NO.2342 祈・一日も早い復旧を願います、平成25年肥薩線普通列車、人吉→新八代間乗車の記録 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 7月4日の熊本県芦北・球磨地方を襲いました豪雨では、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、肥薩線・肥薩おれんじ鉄道・くま川鉄道でも大きな被害を受けているようでありまして、特に肥薩線に関しましては球磨川にかかります橋梁が流出している所もあるそうでありまして、本当に自然の恐ろしさを痛感させる所でもあります。
 
 本当に、上の画像にもあります球磨川も、普段は穏やかな所あれば急流な所もありまして、川下りを利用されました方は特にそう言った所を実感されるのではないかと思いますが(平成26年利用時撮影)、今回の豪雨ではその球磨川が氾濫するほどまでに至っていた訳でもありますので、どれくらいこの豪雨がひどかったかが伺える所ではあります。
 
 
 さて、今回は前の記事でも述べておりましたように、本来掲載する予定を変更しまして、平成25年に利用しておりました肥薩線の人吉→八代間の普通列車利用記を皆様にご紹介してまいります。この時には、穏やかでもあります球磨川の姿も収めておりまして、実際に列車に乗りまして収める事ができておりました。ですから、そのような姿がまた見られるようになる事を願いを込めまして、今回ご紹介させていただきます。
 
 
 ご紹介しておりますように、この肥薩線は、熊本県八代市の八代市を起点に、当ブログで現在ご紹介しております人吉市の人吉駅、そして「矢岳越え」を経まして、鹿児島県湧水町の吉松駅、さらに南側の鹿児島県霧島市の隼人駅までの124キロもの路線であります。

 

 元々は水俣・川内方面の海側の路線が開通するまでは「鹿児島本線」と称されていた路線でありましたが、現在は肥薩おれんじ鉄道となっております海側の路線が開通しました昭和初期以降「肥薩線」と称されるようになりまして現在に至っております。

 

 この肥薩線は、比較的勾配が少なく、かつ球磨川沿いを走る区間であります「川線」と呼ばれる八代~人吉間と、「大畑ループ線」などがあります、いわゆる「矢岳越え」と称される区間、また自然が多い区間もあります区間の「山線」とも呼ばれます、人吉~吉松~隼人間と基本的に分かれておりまして、現在これらを縦断する定期の直通列車は運行されておらず、八代~人吉・人吉~吉松・吉松~隼人と系統が分離されている路線でもあります。
 

 

 今回その「川線」のスタート駅人吉駅であります。人吉駅に関しましては、熊本県球磨地区の中心駅でもありますし、人吉市の玄関口でもあります。
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 今回乗車しますのは、新八代行きの1232Dであります。当時の肥薩線では、この列車を含めまして3本の上り列車が八代駅の次駅の新八代駅間で運行される列車が存在しておりまして、九州新幹線に乗換なされる方には優しい姿が見られておりました(現在は全て八代発着に改められております)。
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 乗車します1232D(当時)であります。この列車は画像でもわかりますようにキハ40形8000番台気動車1両編成と言う寂しい編成であるのが特徴でありまして、もちろんワンマン列車による運行でもあります。
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 1232D人吉駅発車20分前の姿であります。やはり発車20分前と言う事で、まだこの時点ではそんなに乗客はいらっしゃいませんでしたが、発車直前には年配の方を中心に約6割の乗客がいらっしゃいました。ただ、6割と言う事で座席はそんなに埋まらず、やはり1両でも足りる事を伺わせるような感じでもありました。

 

 (全体)
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 (ボックスシート)
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 この列車の発車前には、人吉駅止まりのキハ140形気動車による1231D(当時)がやってきておりましたが、この1231Dも、画像にもありますように1両編成であります。やはり、普段が特急を含めまして最高2両編成でもありますので、このような1両の姿もわからなくはないでしょうか。尚、この1231Dはこのあと後方にも見えます石造りの車庫へと向けて回送して行きました。
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 (人吉駅西側の石造り車庫)

 

 

 こうして、1232Dは人吉駅を出まして、新八代駅へと向かっていきます。向かう際にはキハ140形気動車の1231Dでありました車両の姿を車庫で見る事ができましたが、残念ながら画像を収める事ができませんでした。
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 さて、列車は人吉駅を出ましてしばらくしますと、画像のように球磨川が見られるようになります。この区間も「くま川下り」もありまして、この区間は急流コースにあたる部分でもありますので、画像のように石や岩がありましたらそう言われてもおかしくはないのではないかとも思ってしまうほどです。

 

