NO.2343 廃止になってもう35年、筑肥線姪浜~博多間廃線跡探訪(最終回、旧小笹~合流部編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 昭和58年の廃止から35年になります、旧国鉄筑肥線福岡地区の廃線跡探訪の話題、前回その2(NO.2341)では旧西新駅から旧小笹駅間をご紹介しておりました。
 
 これまでもご紹介しておりますように、筑肥線は「東線」と称します姪浜~唐津間、「西線」と称します山本~伊万里間に分かれておりますが、昭和58年3月改正以前は博多~姪浜~筑前前原~旧東唐津(現在の場所と別位置のため)~山本~伊万里間と1つの路線でもありました。
 
 しかし、福岡市交通局(福岡市営地下鉄)との姪浜~博多(仮)間で相互直通運転を行うようになりまして、それに伴い西唐津・唐津~姪浜間が電化されるに至りまして、その結果虹ノ松原~旧東唐津~山本間(廃線跡はNO.2312他参照)、博多~姪浜間廃止されるに至っております。
 
 
 さて、前回の旧西新~旧小笹間は、やはり廃線跡のほとんどは道路化されておりますが、このうち「梅光園緑道」と呼ばれます緑道は歩行者・自転車しか通行できない道路でもありまして、「緑道」の通り緑に囲まれた道路でもあります。そういった区間が約900メートルにも及んでおりますが、舗装もなされていない廃線跡でもありますので、よりここに筑肥線が存在していたのかと言う事を実感する所でもあります。
 
 
 その「梅光園緑道」を過ぎますと、別府・田島方面から続いております「筑肥新道」に入りますと、その下の画像にもあります旧小笹駅へと至る訳ではありますが、画像にもありますように、面影と言うものは見られません。それでも、このように道路化されている中で、この「筑肥新道」、さらに上の画像1の「樋井川筑肥橋」、そして後述の所など、「筑肥」と名が付く所が複数存在している所からも、かつての旧筑肥線の存在が伺わせる所でもあります。
 
 (旧小笹駅があった所)~「筑肥新道」小笹北交差点
 
 
 さて、旧国鉄筑肥線福岡地区廃線跡探訪も、今回で最終回となります。今回は以前撮影しておりました画像より、旧小笹駅から旧筑前高宮駅・旧筑前簑島駅を経まして、鹿児島線との合流部までに関しまして皆様にご紹介してまいります。

 

 

 上の画像は、旧小笹駅から博多方に向かった所で撮影しておりますが、この区間も引き続き「筑肥新道」と呼ばれる区間でありまして、かつて線路があった区間も現在は道路化されておりまして、並行している道路の渋滞緩和に大きく貢献しております。
 
 
 こうしてさらに進みますと、旧筑前高宮駅の手前であります、西鉄平尾駅の近くへとやってまいりますが、画像の「筑肥新道」の区間も、交通量が多い所へとやってまいります。
 
 ちなみに、この「筑肥新道」に並行します県道555号線も、道路沿いにスーパーや銀行なども存在している事もありまして、画像のように交通量が多い区間でもあります。現在はその県道555号線の渋滞緩和にこの「筑肥新道」は貢献している訳でもありますので、この「筑肥新道」の存在は大きいのではないかとも思います。

 

 

 

 そして、平尾駅入口交差点へとやってまいります。この交差点もかつては踏切が存在しておりましたが、やはり画像のように昼間でもこれだけの交通量であるならば、もしも線路があったとすれば踏切による渋滞は日常化していたのかもしれません。

 

 

 

 少々進みまして、西日本鉄道(西鉄)平尾駅へとやってまいります。この駅は昭和53年に高架化されておりまして、かつて旧筑肥線が存在していた頃には画像の上下に列車が運行されておりました。尚、この高架化以前から築堤上に西鉄大牟田線が存在していた事から、かつてから西鉄と国鉄とは上下で線路が交わっていたようでもあります。
 
 (駅入口)

 

 

 (姪浜方)~かつてここに列車が走っていました

 

 

 

 こうして、少々進みました画像奥に旧筑前高宮駅が存在していた部分へとやってまいります。これでもわかりますように、西鉄平尾駅と筑前高宮駅とはそんなに離れておらず、国鉄と西鉄との乗り換えに関しましても容易ではなかったかと思われるようでもあります。本当に今は面影がありませんが、画像の奥の部分で分岐していた線路がホーム別に分岐していたようであります。
 
