Go To travel じゃなくてGo To trouble キャンペーンの様相を呈してきましたね(・・;)
さて、今日はKさん撮影seriesの日。蒸機現役時代 夏の北海道ネタ、中2日ペースで全15回予定とのこと。こりゃあ、8月一杯はネタに困りませんね(^^♪ 代理投稿 by D51338
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Kです。今日から昭和47-49年の夏休み、K少年が釧路の母の実家への帰省を兼ねて(or 帰省を良い口実にして)毎年撮影に行った、北海道の国鉄蒸気機関車シリーズに入ります。
昭和49年当時、幌内炭鉱の石炭産出は盛んに行われていて、早朝から日没後まで最大で1日9往復の石炭列車のスジが設けられていた幌内支線の終点、幌内駅から始めようかと思ってましたが、何と、昨年6月に三笠鉄道村に動態保存蒸機S-304号の走行風景を撮影に訪ねたとき、昔の写真を含めて記事を掲載しておりました。
Kさん撮影:三笠鉄道村(旧幌内駅)S-304 その1 2019.6.22
① 幌内駅 幌内駅で撮影した未公開の写真が1枚だけありましたので、最初に載せます。1974年8月撮影。機関車は岩見沢第一区の69699。
豊肥本線の立野のスイッチバックをよじ登っていたカマが、現役蒸機末期の広域配転で北に転じ、こんどは満載の石炭列車を牽引する重労働についていました。雑誌で当時のカラー写真を見ると、ナンバープレートは緑色でした。
② 幾春別駅 という次第で、①と同じ日に撮影した幌内線の本線の方の終点、幾春別(いくしゅんべつ)駅の方の様子をメインにご覧に入れます。
幌内支線のキューロクの撮影の合間にキハに乗って訪れた終着駅には、やはり岩見沢第一区のD51234(いい番号ですね!)がワフ、トラ、ワムと僅か3両の貨車を従えてスタンバイしていました。
③ 広い構内は、活気に満ちた幌内駅とは違って、何とも言えない寂寞感が漂っています。
④ さらにレンズを引くと駅舎と私が乗ってきたキハが見えますが、それ以外はほぼ空き地です。
⑤ 少し角度を変えると、腕木式信号機とキハ2両とD51、その間にワムが一両置かれている構内の様子がわかります。キハ2両の左側は北海道ではおなじみのキハ22、右側はバス窓のキハ21です。キハ21はキハ20系列の寒地向け形式ですが、車端に乗降デッキがないタイプでは北海道の冬には厳しいということで、キハ22が道内ローカル線輸送の主力となりました。
⑥ これまでの写真にも写っているトラス橋の跨線橋に登り、駅構内を見下ろしてみました。ホームの反対側にはさらに空き地が広がり、転車台に向かう線路を残して他は線路すら撤去されているようです。それもそのはず、幾春別で操業していた奔別(ホンベツ)炭鉱は1971(昭和46)に操業を停止。私が訪れた昭和49年の輸送需要から見ると幌内支線が実質本線で、こちら幾春別は鉄道としての役目は既に終えていたと言っても過言ではないでしょう。
⑦ 跨線橋の上から、こんどはD51くんを手前に駅舎側を撮ってみました。
左側の空き地には線路を撤去した跡がありますね。奥に見える山は白っぽく写っているので、炭鉱の産出物のカスを積み上げたズリ山かもしれません。
⑧ 三笠駅 このあたりで三笠駅に戻ります。といっても三笠駅の過去ネタも幌内からの石炭列車の姿も含めて1年前の別記事にかなり載せてます
Kさん撮影:三笠鉄道村(旧三笠駅)2019.6.22/蒸機現役時代 1973.8, 1974.8
ので、そのときに掲載していない写真から選びました。この写真は1973(昭和48)年8月訪問時の撮影、1年前の記事の写真②の次のコマです。
幌内からの石炭列車を牽いてきた59609を、幾春別方面の本線のホームから撮っています。三笠からの石炭列車は一旦岩見沢方に行き過ぎてから、後退して三笠駅構内に進入する形となっていました。
⑨ ここからは昭和49年8月撮影の69699、1年前の記事の写真⑨⑩でも紹介した手押し式転車台での写真です。おそらく給水塔の位置から後退してきた機関車が、転車台の上に収まって停止するところだと思います。
⑩ 手押しで転車台を回しているところ。4人ががりです。重たいはずのキューロクですが、一旦勢いがつくと押す人も少し余裕ができるようです。
⑪ 三笠駅の転車台は180度向きを変えるのではなく、120度くらい回して斜めに別の線路へと前向きで出ていく珍しい構造をしていました。
回転するときは必ずこの動きなので、職員さんが転車台を元の位置へと押し戻しています。
⑫ 転車台から出てきた69699は、三笠駅の幾春別寄りの側線へと一旦抜け出し、ポイントを切り替えて駅ホームのある所へと戻っていきます。
⑬ 三笠駅のホームと跨線橋の横で。幌内線が1987(昭和62)年に廃止された後も、三笠鉄道村三笠ゾーン(クロフォード公園)としてキハ82系特急気動車やDD51形DLなどとともに駅ホームと跨線橋は保存されていますが、この画面の右側の方に広い駐車場スペースを作ったため、跨線橋やホームはこの写真の私の立ち位置のあたりに移設されているようです。
そういえば後ろに写っている車2台の形、いかにも昭和ですねぇ。もっともその前にいる機関車は大正生まれですが(笑)。
次回も終着駅シリーズ、オホーツク海沿岸から内陸へと走っていた、渚滑線の北見滝ノ上駅です。