管理人が京急の「SH快特」に乗って降りたのは、品川ではなく泉岳寺。

 

この駅の開業は管理人の生年と同じ

 

この駅も開業は昭和43(1968)年と、開業から既に半世紀以上が経過しております。

古い営団地下鉄の駅にはあった、入口の行灯上の看板。ここにはちゃんとあります。

 

これがなくなったのはいつごろからだろう?

 

以前はメトロでも東西線の木場駅に残っていたりしましたが、あれも最近なくなってしまいました(´・ω・`)

 

そして、管理人はある場所を目指す前に、メインディッシュの前の前菜として、こちらを訪れました。

 

この一角だけ木がこんもりと茂っている

 

この一角こそ、江戸と周囲を分かつ門として、関所として周囲から入ってくる・江戸から出ていく者をチェックする関所としての「大木戸」があった場所なのですよ。ここは「高輪大木戸」。このような「大木戸」、他には四谷にもあり、こちらは「四谷大木戸」として有名ですが、こちらは現存していません。一部でも残っているのがこちらの「高輪大木戸」です。

 

石碑が建つ

 

石碑の後ろの石垣は、実際に「大木戸」として機能していた、門を構成する一部なんだそうです。

 

こちらは説明板。

 

既に江戸時代後期には使われなくなっていたらしい

 

関所としての機能は、既に江戸時代後期にはなくなり、門としての大木戸のみが残り、通行はフリーパスになっていたようです。

 

今年3月、この近くに「高輪ゲートウェイ」が開業したのですが、これならあの駅の駅名は「高輪大木戸(副名称:高輪ゲートウェイ)」でもよかったんじゃ…。実際にこの「高輪大木戸」は、江戸への「ゲートウェイ」の役割を果たしていたわけで、そういう歴史的経緯を踏まえた命名になったといえ、実に勿体なかったと思います。

 

で、管理人が向かうのは、その高輪ゲートウェイ駅ではなく、違う意味で名所になっている場所でした。

 

※ 当記事はアップの時点ではブログナンバーを振りません(後で並べ替えるため)。

 

【追記】(令和2年7月9日 22:10)

当記事を07/04付の投稿に変更し、併せてブログナンバー5202を振ります。