 
 こちらの地図は、旧駅の近くにあります地図です。画像の「ファミール平尾」と書かれましたマンションから右の道路の部分が旧筑前高宮駅のホームがあった部分、そしてそのマンション北側の通路が西鉄平尾駅から旧筑前高宮駅への通路でもあった所でもあります。ちなみに、かつては南北の道路は存在しておりませんでしたので、これは廃止後に南北に通るようになったものでもあります。
 
 

 

 その奥にあります茶色いマンションがその「ファミール平尾」と呼ばれるマンションでありますが、そのマンションに沿って走る道路が旧筑肥線の線路跡にあたります。尚、かつてのホーム跡はそのマンションの手前の交差点の部分から奥に見えておりますスーパーまでがホームであったのではないかと思われます。

 

 そのマンションの歩道側です。この歩道も線路であった部分のようですが、そんな面影は残念ながら見る事はできません。
 
 
 一方、この反対側の部分です。この部分はかつては側線の部分であった所のようでした。その名残としてその部分が膨らんでいるのもわかるのではないでしょうか。尚、現在この部分は自転車保管所となっておりまして、現在もその名残を残しております。
 
 
 そして、旧駅舎付近の交差点です。この撮影地点から横断歩道を渡ったあたりがかつては駅舎があった部分になります。また、その奥にありますスーパーもかつてはこの駅の一部となっておりまして、貨物の取り扱いもこの付近で行われておりました。尚、この廃止後は西鉄バスの旧高宮営業所になっておりまして、代行路線の69番系統の路線バスの営業所として存在しておりましたが、高宮営業所廃止後に、画像のスーパー(「サニー」)となりまして現在に至っております。
 
 
 旧筑前高宮駅から、さらに博多方面へと進んでまいります。このあたりにやってまいりますと交通量も減りまして、再び撮影も行いやすくなります。それにしても、実際道路化している訳でありますが、こういったカーブの部分などがかつての名残を見せている部分であると言ってもいいのではないでしょうか。

 

 
 少々進みますと、画像の左右を走ります、通称「日赤通り」と呼ばれる県道へとやってまいります。ここは画像のように交差点は設置されておらず、平尾駅方面から美野島方面へはまっすぐ進む事はできません。したがって、私も左折してすぐの所にあります「那の川四ツ角」交差点からUターンの上、引き続き画像奥にあります廃線跡区間をたどって行くのでありました。

 

 

 この那の川付近も、かつての姿もわからなくなるほど道路は整備されております。それでも、新しさの印象も残る部分がかつての旧筑肥線があった事を伺わせる部分ではないかとも思いますし、この先那珂川の橋梁へと続くカーブがそれらしさを出しているのではないかと思います。

 

 

 こうして、画像の交差点へとやってまいりましたが、この先へと進みますと旧那珂川橋梁でもありました「那珂川筑肥橋」へとやってまいります。本当に、これまでもその1でご紹介しました「室見川筑肥橋」、上の画像1の「樋井川筑肥橋」、そして画像5~の「筑肥新道」とご紹介してまいりましたが、それぞれの場所におきまして「筑肥」が付いているだけでもかつて筑肥線が存在していた事がわかりやすいのではないかとも思うほどではないでしょうか。

 

 (別位置より)
 
 (「那珂川筑肥橋」のプレート)

 

 

 この「那珂川筑肥橋」を博多側から姪浜方に見たものであります。現在は画像のように車が走っている訳でありますが、当時は客車や貨車を牽引しましたディーゼル機関車や、急行列車から普通列車までの気動車列車が那珂川を走っていた訳でもありますので、もしも列車を撮影していたならば、どんな感じになっていたのだろうかとも思うほどでもあります。ちなみに、画像奥に見えております白いビルは、通販健康食品大手の「やずや」の本社ビルであります。
 
 (「やずや」本社ビル)

 

 

 さて、「那珂川筑肥橋」を渡ると画像奥には橋が見えますが、この橋は国道385号線であります。この橋は、筑肥線が運行していた頃から存在しておりましたが、この橋の下の画像の位置に筑前簑島駅が存在しておりました。そのため、かつての名残としまして、橋の下の部分にはすすの姿も見えまして、ディーゼル機関車や気動車と言ったディーゼル列車の煙があたっていたのではないかとも思われました(完成時はSLは運行していなかったと思われますので)。

 

 (すすの跡)

 

 この旧筑前簑島駅には、橋を抜けた所にかつてのホーム跡が残されておりますし、レプリカの駅名標も残されております。それにしても、このあたりの地名は普通は「美野島」と呼ぶのですが、駅では「簑島」と呼びますのでかつてはそう呼ばれていたのではなかったでしょうか?
 
