国鉄磐越西線の記憶 路線のこと その1 | スプーンの気まぐれ日記

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海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

磐越西線は風光明媚な四季折々のロケーションと走る(走った)バラエティー豊かな車輛で、多くの鉄道ファンを魅了し、素晴らしい画像映像に記録されてきました。今はネットから様々な情報を得ることが出来る時代ですが、その様な中に敢えてスプーンめの切り口で国鉄時代の路線のこと、列車のこと、そして駅のことなど、少し時間をかけて記していきたいと思います。

路線のこと その1
郡山を出発した上野から直通の電車特急や急行は最高速度を120km/h、110km/hから95km/hに落として軽やかな足取りで磐越西線に入っていきます。(現在の電車快速、普通列車も95km/hです)。上野、福島、仙台から直通した気動車列車は同じ最高速度で坦々と走っていきました。ED77やED75が牽引した客車列車は急行、普通列車共に 85km/hです。蒸機牽引の客車列車は75km/h、貨物列車は65km/hがMAXだったと記憶しています。
磐西8mm_01
旧型客車が最後の活躍をする時代の郡山駅2番ホーム(画像は8mmフィルムより)

東北本線を右手に見ながら阿武隈川の支流である逢瀬川を左カーブで渡ります。直線区間に入っておよそ1km先の県道296号線「第一越後街道踏切」付近まで加速して所定の最高速度に達します。この先惰行、力行を繰り返して走りますが、郡山富田駅が出来たため、東北自動車道を過ぎるまで快調に飛ばしていたことも過去の思い出になりました。最高速度は95km/hではありますが、実際は電車も気動車も98km/hまで加速していましたね(笑)。
ED772_01_郡山01


ED77_ED7714_喜久田01
春には桜並木が美しい喜久田駅を過ぎると左カーブで上り勾配、やや下ると安子ケ島、過ぎると沼上信号場まで上り続けます。ほどなく磐梯熱海に着きますが、喜久田や安子ケ島が一線スルーになったタイミングだったでしょうか、それまでは下り若松方面にも行けた3番線(下り1番線)が廃止となり、その外側にあった側線も行き止まり、保線車輛用になりました。また中山宿に向かう右側には何かの積み込み用と思われる長い引き込み線がありました。過去には3番線を発着する郡山〜磐梯熱海の区間列車もあり、短い期間ですが食パン電車715系1000番台や717系も運用された様です。ここを出発すると勾配は一段ときつくなり、最高25‰で国道49号線の向こう側に見える五百川に沿うようにして上って行きます。温泉旅館群はあっという間に途切れて山間に入って行くのです。

ED776_01_中山宿01

速度は落ちてカーブの制限もあり70〜60km/hとなります。中山宿は今は新駅が本線上にありますが、蒸機時代から有名なスイッチバック駅でした。

ED776_02_中山宿01
郡山から来た下り列車はそのままホームに入り、発車時は推進運転で引き上げ線に入ります。


ED778_水戸座04_中山宿
特急や急行は60km/hを超える速度で本線を駆けていきますが、停車した列車はゆっくりと走り出します。ちなみに写真のED778に牽かれる旧客は団臨の水戸座です。現在も本線の左下に旧駅のホーム跡と保線用の施設が見えます。

ED77901_中山宿01
若松方の短いトンネルを抜けると南側に開けて、編成がきれいに収まるカーブがあります。

ED77_02_中山宿01
こちらは上り列車です。
現在のトンネルは、電化開業の際に新たに設けられたもので、中山宿の前後では旧トンネルが左側(南側)に残っています。列車はこのまま五百川の源流に近い沼上発電所を右側に見て、新沼上トンネルに入ります(ここから旧トンネルは右側)。

 

磐西8mm_04
(画像は8mmフィルムより)

沼上発電所_01
この発電所は「日本遺産」に指定されており、その解説によれば『明治32年(1898年)に、猪苗代湖と安積疏水の落差を利用して運転を開始した水力発電所で、日本初の高圧電力の長距離送電により、郡山市の紡績や繊維産業の発展に大きく貢献した』とあります。

沼上発電所_02
夜通ると昔の建物の中には白や緑、橙などの表示灯が輝いていて、これを車窓から眺めるのが小さな楽しみでした。


新沼上トンネルは出口まで上り勾配が続くのであまりスピードは上がらず、下り勾配を速度制限しながら走っている様な錯覚をしたものです。

 

次回に続く。