高麗川と書いて「こまがわ」と読む川越線と八高線のジャンクション駅に
やって来ましたのコトですよ!
かつては八高線も川越線も非電化で、
キハ30や35、38が行ったり来たりしていた高麗川駅。
川越線が全線電化され、
その後八高線の八王子駅から当駅までが電化。
気が付けば八高線と川越線が直通運転、
八高線全線通しの運転はなくなってしまいました。
というわけで、高麗川駅の駅舎です。
八高線と、八高・川越線の乗り換え客がけっこういそうなものですが、
意外に小さい駅舎です。
これで一日平均4500人以上の乗車人員を捌いているんだから、
高麗川駅のオペレーション能力、意外に高い。
この駅舎って、開業当時からあるんでしょうかねぇ。
建物財産標が見当たらなかったのでわからなかったものでして。
写真は国鉄末期のころの高麗川駅です。
基本的な構造は同じですね。ザ・国鉄の地方駅って感じです。
現在の駅舎、かなりリフォーム入ってるんですね。
駅前に整備されたロータリー、中央には謎の金属オブジェ。
wiki先生に聞いたところ「日韓交流の塔」というらしい。
大和時代に百済系帰化人が多く住んだことから、高麗郡が置かれたとかで、
そもそも現在の駅所在地である日高市は、
高麗村(半島系)・高麗川村(半島系)が合併した日高町に
高萩村(大和系)が合併してできた日高町を全身にしているので、
朝鮮半島系のものが多いのもなるほどなコトなんですよね。
というわけで、高麗川駅の駅舎に入ります。
古い木造駅舎といえば、壁ベンチ。
高麗川駅のある日高市の名所、巾着田に咲くヒガンバナの飾りが
壁にはられていましたよ。
高麗川駅は、みどりの窓口のある直営駅です。
Suica読み取り機は簡易読み取り機ですけどね!
改札口上のLED発車標が、八高線の電車区間であることを思い出させますね。
改札を入った1番ホームには乗換案内もありました。
この先に地下連絡道がありますので。
主に川越線直通川越方面は駅舎方の1番線、
川越線からの直通八王子方面は、向かいの3番線、
八高線高崎方面は、その間の2番線から発車することが多いようです。
高麗川駅は、国鉄時代以来現在のJR東日本に引き継がれた
支社の境界の駅でもあります。
乗務員が交代することも多かったんでしょうね。
(そもそも高麗川折り返しのキハや、貨物列車もあったので)
ホームの電柱に謎の注意喚起がありましたよ。
1番線の八王子方・・・ですから今では車掌向けですね。
「身なりは正しく」
だそうです。
JR東の車掌さんはヤンキーかなんかなんですかね?
こちらは3番線の先頭の電柱です。
「進路確認」
だそうです。
東京の大学に進学するか、地元の大学にするか、就職するか・・・
と学生を惑わし、
JRの運転士を続けるべきか、運行司令を目指すか、
いっそ都内大手私鉄に転職するか、と運転士を惑わす
謎指令です。
いかにも昭和にはやったと思われる、コンクリ壁の地下道です。
駅舎のある1番線から2・3番線への乗り換えは、この地下通路を
通ります。
で、出たところがこちら。
2番線は高崎方面、3番線は八王子方面。
寄居・児玉方面から飯能、八王子方面への乗り換えは
同一ホームで接続がとられることが多く、楽なんです。
八王子方面から寄居、児玉方面へは階段を使ってお乗換えですが!
と、地下通路が狭いとか湿っぽいとかご意見があったせいか、
お客さんの利便性向上か、バリアフリーが何たらのためか、
エレベーター付きの跨線橋ができてました。
改めて1番線と駅舎です。
このホームの造り、土留めのコンクリ板と支柱。
年代モノですね。
さらに北寄りに行くと、
右側の開いた空間は、貨物側線の跡です。
それも2~3本はあったようですね。
3番線の外側にも側線が敷かれています。
中央総武各駅停車から引っ越してきたE231系がお昼寝していました。
3番線の北の方を見ると、一大側線群が残っています。
架線が張られているのは手前の2線なので、
貨物運輸の名残か、キハ110系サンのねぐらか。
その向こうの白い建物は乗務員休憩所です。
その先で川越線と八高線が分岐、さらにその先で
太平洋セメント専用の引き込み線があったのですが、
鉄道からトラック輸送へと変わり、
貨物線跡は現在は遊歩道として整備されています
高麗川駅の駅名標は八高線でよく見られるコンパクトサイズ。
国鉄のころは黒板あり、細ゴシックの吊り下げありと
なかなかにバラエティに富んだ駅名標があったようですが、
サイタマーニャとしては、この国鉄形自立式駅名標が
気になっちゃうんですよね!
もちろん現存はしませんが・・・「玉」の字が変だったのよね!
ほら、点、点! 点の場所!
最後になりますが、現在の高麗川駅木造駅舎が見られるのは
あと数年もないかもしれません。
日高市の中心部が駅舎とは反対側の東側に広がり、
なおかつ高麗川駅近くに東西を結ぶ通路がありません。
そこで、橋上駅舎に生まれ変わることで、
日高市とJR東日本が合意したというコトです。
もしかしたら、来年には着工されるかもしれません。
高麗川駅木造駅舎、もうカウントダウンかも!
八高線の開通当時からの駅舎は、
高麗川駅、毛呂駅、群馬藤岡駅だけとなりました。
ご訪問はお早めに!
