「七夕特急」の虚実 | 書斎の汽車・電車

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インドア派鉄道趣味人のブログです。
鉄道書、鉄道模型の話題等、つれづれに記していきます。

 今回のブログ、しばらくの間は鉄道と全く関係ない本の話をします。読者の皆さまにおかれましては、どうかお許し頂ければと思う次第です。

 で、その本はというと馬部隆弘『椿井文書ー日本最大級の偽文書』(中公新書)です。

 

 椿井文書とは何ぞやというと、江戸時代後期の国学者・椿井政隆(つばいまさたか)がでっちあげた古文書、系図、地図などの総称ですが、余りにも数が多く、また体系的であったため、後世の創作であったにもかかわらず本物の古文書と誤認され、各自治体の「自治体史」の類や郷土史関連書、小中学校の副教材などにも引用されるなど、今日に至るまでその(悪)影響が続いているのだそうです。

 そもそも椿井政隆がなぜこのような偽文書を量産したかといえば、村々の境界線争いを有利に運ぶ、神社の「格」を少しでも上げるといった依頼者の求めに応じてのことでした。それが、後世にまで残っていった過程を、著者は丹念に解き明かしていきます。

 

 私は本書を大変興味深く拝見しましたが、終章「偽史との向き合いかた」を読んで、鉄道との関わりに気付いてしまいました。著者の馬部氏は、かつて枚方市教育委員会で勤務されていた方ですが、枚方近辺の椿井文書以外の「偽史」の一つとして、「七夕伝説」を挙げておられました。枚方市内にある「牛石」なる巨石が、付近に「天野川」なる川があることから、「牽牛石」であるとされ、彦星ゆかりの石ということになってしまったのだそうです。また、都合のいいことにその対岸には「機物神社」なる神社があり、こちらは勝手に織姫ゆかりの神社ということにされてしまいました。無論この石も神社も、七夕とは関係ないのだそうですが、昭和の終わり頃から「町おこし」のイベントとして「七夕伝説」が広がっていったといいます。

 

 私の気付いた「鉄道との関わり」は、地元を走る京阪交野線が、「七夕伝説」に因む列車を走らせていたことです。京阪電鉄では、平成15年(2003)年9月8日から、交野線と本線を直通する列車の運転を始めました。このうち、平日朝の私市発淀屋橋行きのK特急に「おりひめ」、平日夕方の天満橋発私市行き準急に「ひこぼし」の愛称がつきました。

 それだけでなく、翌年の7月7日からは、七夕の日に交野線終点の私市駅で「おりひめ」と「ひこぼし」それぞれのマーク(京阪では「副標」と呼びます)を付けた電車を並べるイベントまで行われるようになりました。

 平成20(2008)年10月19日の中之島線開業で、「おりひめ」「ひこぼし」はともに中之島まで延長されましたが、この際、列車種別が見直され、「おりひめ」はK特急から通勤快急に、「ひこぼし」は準急から快速急行にそれぞれ変更されました。また、「ひこぼし」は運転時間が繰り下げられ、夕方の列車というよりは夜の列車となりました。

 その後平成25(2013)年3月16日のダイヤ改正で、京阪電鉄は交野線と本線の直通運転を取りやめましたので、「おりひめ」「ひこぼし」も廃止となってしまいました。

 

 それにしても、「偽史」に基づく根拠のない伝説に、鉄道会社までが加担してしまったわけです。歴史と真摯に向き合う研究者からすれば、たまったものではありません。私も、個人的に大好きな1900系が久々に特急に使用されたことにばかり気を取られて、愛称の由来まで深く考えることはありませんでしたので余り偉そうなことは言えません。しかしまあ、この種のことは、恐らく日本全国の鉄道にあるのでしょうね。某国の大統領のように「フェイクだ!」とシャウトするだけでなく、その背景などを出来る限り掘り下げるのも、けして無意味なことではないでしょう。恐らく今回取り上げた京阪電鉄の事例などは、まだ可愛い方かも知れません。というわけで、機会があれば、今後もこの種のお話を取り上げたいと思います。