今日から「SLもおか」と「SL銀河」が運行開始でしたね。無事、運行されたことと思います。
みなさん、いらっしゃいましたか。このところの感染者増で遠征を自粛された方もいるかも
しれませんね。私は2日に真岡の試運転に行きましたので違う意味での自粛でした^^;
さて、今日はKさんseriesで、蒸機現役時代ネタとのことです。 代理投稿by D51338
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Kです。今日から掘り鉄生活に戻ります。私は神奈川県民なのでGo To対象ではあるのですが、夏休みは線路際より山の上や避暑地の方が好きなもので、鉄ネタの補給はしばらく無さそうです。。
さて夏休みと言えば、国鉄で蒸気機関車が走っていた頃の1972-74(昭和47-49)年の夏休み、K少年は毎年釧路の母の実家への帰省を兼ねて、北海道の線路端をウロウロしておりました。
この夏、そのときの北海道の撮影記録を掘り出してご覧に入れる予定ですが、その前に初回だけ、会津地方の日中線(喜多方-熱塩。1984年に廃止)の記録をお届けします。
北海道の写真、さすがに3年分全ては紹介しきれないので、テーマを設定し 1)終着駅 2)分岐駅 3)レアもの機種 4)旅客列車 5)重連
の順でご覧に入れようと思っています。
それで最初は終着駅なのですが、北海道で蒸気機関車がいるローカル線の終着駅にそんなに多く行っているわけではなくハナからネタ不足なので、「ザ・終着駅」であった熱塩駅に初回登場してもらおう、という訳です。
① 喜多方駅 1974(昭和49)年6月29日早朝、土曜日は学校があったはずなのですが、当時中2のK少年は何故かこの駅におりました。
会津地域(只見線、会津線、日中線)の訪問は昭和48年11月初め、49年4月末に続いて3回目です。2番線にはC1180牽引の日中線始発列車がスタンバイ。
昭和49年当時、本州でSL列車に乗れるのはここ日中線と山陰地区だけだったはずで、早朝6時頃の駅ホームには旅人らしい若者の姿も見られます。
左側の3番線は駅舎側だと思うのですが、当時は今と数字のつけ方が逆だったのでしょうか。
② 駅の跨線橋から、煙を上げるC1180の姿です。
左3番線には磐越西線の貨物列車が入線しています。
C1180は津山機関区のエースだったカマで、1962年に津山線でお召し列車を牽引。1971年の津山線無煙化後しばらくして会津若松区に移籍、当地では1973年春から蒸機列車廃止の74年11月まで活躍。その後故郷津山に戻り、現在は津山駅前によく整備された姿で保存されています。
③ 熱塩駅 列車に乗車し熱塩駅に到着後、先端の機回し線へと急ぎ、入換で動くC1180を狙います。
④ 車止めを入れて。6月も終わりになると、夏草がかなり伸びています。
⑤ 一旦車止めのそばまで引き上げてから、機回し線へと入るところ。
ポイントの操作は、列車に同乗していた運転係員が行っていました。この頃日中線各駅の貨物扱は廃止されていて、熱塩駅も既に無人化されていました。
⑥ C1180は機回し線を通り、オハ61形客車2両の横へ。
駅のホームや線路上には、鉄ちゃんというよりはディスカバー・ジャパンの旅人といった感じの旅行客の姿がかなり見られます。
⑦ 機関車の連結直前。何故かこれ1枚だけカラー写真です。
足元の白い点はシロツメクサの花でしょうか。
係員さん、赤い腕章をつけて赤い旗を持ち、よく見るとタブレットの輪っかを肩からタスキがけのようにして持ち歩いています。
⑧ 逆向きに機関車を連結し、喜多方に向けた上り列車の準備完了。
係員さん、こんどはタブレットを手に持っています。
右側の三角屋根の建物は、現在も記念館として残る熱塩駅の駅舎です。
⑨ 再び車止めのところに行き、過ぎ去る列車を見送ります。
列車が駅の構内を外れたころ、おそらく近所のおばあさんが、駅ホームの端から線路を横切っていきました。
日中線/熱塩駅は同じ昭和49年の4月末にも訪ねていて、そのときの記録は当ブログに掲載済ですので、よろしければご覧ください。 https://ameblo.jp/d51338/entry-12515869175.html
6月29日はこの後只見線に転戦し、只見までC11の貨物列車を追っかけているのですが、その模様は只見線が全線復旧して再びC11が走るようになる頃改めてご紹介したいと思います。
次回は終着駅の2つ目、幌内線幌内駅と石炭列車を牽くキューロクの予定です。