山陰本線は江津から西の浜田までは少し内陸部に入って住宅街を走ることが多くなり、撮影には食指の動くような処が少なくて写真も線路際のモノが多く、この区間での撮影枚数も少ないので今までの取りこぼし分の写真もアップしてみました。
3重連は横長なので上下をカットしました。
山陰本線 都野津-敬川 1972年8月
助役さんが迎える中をD51上り貨物列車が江津駅に到着しました。
このサイズでは判り難いですが、貨物列車後部の上に写っている丘にも上り列車用の腕木信号機が写っています。(照明灯の右下)
山陰本線 江津 1973年8月
都野津駅周辺には何軒もの石州瓦工場があり、時折、背が低く四角いレンガ造りの煙突から蒸気機関車にも負けないような真っ黒な煙が出ていました。生産された石州瓦は鉄道で出荷していたので、都野津駅に停車して貨車の入れ替え作業をする貨物列車も多いようでした。その為に山陰のローカル駅としては構内も広く、その繁栄ぶりが腕木の場内信号機からも伺い知れます。
長工デフのD51473が上り貨物を牽いて都野津駅を出て来ました。
山陰本線 都野津-江津 1974年4月
D51473を後部に付けた543レが三瓶川を渡ります。
具合よく駅前の白い建物の前を横切ったので長工デフだとよく分かる写真が撮れました。
山陰本線 大田市-静間 1974年8月
客レの後部に付けての回送と言えば
833レの後部に回送のC57が付いたのは1972年の秋までです。
山陰本線 黒松-浅利 1972年3月
何の変哲もない区間は煙が期待できる駅の発車を狙うのが安全パイでした。
山陰本線 久手-大田市 1974年4月
水尻川を渡る下り貨物
山陰本線 都野津-敬川 1972年3月
D51の後ろに微かに石州瓦工場の煙突が写っています。橋梁まで行けば何とかなると思って行った水尻川でしたが、今になって考えてみれば一度くらいは蒸気機関車と石州瓦工場のレンガ煙突なんかを一緒に撮れば良かったですね。そんな情景を撮るところまで発想が及ばなかったのは、やっぱり若かったからでしょうか。自分のセンスの無さが恨まれます。
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。