国鉄磐越西線の記憶 路線のこと その2 | スプーンの気まぐれ日記

スプーンの気まぐれ日記

スプーンの趣味が中心のブログにようこそ!!
ヤフーブログから引越して来ましたが、すでに日記ではありません。「気まぐれ」ですから、投稿は密になることも疎になることもございます。
海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

その2は新沼上トンネルを抜けたところからです。沼上信号場は磐越西線では珍しく早くから分岐器がマンガンクロッシング仕様でした。列車は上戸まで再び速 度を上げて走ります。途中左側に上戸変電所が見えます。上戸はかつて交換可能な駅で、下り1番線を使用した列車の追い越しも上り下り共に使用していました。貨物側線が1本、郡山方にありましたが、一時期保存待ちのC58が置かれていたものです。ちなみに新沼上トンネルと上戸の先の新小坂山トンネルの旧トンネルは本線の右側(北側)に残されています。この上戸を発車してその新小坂山トンネルに入るまでに一瞬ですが猪苗代湖を眺めることが出来ます。

磐西8mm_05
磐越西線が最も接近する区間がここです(画像は8mmフィルムより)。

ここから先は郡山―喜久田間の様にロングレール区間が旧猪苗代湖畔駅まで続きます。限界まで速度を上げてトンネルを抜けてると右手から旧線の築堤が近づいて来たタイミングで2007年より休止中の猪苗代湖畔を通過します。左手は林越しに志田浜(猪苗代湖)が見えますが、ここからはどんどん離れていきます。右 手に会津地方では有名な安産信仰の神「おんばさま(関脇優婆夷堂)」が見えて来ると間もなく関戸です。湖側に防風・防雪林が設けられているのが特徴で、一線スルーになったのは遅かったですね。下りの通過列車はスピードを落として、2番線をゆっくり通過していきました。
緩やかな上り勾配を川桁に向かって登っていきます。磐越自動車道が出来てからこの先の景観はだいぶ変わった様に思います。
川桁は昭和40年代前半まで沼尻鉄道の接続駅で、「急行いなわしろ」が停車しました。ここまで磐梯山に向かって北に走って来ましたが、列車は川桁の先で西に向きを変えます。

磐西8mm_06
永瀬川橋梁までのカーブは人気が高い撮影地です。周囲に水田が広がる平坦線を駆ければほどなく猪苗代に着きます。(画像は8mmフィルムより)。
猪苗代の手前から車窓右側に磐梯山が見えますが、列車が西へ進むに連れて少しずつ見え方が変わって来ます。この日はよく見えませんねー。

磐西8mm_07
猪苗代から翁島までもロングレールが使用されています(画像は8mmフィルムより)。

ED77_4_翁島01
若干の上り勾配に入ると両脇に防雪防風林が現れてほどなく翁島に着きます。

myspoon_201803_04421_01.jpg
かつて2番ホームの北側に3番ホーム(上り1番線)があり、「特急あいづ」が「急行ばんだい」を追い越す様なこともしていました。
このまましばらく西に2Km進み、左カーブに入るとほどなく下り勾配が始まり高度を下げていくのです。25‰の急勾配も存在するのですが、基本的に大きくU字カーブで蛇行しながら会津盆地を目指します。

磐西8mm_08
(画像は8mmフィルムより)
最初の右カーブで更科信号場、最急25‰の下り勾配が連続する中を左カーブします。

myspoon_201803_04743_02.jpg

myspoon_201803_04743_03.jpg

myspoon_201803_04744_02.jpg更に磐梯山の太古の噴火で起きた山体崩壊の痕跡が残る荒涼とした景色の中を右に戻って磐梯町。

磐西8mm_09
この後6つのカーブで磐梯山は右から左、とこれを4回繰り返して日橋川を渡ると東長原(画像は8mmフィルムより)。

磐西8mm_14
旧型客車の末期はマニ・スユニ無しの6輛編成がいちばん美しい編成だったでしょうか(画像は8mmフィルムより)。

磐西8mm_15
列車の発車を見守る助役さんの姿が懐かしいです(画像は8mmフィルムより)。

駅 直前で左側に見えるのは日橋川発電所で、現在の建家は国鉄時代から改築されています。猪苗代湖から流れて来る川ですが、ここまで4カ所もの発電所があります。東長原は南側にある昭和電工のために設けられた駅で、国鉄時代には工場内まで延びる面白い引き込み線がありました。

myspoon_201803_0474701.jpg
磐梯町から23.8‰で下って来た本線は東長原を過ぎると左カーブで真南に向きを変え、広田へと向かいます(画像は上り貨物)。

つづく。