柏崎からは特急しらゆきで直江津へ。接続の都合で普通列車が無いため、致し方ない措置だ。当然、青海川だったり、有名撮影地のある米山などは無慈悲にも高速通過する。近頃はなんでもかんでも高速化といって通過点が顧みられることは本当に少なくなった気がする。狭い日本、そんなに急いでどこへ行くという箴言が現代ほど似合う時代は無いんじゃないか、と思う。

 

 

直江津では次の列車まで時間があったので、特急からはじっくりと見れなかった日本海をちゃんと見ておこうと思い、駅から歩いて20分程の場所にある小さな海岸に行った。土曜日ということもあってか、釣り人がちらほらと散見できる。この日は曇っていたために水平線が分かりづらい。5分ほどの滞在で駅に戻るとちょうど良い時間だった。えちごトキめき鉄道(なんじゃこの名前は)で妙高高原へ。JR開業以降に三セク化された路線は大体新幹線開通に伴う合理化政策によるものだろうが、なんでもかんでも平仮名にしときゃ人が寄って来る、などという商業政策の意図が名前にまで見え見えで、これでは浮かばれない。利用客の見込みが無いとはいえど、これでも元一大幹線である。なんだか可哀想だ。

 

 

それでも表面的な変化といえば駅名標が変わるくらいのもので、駅設備時代に大きな変化は無い。しかし、まさか二本木ではスイッチバック構造の説明が自動放送で流れてくるとまでは思わなかった。ワロタ。

 

 

 

妙高高原からはしなの鉄道の管轄となる。待っていたのは長野色の115系!数年前にリバイバルされてからずっと乗りたかった車両である。本来、このまま軽井沢まで行き、旧信越本線を全線完乗を達成する予定であった。

 

だがこの日、踏切事故の影響で長野で運転打ち切りとなり、軽井沢までは行かない、との旨がアナウンスされた。車掌が軽井沢リゾート号に対するマニアの需要を鑑みてか、再三に渡って運転打ち切りを丁寧に陳謝した。こういう鉄道ファンに優しい鉄道に乗ると、旅の後味が良くなる。良い思い出として胸に刻み込まれる。また来ようと思う。車掌が来月デビューの新型車両についてのチラシを配りに回るところも、さすが、第三セクターの先駆としての苦悩の経験から来る寛大さというか、余裕というものを実感できた。

 

 

黒姫付近では、広大な信濃平野が車窓いっぱいに躍り出る。ここも数年前とそのままで安心した。

 

 

北長野から最後のストレートで115系は先程の信越線快速並みの速さで長野総合車両センター脇を通過する。251系や189系を尻目に、車掌からの最後のアナウンス、「またお越し下さい」なんて鉄道会社側から言われるとは思わなかった。再訪を固く心に誓い、長野駅に電車は滑り込んだ。

 

このまま軽井沢まで普通列車で行くと帰りが遅くなるため、上田までしなの鉄道で行くことにした。