こちらも復旧目途立たず。くま川鉄道 | 人吉鉄映会

人吉鉄映会

熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

人吉鉄映会です。

 

今回の令和2年豪雨災害で尊い命を落とされた方に心よりご冥福申し上げます。

そして被災された方にお見舞い申し上げます。

またボランティアとして復興の手助けをされていらっしゃる方にも心から感謝申し上げます。

 

熊本、人吉地区には本日も線状降水帯らしきものが出来て、かなりの土砂降りの時間帯がありました。今のところ球磨川は満水の状態に近いですが氾濫までは至る状況ではない状況です。

昨日1,200名ものボランティアの方が一生懸命に汗を流され復興のお手伝いをされましたが、本日はこの雨の影響でボランティア受け入れが中止となり、長引く梅雨の影響が復興の足かせになっていて苦々しい思いです。

 

前回この豪雨での鉄道被害として肥薩線川線(八代-人吉)被害状況とありし日の鉄道風景をお送りしましたが、今回は人吉・球磨ももう一つの重大な路線、第3セクターのくま川鉄道の被害についてお伝えします。

 

くま川鉄道は国鉄時代は湯前線として人吉-湯前間を学生を中心としての沿線の足として活躍したほか、地元の優良な木材を運搬する路線でもあり、地元と密着していた路線でした。

キハ17-42 木上(きのえ)-免田 1973年1月

 

貨車を牽引する58654号(現SL人吉)

川村-東人吉(現相良藩願成寺) 1974年10月

 

通学の学生で賑わう免田駅(現あさぎり駅)

1981年7月

 

田植え前のレンゲ畑を走るキハ40系

川村-免田(現あさぎり) 1987年4月

 

牛が見つめるのどかな風景で九州山地をバックに走るキハ40系

東免田-多良木 1989年1月

 

国鉄湯前線はJR発足で第3セクタ-くま川鉄道として新たなスタートを切ります

くま川鉄道オリジナル車両KT-100・200試運転

人吉付近 1989年8月14日

 

くま川鉄道発足で賑わう人吉駅前

1989年10月1日

 

人吉温泉駅では盛大に発車式が行われた

1989年10月1日

 

ご覧いただいたように、国鉄湯前線、そして第3セクターくま川鉄道となっても地元に愛され、またのどかな田園風景や球磨川・川辺川と通過する「観光列車」としても人気の列車でした。

 

 

水没した田園シンフォニー(くま鉄Twitterより)

 

流出した線路(くま鉄Twitterより)

 

そして肥薩線の球磨川第一、第二橋梁に続いて・・・

流出した球磨川第四橋梁(くま鉄Twitterより)

 

鉄橋をなぎ倒すほどの濁流、想像以上の被害です。

球磨川第四橋梁は球磨川と川辺川の合流点付近にあり、風光明媚なポイントでした。

 

球磨川第四橋梁 58654号 1974年11月

 

球磨川第四橋梁 キハ40系 1989年8月

 

第3セクターとして億単位の復旧費を捻出しないといけないくま鉄ですが、多少なりとも支援の方法がありますのでご紹介します。

 

くま川鉄道HPより

寄付の方法は現金書留と銀行振り込みの方法があります。くま鉄の応援コメントを添えたいので現金書留を選びたいですが、現在人吉はキーとなる人吉郵便局が浸水で機能停止となり配達自体が滞っている状態です。いち早くという方は銀行振り込みを、思いを伝えたいので少し遅れてでも、と言われる方は現金書留でという選択をされてはいかがでしょうか?

(余談ですが当会は思いがありすぎましたのでそれを伝えるためにあえて現金書留を使いました)

 

 

鉄道ファンにとってはこれが一番の支援になるのではなるのではないでしょうか。

今後販路を拡大するようなので、これでも支援したいですね。

 

前回の肥薩線、今回のくま川鉄道とまた元のような風景が戻るのでしょうか、いや是非とも戻ってほしいですね。地域の復興に鉄道は欠かせないと思います。まずは国道を復旧するようですので、長い目で待っていきましょう。豊肥線も4年かかりました。立野の大スイッチバックをあそボーイが駆け抜けます。それと同じようにまた球磨川第一橋梁にSL人吉を見られることを期待して

頑張ろう!人吉・球磨!!   甦れ くま川鉄道!!!

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

 

まだコロナ蔓延中です。お体ご自愛ください