Kさんからメールが来ました→「2008年7月5日、篠ノ井線の羽尾信号場(スイッチバック式)の廃止に伴い企画された臨時電車の写真です。今回も枚数多いです。12年前の今日ですね。」
ということで代理投稿 by D51338 たしかに14枚はすごい(^^)
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Kです。前回で煙突3本分の煙分補給をしていただいたと思いますので、今回は架線の下に戻ります。
2008年7月5, 6日の週末、篠ノ井線の羽尾信号場の廃止に伴い運行された「スイッチバック街道惜別羽尾号」の記録です。
クモユニ143形2両の後に115系3両編成を連結、全5両のスカ色の電車編成でした。
クモユニ143形は1981(昭和56)年に身延線の旧型電車置換えのため4両が製造、うち2両が後に長野に転属。構内入換や職員輸送用として、ごく最近の2018/19年まで使われていたようです。
2008年当時でも本線上で姿を見ることがほとんどない車両を撮影する貴重な機会であり、スイッチバック式信号場の最後の姿の撮影と兼ねて7/5に現地を訪れました。
電車は長野-聖高原を往復。往路復路とも、途中スイッチバック式の桑ノ原信号場、姨捨駅、羽尾信号場にそれぞれ停車、引上げ線に入る形のダイヤで設定されていました。
① 桑ノ原信号場 信号場の待避線に停車中の臨時電車です。
桑ノ原信号場は稲荷山-姨捨間にあるスイッチバック式信号場で、現在も使われています。
線路の下はリンゴ畑、上は高速道路(長野道)の高架橋となっています。
② 同 一旦引き上げ線に入った後、本線を姨捨に向かう臨時電車です。
この角度だと本線の勾配(25/1000)が良くわかりますね。
蒸気機関車の時代から「冠着越え」の難所として有名で、かつては集煙装置装備のD51が厳しい務めを果たしていたところです。
③ 姨捨駅 姨捨駅で電車は45分以上停車。車で駅前に着いてみると、電車から降りた鉄ちゃんの行列。当時の運行の様子をまとめていただいたサイトhttp://hoshiinonet.com/wp/wp11/?p=14749 によると、姨捨駅では記念入場券、駅弁、グッズの販売が行われていたようです。
④ 同 クモユニ143同士の連結部。事業用車らしい切妻式の先頭部です。電車の隙間から、日本三大車窓風景の一つに数えられる善光寺平の景色が望めます。
⑤ 同 姨捨駅も急坂の途中に作られたスイッチバック式の停車場。
ホーム先端の先の構内踏切のところから、臨時電車と交換する長野色の115系電車が進入してくるところを撮りました。
⑥ 羽尾信号場 姨捨駅の発車前に先回りをして、間もなく廃止となる羽尾信号場を見下ろす高台で待ち構えます。クモユニ143形2両先頭に、臨時電車が入線してくるところ。2008年3月改正以降、羽尾信号場に入線する列車の設定はなくなっていたようなので、久々の光景だったのでしょう。
⑦ 同 わずか1分ほどの停車の後、反対側の待避線へと移動していきます。電車右側の入換信号機が斜め一列、注意信号を示しています。
⑧ 同 反対側の待避線で約10分停車後、臨時電車は冠着トンネルに向けてモーター音も高らかに出発していきました。
⑨ 同 少し位置を変えて、約1時間後、聖高原から折返し戻ってきた臨時電車が、先ほど撮影したのと反対側の引上げ線に収まったところです。
上には高速道路、電車のすぐ下を斜めに下っていく本線の手前下の方に数件の民家があるロケーションでした。
⑩ 同 先ほど見下した方の待避線でクモユニ143が待つすぐ上、名古屋行の「特急しなの」が本線の坂を登って行きます。この2日間設定された臨時電車が、羽尾信号場がその機能を果たす最後の機会だったと思います。
⑪ 姨捨駅 長野行の臨時電車も姨捨駅で30分近く停車。
その間に、回送の字幕を表示した189系あさま色の編成が、姨捨駅には寄らず本線上を通過していきました。
⑫⑬ 同 臨時電車が姨捨駅から長野に向けて発車するため、一旦引上げ線に入るところです。
スイッチバック走行中なので、赤いテールランプをつけた方が先頭です。
⑭ 羽尾信号場 最後にもう一度、廃止となる羽尾信号場に寄ってみました。先ほど⑥⑦で見下したのと反対側の待避線です。
かつてはD51牽引の貨物列車もここで退避を行ったように、長大な引上げ線となっていますが、ほぼ足の速い電車だけが走る時代となり、その役目を終えるときが来たということでしょう。
次回はこの翌日、只見線の小出-只見間で走ったキハ58系国鉄急行色編成と、キハ40系の撮影の模様をお届けします。そういえばこの区間、現在キハ48系2両編成が最後の活躍をしていて、非公式情報では7月11日がラストランとなりキハ110系に置換え予定とか。
実はすぐにでも行きたくてウズウズしております(笑)。