復旧目途たたず。水害に見舞まわれた肥薩線 | 人吉鉄映会

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熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

人吉鉄映会です。

 

令和2年豪雨災害で尊い命を落とされた方に心からご冥福を祈ります。また被災された方にお見舞い申し上げますと共に、ボランティアで復旧のお手伝いをされていらっしゃる方に心から感謝申し上げます。

 

この度の豪雨は特に九州地方にとっては過去にでもなかったような大災害になってしまいました。

(青井阿蘇神社の資料や球磨川の災害対応タイムラインを作成された大学教授の話からは球磨川系過去最悪の災害だと推定されています)

地元の方はもとより、多くのボランティアの方が汗を流され懸命な復旧活動を行われていますが、被災流域が広大だったことと、2m以上の浸水の箇所が多かったこともあり、まだまだ先が見えていない復旧状況であります。

 

被害を受けたのは住宅、観光施設はもちろんのこと、鉄道にも大きな被害を与えたことは皆さんも周知のことでしょう。

 

肥薩線の被害はJR九州の最新の発表で450か所であることが判明しました。

特に甚大な被害だったのは明治時代の遺産であり、絶好の撮影ポイントであった球磨川第一橋梁、第二橋梁の流出ではないでしょうか

(以降被害状況写真は道路状況など個人の取材が困難なため、JR九州の被害発表の写真を使用しています)

流出した第一橋梁 JR九州発表資料より

 

同第2橋梁 JR九州発表資料より

 

7月4日の昼頃、正に人吉・球磨が水没していく最中、関係者から「どうも肥薩線の橋梁が流されたらしい」という一報が入りました。まさかとは思いつつも、しかし4日はそれどころの状況でもなく、「流されたのは鉄道橋でなく国道橋ではないか」などの情報も錯綜し、魔の1日が過ぎました。

その翌日、報道のヘリからの映像で変わり果てたふるさと、多くの命が失われ孤立した「千寿園」、それと濁流に横たわった赤い鉄骨の映像がこの大災害の凄まじさを映し出し、涙が止まりませんでした。

 

球磨川第一橋梁を走るC57 1972年5月6日

 

球磨川第二橋梁 2009年4月16日 SL人吉

 

球磨川第二橋梁 1964年9月6日

 

明治時代の遺産の橋梁ということはそれ以来作り替えていないということです。つまり構築されてからの水害、熊本地震、なにより先の大戦にも影響を受けず、人吉・球磨と熊本・八代方面との人・物資を繋ぐ鉄路であり、車社会となった今ではSL人吉ややませみかわせみなどの観光客の足で、撮り鉄ファンにとっては「聖地」とも言われるポイントでもありました。

 

それ以外のところでも大きな被害が出ています。どんなに素晴らしいところだったか、在りし日の懐かしい写真もご合わせてご覧いただきます。

 

段-坂本間 路盤流出

段-坂本 JR九州発表資料より

 

 

段-坂本を走るハチロク 1960年5月19日

 

葉木-鎌瀬 路盤流出

葉木-鎌瀬 JR九州発表資料より

 

 

葉木-鎌瀬 2020年3月 SL人吉

 

瀬戸石駅消滅

駅舎が流出し消滅した瀬戸石駅 JR九州発表

 

在りし日の瀬戸石駅 2000年2月6日

瀬戸石駅は昭和40年7月の水害でも駅舎が流出。翌年に鉄筋で再建されるも昭和57年の水害で再度倒壊するなど、駅舎は過去にも水害で被害をうけましたが、今回は駅舎・ホームとも跡形もなく流されていました。

 

 

球泉洞-一勝地 土砂崩落

線路に土砂が被さった線路 球泉洞-一勝地 JR九州発表資料より

 

球泉洞(当時は大坂間)-一勝地間を走るC57132 

1966年4月16日

 

山と球磨川に挟まれた球泉洞(当時は大坂間)-一勝地間をSLが走る

1969年10月27日

球泉洞は国道219号線沿いにある球磨村の鍾乳洞です。洞内には土砂流入はなかったようですが、そこに繋がる通路に大量の木などが流れ込み、この観光施設も大きな被害を受けています。

 

渡地区小川橋周辺 築堤崩壊

築堤が崩壊した小川橋周辺 JR九州資料より

 

 

矢岳駅静態保存から観光用に再登板した58654号単機試運転

小川橋 1988年7月27日

 

渡駅 路盤流出

路盤流出した渡駅 JR九州資料より

 

 

渡駅を出る58654(あそボーイ)1997年5月10日

 

渡駅に向かうサウンドエクスプレスひのくに

 

渡駅は国道219線沿いに駅舎や西人吉間の線路が面しているため、ここもSL人吉の撮影ポイントでした。渡駅で停車していたSLが蒸気・煙MAXで発進する姿を撮ろうと多くのファンが詰めかけていました。

 

実はこの地域の浸水被害がひどく、多くの方がお亡くなりになった「千寿園」取材の各局のTVクルーもこの付近で足止めされされていました。

 

肥薩線は球磨川沿いの「川線」と矢岳越えの「山線」と全く違う風景を見せてくれました。特に川線はSL人吉の運行路線ということもあり、全国的にも人気の路線でした。その路線も球磨川の氾濫によりほとんどの鉄路・橋梁・駅舎が壊滅的な被害を受け、本当にここにまた鉄路が出来るのか自体、私自身も信じきれない状況です。

いまはまず地域の復興優先になりますが、それと同時に鉄道の動向も注視していきたいと思いますし、何か皆さんに発信すべきことはお伝えしていこうと思います。

 

次回はこちらも大きな被害を受けたくま川鉄道に関してお送りしたいと思います。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

 

コロナもまた全国的に拡大傾向です。皆様お体ご自愛下さい

 

頑張ろう!人吉球磨!! 甦れ肥薩線!!!