 (渡~那良口間)
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 (那良口~一勝地間)
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 列車は球泉洞駅(熊本県球磨村)に到着しました。この駅は画像のように待合室しかない1面1線の無人駅ではありますが、現在特急列車「かわせみ やませみ」・「いさぶろう」・「しんぺい」は停車しないこの駅も、当時は特急「九州横断特急」が1・3・6・8号の4本停車しておりました。こう言った所も、名称にもありますように球泉洞へ行かれる方のために停車していたと言ってもいいのではないかと思います。
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 球泉洞駅を出まして、再び球磨川とお付き合いをしてまいります。以下画像は球泉洞駅を出た所でありますが、よく見ますと画像奥に岩も見られるなどの姿が見られますが、
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 その下の画像にあります吉尾駅~海路駅(ともに熊本県芦北町)の間になりますと、岩も少なくなってきていまして、それほど下流へと向かってきている事がわかるのではないでしょうか。
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 こうして、列車は熊本県八代市のJR線の南端であります瀬戸石駅に到着しました。この瀬戸石駅は球磨川の河畔にある駅でもありまして、駅のある場所は八代市ではある訳ですが、元は合併前旧坂本村であった地域でありましたので、駅板にも「熊本県八代市」と貼り付けられているのが見ていてわかるのではないでしょうか。
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 (駅板)
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 この1232Dは、当時運行されておりましたキハ31形気動車の1233Dと行き合うためにこの瀬戸石駅で5分間停車します。この間に私も画像のように撮影を行いましたが、撮影時12月という事もありまして、もう日も暮れてきておりました。それでも、このように周囲を山の中にある訳ですので、まさに田舎の駅と言う印象さえも感じさせられておりました。
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 そんな瀬戸石駅のつくりは、ホームは島式ホーム1面2線でありますが、駅舎の姿は上の画像のように残念ながらなく、最後の画像で見えている待合室のみのシンプルな形となっております。そんな中で、行き合い列車でありますキハ31形気動車で運行の1233Dがやってまいりましたが、この列車のこの日の降車客は1名もいらっしゃらず、さらに画像のように乗車している方の姿もそれほど多くはない事も確認したのでありました。
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 (車内より)
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 さて、列車はさらに北上してまいりますが、瀬戸石駅を出まして、次の鎌瀬駅の手前にあります球磨川第一橋梁を渡りまして、これまで進行方向右側で見られていた球磨川が左側に変わる事になります。画像はその先の葉木~坂本間の車内でありますが、ここまで進みますと川の様子もだいぶ変わってきておりました。
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 そして、列車は坂本駅にやってまいります。この坂本駅は2面2線の駅でありまして、無人駅でもあります。
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 それでも、特急「九州横断特急」・「くまがわ」の全列車が停車する他、「SL人吉」も停車するなど肥薩線の「川線」では一番の主要駅であると言ってもいいかとも思います。ちなみに、この駅からはこの駅の近くにありました製紙工場への専用線もありまして、2番ホーム裏に貨物車の留置線もありましたし、1・2番ホームの間に中線もありましたが、国鉄時代の昭和58年にその専用線は廃止、製紙工場自体も昭和63年に閉鎖されておりまして、現在は「くま川ワイワイパーク」としてその姿を変えております。
 
 (ホーム裏に貨物留置線がありました)
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 列車は、坂本駅・段駅を過ぎまして、球磨川の下流を進んでまいりますが、八代駅に近くなってまいりますと肥薩おれんじ鉄道球磨川橋梁の下を通る事になります。このあと肥薩おれんじ鉄道と交わりまして、八代駅にやってくる事になります。
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 こうして、肥薩線の起終点駅であります八代駅にやってまいりました。八代駅では乗車していた乗客のうち8割ほどが下車、あとは終点であります新八代駅へと向かう事になります。私もこの八代駅で下車しようと思っておりましたが、せっかく終点まで乗車しようと思いまして、終点新八代駅まで乗車する事にしたのでありました。
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 そして、八代駅から約5分で終着駅であります新八代駅に17時29分に到着しました。ここで乗客のほとんどが新幹線ホームに向かって行かれておりまして、ここで新幹線に乗り換えられたようであります。尚、当時1232Dから新幹線への乗換は17時46分発の「さくら576号」に乗りますと、博多駅には18時37分、広島駅には19時46分、岡山駅には20時27分、終点新大阪駅には21時21分には到着できる事も可能でありました。
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 この1232Dは到着後すぐに回送で八代駅へ戻ります。このあと再び肥薩線の運用に就きまして、人吉駅まで運行される事になります。
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 以上が、平成25年当時に利用しました肥薩線人吉→新八代間普通列車乗車の記録でありましたが、この当時見られておりました球磨川の穏やかな姿は今回は見られず、かつ被害が各地で見られる結果となってしまいました。私自身も、この記事を作成しておりまして、「こんな姿もあったんだけどな」とも思ったほどでしたので、今回の姿は正直残念としか言えようがないのではないかと思います。
 
 
 本当に、今回発生しました豪雨被害におきましては、ご覧の皆様・またその身内や友人の中で被害に遭われた方もいらっしゃったのではないかと思います。私自身も、毎年のように人吉地区には訪問している事もありまして(直近は今年2月でした)、今回の被害の姿を見まして大変心を痛めている所であります。とにかく、今回の豪雨被害に遭われた方々にここでお見舞いを申し上げたいと思いますが、何と言いましても早いうちの隈川流域などの各地の復旧、そしてご紹介しましたこの肥薩線の鉄路がまた復旧してくれることを願いたいと思います。
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