やって来ましたのコトですよ!
かつては八高線も川越線も非電化で、
キハ30や35、38が行ったり来たりしていた高麗川駅。
川越線が全線電化され、
その後八高線の八王子駅から当駅までが電化。
気が付けば八高線と川越線が直通運転、
八高線全線通しの運転はなくなってしまいました。
というわけで、高麗川駅の駅舎です。
八高線と、八高・川越線の乗り換え客がけっこういそうなものですが、
意外に小さい駅舎です。
これで一日平均4500人以上の乗車人員を捌いているんだから、
高麗川駅のオペレーション能力、意外に高い。
この駅舎って、開業当時からあるんでしょうかねぇ。
建物財産標が見当たらなかったのでわからなかったものでして。
写真は国鉄末期のころの高麗川駅です。
基本的な構造は同じですね。ザ・国鉄の地方駅って感じです。
現在の駅舎、かなりリフォーム入ってるんですね。
駅前に整備されたロータリー、中央には謎の金属オブジェ。
wiki先生に聞いたところ「日韓交流の塔」というらしい。
大和時代に百済系帰化人が多く住んだことから、高麗郡が置かれたとかで、
そもそも現在の駅所在地である日高市は、
高麗村(半島系)・高麗川村(半島系)が合併した日高町に
高萩村(大和系)が合併してできた日高町を全身にしているので、
朝鮮半島系のものが多いのもなるほどなコトなんですよね。
というわけで、高麗川駅の駅舎に入ります。
古い木造駅舎といえば、壁ベンチ。
高麗川駅のある日高市の名所、巾着田に咲くヒガンバナの飾りが
壁にはられていましたよ。
高麗川駅は、みどりの窓口のある直営駅です。
Suica読み取り機は簡易読み取り機ですけどね!
改札口上のLED発車標が、八高線の電車区間であることを思い出させますね。
改札を入った1番ホームには乗換案内もありました。
この先に地下連絡道がありますので。
主に川越線直通川越方面は駅舎方の1番線、
川越線からの直通八王子方面は、向かいの3番線、
八高線高崎方面は、その間の2番線から発車することが多いようです。
高麗川駅は、国鉄時代以来現在のJR東日本に引き継がれた
支社の境界の駅でもあります。
乗務員が交代することも多かったんでしょうね。
(そもそも高麗川折り返しのキハや、貨物列車もあったので)
ホームの電柱に謎の注意喚起がありましたよ。
1番線の八王子方・・・ですから今では車掌向けですね。
「身なりは正しく」
だそうです。
JR東の車掌さんはヤンキーかなんかなんですかね?
こちらは3番線の先頭の電柱です。
「進路確認」
だそうです。
東京の大学に進学するか、地元の大学にするか、就職するか・・・
と学生を惑わし、
JRの運転士を続けるべきか、運行司令を目指すか、
いっそ都内大手私鉄に転職するか、と運転士を惑わす
謎指令です。
いかにも昭和にはやったと思われる、コンクリ壁の地下道です。
駅舎のある1番線から2・3番線への乗り換えは、この地下通路を
通ります。
で、出たところがこちら。
2番線は高崎方面、3番線は八王子方面。
寄居・児玉方面から飯能、八王子方面への乗り換えは
同一ホームで接続がとられることが多く、楽なんです。
八王子方面から寄居、児玉方面へは階段を使ってお乗換えですが!
と、地下通路が狭いとか湿っぽいとかご意見があったせいか、
お客さんの利便性向上か、バリアフリーが何たらのためか、
エレベーター付きの跨線橋ができてました。
改めて1番線と駅舎です。
このホームの造り、土留めのコンクリ板と支柱。
年代モノですね。
さらに北寄りに行くと、
右側の開いた空間は、貨物側線の跡です。
それも2~3本はあったようですね。
3番線の外側にも側線が敷かれています。
中央総武各駅停車から引っ越してきたE231系がお昼寝していました。
3番線の北の方を見ると、一大側線群が残っています。
架線が張られているのは手前の2線なので、
貨物運輸の名残か、キハ110系サンのねぐらか。
その向こうの白い建物は乗務員休憩所です。
その先で川越線と八高線が分岐、さらにその先で
太平洋セメント専用の引き込み線があったのですが、
鉄道からトラック輸送へと変わり、
貨物線跡は現在は遊歩道として整備されています
高麗川駅の駅名標は八高線でよく見られるコンパクトサイズ。
国鉄のころは黒板あり、細ゴシックの吊り下げありと
なかなかにバラエティに富んだ駅名標があったようですが、
サイタマーニャとしては、この国鉄形自立式駅名標が
気になっちゃうんですよね!
もちろん現存はしませんが・・・「玉」の字が変だったのよね!
ほら、点、点! 点の場所!
最後になりますが、現在の高麗川駅木造駅舎が見られるのは
あと数年もないかもしれません。
日高市の中心部が駅舎とは反対側の東側に広がり、
なおかつ高麗川駅近くに東西を結ぶ通路がありません。
そこで、橋上駅舎に生まれ変わることで、
日高市とJR東日本が合意したというコトです。
もしかしたら、来年には着工されるかもしれません。
高麗川駅木造駅舎、もうカウントダウンかも!
八高線の開通当時からの駅舎は、
高麗川駅、毛呂駅、群馬藤岡駅だけとなりました。
ご訪問はお早めに!
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