634。1919(大正8)年の新製から引退まで、北海道から出たことがないカマのようです。
⑦ もっと引いた画面で見ると、機関車の左側の高床式?の建物はチップ(木材を細かく切削破砕したもの)工場の積出設備、無蓋車を金網で覆っているのはチップ専用の貨車だとわかります。ここ北見滝ノ上は木材の産地で、渚滑線の貨物も木材チップが主な積荷でした。
⑧ 北見滝ノ上の駅名票と、渚滑に向けての進行方向の風景です。
線路の両側に材木置き場がありますね。駅舎の写真は撮り損ねましたが、現在も「北見滝ノ上駅舎記念館」として保存され、夏季の間一般公開されているようです。
⑨ 渚滑駅 北見滝ノ上の返しの貨物列車の発車は13時過ぎになるので、それは待たずに渚滑に戻りました。といっても昼前後に列車はなかったようなので、バスで戻ったと思います。この写真も渚滑駅での撮影だと思いますが、名寄本線の貨物列車を牽く遠軽区の4 96 66。このように”96”の前後に隙間のあるナンバープレートのキューロクも何両かいました。
⑩ 湧網線 芭露-計呂地 渚滑線の後は、渚滑駅から名寄本線のキハで30分ほどの中湧別駅と、網走駅とを結んでいた湧網線に行ってみました。
写真を見た感じ雨模様の景色なので別の日の撮影かもしれませんが、サロマ湖のほとりを走っていた9600牽引貨物列車です。キューロクのナンバープレートの数字に隙間があるので、例の4 96 66かと思ったら、、
⑪ よく見たらこちらは、6 96 44でした。同じ遠軽区で似たような数字の並びで、ややこしいですね(笑)。4 96 66も6 96 44も煙室扉などのトラ塗りはありますが、シールドビーム副灯のないスッキリした姿でした。
この6 96 44の方は、渚滑線が分岐していた名寄本線渚滑駅跡(紋別市)に保存されているようです。一度逢いに行かなくては!
終着駅シリーズはこれで早くもネタ切れです。
そこで分岐駅シリーズに模様替えして、次回はオホーツク海をずっと北上した天北線の浜頓別駅と、天北線が分岐していた宗谷本線の音威子府駅です。引続きお付き合いくださいませ。