九州は熊本県人吉地方の豪雨、被災されました方々にはお見舞い申し上げます。今だに降雨は続いていますがJR九州の肥薩線同様、甚大な被害を受けたのが3セクのくまがわ鉄道。特に球磨川にかかる球磨川第4橋梁は土台部分を残し、ほとんどが流されてしまったのはショッキングですね。

 

 そのくまがわ鉄道の前身である国鉄時代の湯前線当時の画像をお馴染みのレイルサロンC60さんが送ってくれましたので公開です。歴史ある鉄路、復活して欲しいですね。

 

   レイルサロンC60さんより

 今回の豪雨では旧湯前線が大変な事態になっていますね。こんな状況下ではありますが遠い記憶の中、訪れた日々がフラッシュバックしましたので画像を送ります。早い復旧を望む限りです。旧湯前線には都合2回訪問しました。ただし現状3セクの「くまがわ鉄道」になってからはありません。

 

 1回目は蒸気機関車ハチロクが貨物列車を牽引していた時代。当時は多良木駅まで運用がありました。当然現代の主体であるコンテナではなく、黒い貨物列車が長々続く編成。今思うと当時の物量はかなりの量だったと思います。

 

 この時は国鉄バスにて椎葉?五木?越えにて反対側は宮崎県側に抜けていました。確か均一の周遊券利用がOKだったと思います。オマケに道中の峠越えでは運転手さんの計らいでバスはしばし停車してくれまして、絶景を撮影した記憶があります。まことにのんびりとした良き時代でしたね。昭和40年代でした。

 

 2回目は山野線が廃止になる際、寄り道して訪れました。人吉駅までは急行「くまがわ」のディーゼル列車で行きました。余談ですが人吉までは「急行列車」ですが、先の湯前線では「普通列車」になりました。そんな往年の画像からです。

 

                            多良木駅にて。

             人吉にて。堂々のヘッドマーク掲出の急行「くまがわ」

      湯前駅にて。急行「くまがわ」は急行色と一般色の混結仕様だったようですね。

                ※1~6枚目はレイルサロンC60さん撮影です。

     7,8年前の多良木駅から。貨物扱いの跡地はブルトレホテルになっていました。

この球磨川が大氾濫したとは思えないです。球磨川第4橋梁は産業遺産の橋梁でもありました。