国鉄民営化とは何だったのか?鉄道省から国鉄へ 第8話 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

気がつけば2ヶ月ほど更新できないままとなってしまいました。

国鉄は、GHQ/SCAPの方針により、現業部門(企業的な部門)として、行政と完全に分離された点でした。

ただし、この分離は上からの圧力という視点があったのも事実でした。

それ故に、名称に拘り、組織のあり方の拘った部分が多々ありました。

かつて存在した三公社五現業

 

かつて日本には3公社4現業(元々は5現業でしたが、アルコール専売が、昭和57年10月1日 新エネルギー総合開発機構に移管された)がありました。

  • 公社
    日本国有鉄道
    日本専売公社
    日本電信電話公社
  • 現業
    郵政省 郵便局
    大蔵省 造幣局
    大蔵省 印刷局
    農林水産省 林野庁
個々で注目していただきたいのは、公社の名称です。
専売公社(現在のJT)と国鉄は同じ時期に公社化されていますし、昭和27年に公社化した電気通信省も、電信電話公社と名乗っています。
しかし、日本国有鉄道だけは、「日本鉄道公社」ではなく、「日本国有鉄道」という名称になったのでしょうか。
この辺に、国鉄が誕生するまでの、そして誕生してからも、その特殊なポジションを持っていた事を理解する上での重要な鍵となります。
国鉄は、企業?それとも官庁?
桜木町日記を参照しますと、当時の運輸省から国鉄誕生までの経緯が詳しく書かれているのですが、国鉄設立までにはけっこいうな紆余曲折があったそうです。
日本としては、公共企業体という組織自体が初めてのものであり、そのようなものかイメージが掴めないので、GHQ/SCAPと折衝するのですが、総司令部の方から一先ず案を見せろと言うことで、強行にいわれたので、下記のような条件を出していった。
  1. 公共企業体として政府の機関から切り離すこと
  2. 労働者は団結権(組合を作る権利)、交渉権(団体交渉)はあるが、罷業権(いわゆるスト権)はないこと
  3. 経済的な独立(いわゆる企業性の確保)
ただし、3番の経済的な独立に関しては、GHQの経済科学局の課長が国鉄の財政は非常に大きく、これが自分の手から離れるのは困るとして、経済的独立は認められないとした。この見解に関しては、膨大な予算を勝手に使われては困ることから、大蔵官僚も反論することはありませんでした。
結果的に、公共企業体の財政的な独立は結論が出ないまま実際には、国鉄の予算は国の予算の一環として計上されることとなり、この最初のスタート時点で、企業性の発揮は大きく足かせをはめられることとなりました。

 

その辺は、桜木町日記に当時の事情が出ていますので、引用させていただこうと思います。

 

桜木町日記 泡食ったコボの誕生から引用します。
引用開始
結局公共企業体の条件というものは、第一は公企業として政府の機関から離すこと、それから第二は、労働者は団結権、交渉権はあるが罷業権はないこと、この二つが中心となっていた。亦この二条件に次いで経済的な独立をも与えなければ意味がないではないかということが運輸省の強硬な主張だったこの意見に対しては運輸局(注:GHQ/SCAP内の運輸局を指す)の方は非常にそれを支持し、むしろ民業的色彩のものを作れと言うことを主張していた。
 しかし、経済科学局の国庫課長の方は、国鉄の財政は非常に大きいので、これが自分の手から離れては困る。日本の経済に対して何をするかも判らないからどうしても経済的な独立はいけないということを主張してきた。
 この問題では大分議論されたが、こうした経済科学局の意見と大蔵官僚の意見は完全に合致していたので、公共企業体の財政的な独立と言うことには、結論が出なかった。同時にマ書簡(マッカーサー書簡)は罷業権を奪う代償として仲裁及び調停しなければならないといふことを内容に指達(まま)していたから、仲裁及び調停により争議を解決するところの公共企業体労働関係調整法が必要であるということになった。
引用終わり
GHQの中でも意見が分かれる国鉄の公社化
このように、マッカーサー書簡は発出されたものの、その誕生までにはGHQ内部でも十分な意思疎通が出来ていたわけでなく、GHQの中でも運輸局は、国鉄を出来るだけ「民業的色彩のものを作れと言うことを主張」したのに対し、経済科学局は、予算的には国鉄はできるだけ民業よりも官業に近いところにおきたいという思惑があり、GHQの中でもその意見は一致していませんでした。
この点は注目していただければと思います。
さらに、ここで「仲裁及び調停により争議を解決するところの公共企業体労働関係調整法が必要であるということになった。」と有りますが、結果的には、組合も交渉を行なう、→有効な組合が求める人件費が出せない→仲裁裁定に移行
という悪循環に陥り、春闘=交渉不調でストライキ実施→仲裁裁定移行・・・組合としては頑張ったが、当局が渋ったので、仲裁裁定に持ち込んだと発表
 
当局側も、最終的には予算もあるのでおいそれとベースアップには応じられない→仲裁裁定決定→予算が不足する(大蔵省からの借り入れを実施)という甘えの構造を生む結果になったとも言えます。
次回は、再び桜木町日記から、国鉄の設立までを他の資料も参照しながらアップさせていただこうと思います。
 

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日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代

 

 

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