ここは下関駅。

下関駅の朝は、夜を徹して走ってきたブルートレインの到着ラッシュ。特に東京駅発の九州特急は7~9時台に集中して到着します。そして全ての列車がここで停車し (関西ブルトレは早朝到着が多いので、客扱いをしない運転停車が殆ど。また、583系使用の夜行特急は通過列車もある) 、機関車を付け替えて関門トンネルへと向かいます。

 

さて、画像の列車は、テールマークからも 「はやぶさ」 であるのはお判りいただけるかと思いますが、 「あれっ!? 「はやぶさ」 って14系を使っていたことってあったっけ?」 と不思議に思う方も少なくないのでは。でもこれ、14系ではありません。コアなマニアなら瞬殺で判ろうかと思いますが、これは14系ではなくて24系24形になります。24形は 「はやぶさ」 「富士」 「出雲」 に充当されたことがありましたが、それは僅か1年半という極めて短期間。

パッと見は14系のスハネフ14に瓜二つですが、登場当時は大きな識別点が。それがテールライト周辺の騒がしさ。

24系は、三相ジャンパ栓が編成通しでの容量を考慮してKE8からKE10に変更され、車両の両側に引き通されました。この関係で栓抑えが車両の妻面に設けられたので、このようなスタイルになりました。あとは編成全体で見渡せば、編成の末端には電源車が連結されていますので、これだけでも14系か24系かは見分けがつきます。後にKE10などのジャンパ栓は改造で床下移されて、設置台だけが残されました。両渡り構造じゃありませんが、方転は可能でした。

 

24系は、昭和48年10月から 「あかつき (下り3号、4号、上り1号、3号) 」 と 「彗星 (下り3号、4号、上り1号、4号) 」 でデビューしました。炙れた20系は、 「あけぼの」 の増発分に、14系は 「あかつき」 「彗星」 の増発分にそれぞれ充てました。

24系は20系と比べると、例え三段寝台でも居住空間は雲泥の差で、14系とともに 「次世代寝台車」 と高く評価されました。また、24系は集中電源方式なので、オハネフ24にディーゼル発電機を備えないから、就寝中の静寂性も約束されました。しかし、翌年には 「さらなる居住性」 ということで、B寝台をそれまでの三段式から二段式にあらためた25形が登場したので、24形は最初のロット (118両) が製造されただけで終わってしまいました。

 

昭和50年3月のダイヤ改正では山陽新幹線博多開業に伴って、在来線優等列車に大きな動きがありました。

既に24系25形を増備している途上でしたので、その増備分を他の列車に充てたりしましたが、それまで583系を使用していた 「明星」 が14系や25形を使用するブルートレインの仲間入りを果たしました。

25形の増備によって24形は炙れる形になり、草臥れ始めてきた20系を置き換える名目で全車が品川客車区に転配されて、前述の 「はやぶさ」 「富士」 「出雲」 に充てることになりました。SLブームが一区切りつき、次なるターゲットにブルートレインやエル特急に向けられるようになって、ブルートレインとエル特急は一躍、時代の寵児になるのです。

 

東京発着の九州特急に充てられたということで、関西時代とは一味も二味も違うスター気分を味わった24形ですが、栄華は長く続きませんでした。25形の増備車でB寝台の上段部分を固定化、下段の空間も拡げられた100番代が登場、同時に個室寝台がラインアップに加わって、 「はやぶさ」 「富士」 「出雲」 に投入、24形は品川から青森運転所に転属し、20系を使用していた 「ゆうづる」 に充当され、また脇役的な立ち位置に成り下がってしまいました。ことブルートレインに関しては、JR化後は立場が逆転していますが、国鉄時代は基本的に東京駅発着の列車が主役でありメジャー、関西ブルトレや東北ブルトレなどは全て脇役でありマイナーな存在でした。まぁ、 「東京駅発着」 といっても、 「瀬戸」 や 「いなば・紀伊」 はマイナーな立場であり、 「瀬戸」 は辛うじてヘッドマークこそ取り付けられましたが、 「いなば・紀伊」 はヘッドマークすら付けられず (両列車併結運転だったため) 、牽引機関車もEF58だったので、スポットライトを浴びることはありませんでした。

 

24系24形は14系や25形に比べると、目立たない存在であるのは否めませんが、結果的に最後まで残ったのが24形だったりします。 「北斗星」 用車両もそうなんですが、 “正調ブルートレイン” として最後まで残っていたのが 「あけぼの」 と 「日本海」 。それには24形が充てられていました。勿論、オール24形ではなくて、25形との混結にはなるんですが、脇役は脇役のまま、ひっそりとフェードアウトしていくものと思っていましたからね。また、 「日本海」 と 「銀河」 にはオリジナルのオロネ24も連結されていたので、ここで俄然、注目が集まっちゃったんですね。24形自身も国鉄時代は不遇な扱いでしたが、民営化後にこれだけ脚光を浴びようとは思わなかったでしょうね。

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.791 (電気車研究会社 刊)

名列車列伝シリーズ⑪ 「寝台特急北斗星&カシオペア+ブルトレ客車 Part.2」 (イカロス出版社 刊)