伊豆箱根バス(車番不詳)
伊豆200か・119
日産ディーゼルKC-RM211ESN(1996年)
三島駅前
2019年8月15日

日産ディーゼルは前身の鐘ヶ淵ディーゼルの頃より富士重工業の前身:小泉ボデーへの車体架装を行ったことを契機にバス架装事業に参入しました。元を辿れば中島飛行機を端とするため堅牢な車体造りは好評で戦後高度成長期には旺盛な需要を追い風に日本国内初めて南米や中東にも輸出された事もありました。

千曲自動車
日産G590(1958年)
某所(公道より撮影)
2019年4月18日
千曲自動車が自社発注したもので、廃車後長野県内で廃車体となっていたものを福山自動車時計博物館でレストアし現在は劇用車として活躍している。富士重工製C9型車体を架装している。富士重工がボンネットバスに架装したものは当初はトヨタや日産などに架装、次第に生産を継続するメーカーが絞られた事もありいすゞ車へ架装する比率が増えた。1966年まで生産が続いた。
日本車は早くから独自の排気ガス規制の導入を行い乗用車では世界から優秀な製品のアピールに成功しますが、ディーゼルバス・トラックは欧米で独自の排気ガス規制を行うと諸外国は欧州の排気ガス規制(ユーロ♯規制)を雛壇としたため日本製大型車はガラパゴス的成長を遂げる事となり、結果マカオ香港、シンガポール、ニュージーランドなど一部しか輸出されなくなりました。
自家用(小糸製作所)
日産ディーゼルK-U31L(1980年)
某所
2013年11月3日
伊豆箱根鉄道2773
沼津22く2328
日産ディーゼルP-U32K(1985年)
某所
2020年7月5日
伊豆箱根鉄道が1985年に自社発注した富士重工5E車体架装の路線車。西武バスのグループ会社の同社は1980年代になると富士重工架装の日産ディーゼル車にほぼ統一された。富士重工5E路線車仕様は1982年〜1988年迄と生産期間は短いものの車両生産台数は多く未だ廃車体を各地で見られる。

ほぼ国内しか販路を見出せなかった日本製バス1988年に記録した年産18,000輌をピークに下降線を辿り、2000年台には年産1万台を割るほど日本のバス市場は冷え込んでしまいました。
富士重工路線バスの最終型となる7E
遠州鉄道2675
浜松22か2675
日野KC-HT2MMC(1996年)
磐田駅
2017年9月12日

富士重工のバス車体も主に架装依頼していた日産ディーゼルはノンステップバスを展開する1998年より富士重工業西日本車体工業の2社に発注するようになりました。以前はほぼ滋賀県以西だった西日本車体が全国で見られるようになりました。
日産ディーゼルはバスボディ架装を2002年から順次、西日本車体に集約し2003年には完全に1本化すると発表しました。国内のバス需要の低迷が続く中で、バスボディ架装は合理化が緊急の課題であり日産ディーゼルは車体架装を西日本車体工業に依頼、富士重工はバス車体架装を2003年に撤退しました。
縮小する国内バス事業に対して三菱ふそうとの協業化に向けて2009年8月に正式な協議開始で合意し、その後相互OEMも行われて車種を振り分けて2011年1月の共同出資会社設立を目指して準備を進めていました。
2010年10月、両社は交渉を進めていたバス事業の統合を断念したと発表、両社は国内市場が縮小する中「事業見通しと企業評価額で両社の考えが大きく異なり、妥協の余地がない」と判断して交渉を打ち切りました。社名も2010年に日産ディーゼルからUDトラックスへ変更し2011年でバス事業から撤退しています。

バス今回の廃バス🚍
⑦⑦自家用(小糸製作所)
日産ディーゼルK-U31L(1980年)
某所
⑦⑧伊豆箱根鉄道2773
沼津22く2328
日産ディーゼルP-U32K(1985年)
某所