 (レプリカの駅名標)

 

 (ホーム跡)

 

 

 それにしても、これまでの旧駅に関しましては駅跡に関しますものは記念碑等も見られませんでしたが、この駅に関しましては実際に詳しく残っておりましたので、このように駅跡に関します事があった事が良かったと思うほどではなかったかと思います。さらに、実際に移設されましたホームの跡にも乗ってみましたが、列車が来ていたらどんな感じではなかったかと思ったほどでした。

 

 

 旧筑前簑島駅より先へと進んでまいります。旧筑前簑島駅から鹿児島線との合流部の手前までは画像のような緑道となっております。この緑道は「美野島緑道」とも呼ばれておりまして、画像3・4や前回ご紹介しました「梅光園緑道」のようにかつての線路跡をこうした道に再利用しているのもありがたいのではないかとも思うほどではないかとも思います。
 
 (「美野島緑道」の看板)

 

 

 この「美野島緑道」の近くには、大手電機メーカーであります「パナソニック」の子会社であります「パナソニックシステムネットワークス」の工場も存在しております。かつてこの場所は「九州松下電器」とも呼ばれておりましたが、そういった「九州松下電器」の工場への通勤客もこの筑前簑島駅を利用していたようであります。
 
 
 この「美野島緑道」を通りますと、近くには画像の美野島公園がありますし、画像にはありませんがゴルフ練習場も存在しております。尚、かつては上の画像にもあります「九州松下電器」への専用線も存在していたようでもありまして、その下の画像の位置におきまして分かれていたようでもあります。
 
 (かつての専用線が分かれていたとされる所)
 
 
 さて、「美野島緑道」の東端部でありますが、もうあとわずかで鹿児島線との合流部に差し掛かる部分でもあります。本当に、面影も見られなくなっている訳ですが、緑道がかつての名残を残してくれている事がわかります。
 
 
 そして、線路跡の駐車場までやってまいりました。これでもわかりますように、この奥には鹿児島線の線路を見る事ができます。この線路跡も、おそらく画像の中央部にあったのではないかと思われますが、駐車場となっている今、面影というのはあまり感じられなくなっているのではないかと思います。

 

 

 こうして、鹿児島線の線路との合流部にやってまいりました。当時は画像の位置で合流していたのではないかと思われまして、それから画像にも見えます現在の竹下駅までの「小運転線」を使って、筑肥線と鹿児島線とで分かれていたようであります。ですから、筑肥線が主に1・2番ホーム発着であった事からもわかりますように、以下画像左側(現在の上り線)から入りまして、博多駅ホームへと入っていたのではないかと思われます。
 
 (手前、小運転線)

 

 

 ちなみに、817系電車の行先には「美野島」の行先が存在しておりまして、もしも駅があったならば上の画像のかっての合流地点あたりに考えられていただけに、架空でありましても行先表示が用意してあった事を思えば、そう思ってもおかしくはなかったのではないでしょうか・・・。

 

 

 こうして、3回にわたりましてご紹介しました筑肥線福岡地区廃線跡区間探訪の話題をこれで終わりますが、正直廃止後の道路化をはじめとした活用が進んでいた事からもわかりますように、面影と言うものは見られなくなっている事もわかります。やはり、周囲の宅地化が急速に進んだ事も原因ではないかとも思いますが、それでも、「筑肥新道」や「○○筑肥橋」として名を残してあるように、「筑肥」から辛うじて面影を残している部分は見られているだけに、ご覧の皆様もこれまで存じなかった方は、ご紹介しました所に筑肥線が存在していた事をわかっていただければとも思います。

 

 【当ブログ記事参考】 「筑肥線の(今)昔写真集