JR東日本251系廃車回送の喧騒に思う〜2020.4.22 RE-3編成廃車回送の記録から〜 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

7月1日。

251系スーパービュー踊り子RE-1編成の廃車回送が、東大宮操車場→長野間にて翌2日の朝にかけて
【主に深夜に】行われ、全区間をEF64 1031号機が牽引した。
これにより、251系は東大宮に残存するRE-4編成のみとなったが…
 
これまでの2本と違って、RE-1編成は深夜帯に輸送された。
聞くところによると、前回5月に行われたRE-2編成の廃車回送の際には各所でマナー違反が横行して
さらに高尾あたりでは踏切障害で一時抑止が起きるなど、かなり散々な状況だったらしい。
 
らしいと書いたのは、仕事の都合で行けなかったからだが、それはそれは酷い状況だったようだ。
さらにその前は小湊鐵道に譲渡されたキハ40の甲種輸送で騒ぎも発生していたし、コロナウイルスの
自粛期間に関わらずの一部撮り鉄の自分勝手な振る舞いぶりに、遂に現業も堪忍袋の緒が切れたか。
 
だが結局は自らが撒いた種であるだろうから、一部撮り鉄に対する同情の余地は全く無い。
寧ろ運行に関わる方々の深夜割増などの負担が増大するわけで、この苦渋の変更を決断するに至った
現業の思いと一部撮り鉄たちへの責任は、極めて重いと断じざるを得ないだろう。
 
そんな251系の廃車回送、気づいている人は気づいているだろうが自分は4月に撮りました。
4月22日施工のRE-3編成、251系最初の廃車となった編成の輸送。

4月22日水曜日14時半過ぎ、立川駅6番ホームの東京方先端に立った。
この日、立川駅に到着したときには、まだ誰もいなかった。
なのでこの時、一計を案じた。
 
①後から到着した撮り鉄氏一人ひとりに、ソーシャルディスタンスを呼び掛けた。
 
当時の情勢が情勢ゆえに誰一人も異論を挟まず、相応の距離を取って協力してくれた。
そんなに多数が詰めかけることもなく、実に落ち着いた雰囲気に終始した。
しばらくすると駅員氏数名がこちらにやってきたので、もう一計案じることにした。
 
②先に仕掛ける明るい挨拶。素敵な笑顔が決め手です!(?)
 
駅員氏のもとに挨拶に出向き、こう告げた。
 
大変な中お世話になります。
事故が無いよう、ご迷惑を掛けないように努めますので、よろしくお願いします。
 
こうやって声掛け、どれだけできている?
まぁ一瞥する限りでは、ここまでやっている人なんてほとんど見たことなんか無いけど。
それくらいいつも以上に気を使って、当日居合わせた人と当該列車が到着するのを待ったのだ。
 
14:58頃。
 
ついに廃車回送列車・配9652レが立川駅に到着。
この日の牽引はEF64 1030号機。
 
EF64と251系がガッチリ連結されている姿に、ああ、いよいよ廃車なのだと胸が痛む。
 
③足早に駅員氏、そして協力してくれた撮り鉄氏にお礼しつつ、八王子側へ。
停止位置が東京寄りだったために後部の撮影は叶わず、周りに注意しながら足早に先頭を撮影。
僅か数分でやってきた後続の高尾行きに乗り込み、八王子へ先行する。
 
15:20頃。
予定より4分ほど遅れて、八王子駅に配給列車が到着。
 
ここで列車番号が配9439レに変わり、35分間停車。
この時に横浜線ホームに行けば良かったのだが、目の前の列車を撮ることにただ腐心していたせいか
結局動くこともできぬまま、気づいたら5番ホーム側に石油貨物編成が到着していた。
この時は次の機会にフォローしようと考えていたが、それは実現できずに終わりそうだ。
 
編成を一瞥すると、パッチワークのように痛々しい車体の補修跡が。
そこからさらに剥げて錆びている車体の劣化ぶりに、改めて長い運用への労苦を偲んだ。
 
さすがに八王子駅、警察も出動しての厳戒態勢が敷かれていた。
高尾方のホーム先端は規制が敷かれていた。
だがそれでもこの日、八王子駅に滞在中は思っていたほど荒れてはいなかったと思う。
 
16:09頃。
さてこちらは八王子から先に電車に乗り、高尾でM電(現業用語)に乗り継いで相模湖へ。
この時ほぼ全員の撮り鉄がホームの前と後に固まって密を作る中、ここで一人だけで一度改札を抜け
バスロータリーの工事用出入口のフェンスからカメラを出した。
 
ゆっくりゆっくり2番線に入線するのを見届けて、再び改札を入る。
 
特急を待避する僅かな時間で、密になるのは嫌だったがここで初めて後方を眺めに出向いた。
パンタグラフは撤去されていたが、尾灯はケーブルを通じて電源が供給されていた。
その姿が、かろうじて現役時代の威光を保っているように感じた。
 
一番ネックだった甲府方の先頭、密は避けられる術はなかったが、予防策を取り速やかに。
そんなことを感じていたら、早くも発車時間になってしまう。
 
16:17頃。
ここで初めて一度見送り、後続のM電で再度西へ。

17:06頃。
猿橋へ行くと、側線でまた停車中。
ここでは49分もの大停車となり、このような芸当が可能だった。

この日の猿橋には、駅員や内勤など現業が多く警戒。
しかし撮り鉄はそこまで多くはなく、一昨年の夏のようなならず者も来ていなかった。
そんなだから結果的に、現業の方と挨拶もそこそこに談笑を交わすほど余裕があったのである。
この時は、他の撮り鉄とも場所を譲り合い声を掛け合える十分な余裕があったのだ。
それがここから一ヶ月で、どうして現業を怒らせるほどに殺伐となってしまったのだろうか。
コロナ禍による自粛生活のフラストレーションが溜まってたからなんて、言い訳にはならない筈だ。

いま改めて写真を見ながら振り返ると、今までのどれよりも穏やかで撮りやすい取材だったようだ。
未曾有の情勢が招いた故ではあるが、こんな機会は後にも先にもこの時だけになってしまった。
つくづく鉄道趣味というものは周囲との親和性が低く気難しいものと言うことを改めて知った。

17:38頃
再びM電に乗り込み、一駅先の大月で下車。
ひとりトボトボ歩き、東京側の高月踏切で列車を捉えた。
同じ目的の撮り鉄は、向かい側に1人居たくらいだっただろうか。

思いの外ゆっくり接近してきてくれたので、流し気味に捉えて見送ることができた。
最後の最後に夕日も覗き、リゾート特急としての輝きの残像も遺して…

いま、東大宮の車両センターにはRE-4編成が最後の時を待っている。
この編成が輸送される時が、251系本当のラストとなる。
この時に限らず、全般に撮り鉄含め鉄道趣味人はどうあるべきなのだろうか?
これだけさまざまな場所で指摘されてきたことをまた繰り返して、愚かな部分を一般に見せるのか?
今回のコロナ禍は、鉄道趣味人の未熟な部分をハッキリと炙り出したような気がする。
今一度過去事例を真摯に学び、同じ過ちを繰り返さぬようこれから活かしていかなければならない。
何より優先されるは安全輸送、それを趣味人が脅かすなんてことはあってはならないのである。


さて、そんな情勢下で身を挺して記録を蓄積したものはまだあります。

それはまたいずれ。