これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、JR筑肥線は、現在の運行区間が福岡県福岡市の姪浜駅から佐賀県唐津市の唐津駅、そして同じく唐津市の山本駅から伊万里市の伊万里駅と、2区間に分かれているのが特徴でありまして、電化区間の姪浜~唐津間が「東線」、唐津・山本~伊万里間が「西線」として扱われております。
けれども、今から37年前の昭和58年までは、福岡市の博多駅から、唐津市の旧東唐津駅を経て、伊万里駅まで続いておりまして、いわゆる1線で構成されておりまして、現在とは違った形態でも運行されておりました。
この筑肥線は、元々は旧北九州鉄道が整備していた路線でもありまして、大正12年に浜崎駅(佐賀県唐津市)~福吉駅(福岡県糸島市)までが開通、以降延伸を繰り返し、昭和10年に博多駅~伊万里駅間が全線開通に至っておりました。そして昭和12年には、旧北九州鉄道から旧国鉄に変わり、以来国鉄筑肥線としてこの区間で運行されておりましたが、この間には急行の「平戸」・「からつ」・「九十九島」と言った優等列車も、旧松浦線直通の形で全区間運行されておりました。
しかし、筑肥線の姪浜駅~博多駅の区間では昭和50年代から慢性的な渋滞が起こるほどになった事から、福岡市では姪浜駅~博多駅間で地下鉄工事がなされる事になりまして、さらには筑肥線の姪浜駅~虹ノ松原駅間を電化、そして旧呼子線として工事が進んでおりました虹ノ松原駅~唐津駅間を筑肥線として開業する事になり、結果博多駅~姪浜駅及び、虹ノ松原駅~山本駅間が廃止される事に決まったのでありました。
そして、昭和58年に画像の103系1500番台電車によりまして、電化されました筑肥線の西唐津・唐津~姪浜間及び、福岡市交通局(福岡市営地下鉄)を乗り入れるようになりまして、現在の西唐津・唐津~(地下鉄)博多間で運行されるに至っておりましたし、福岡市営地下鉄の車両であります1000系電車も筑前前原~博多間で乗り入れるにも至っておりまして、一転して運行形態も様変わりしております。
尚、現在JRの車両は上の画像1の305系電車、さらに303系電車に変わっておりまして、103系1500番台電車に関しましては6両固定編成は全廃となっておりまして、画像の3両固定編成のみ運行されております。
さて、当ブログでは、NO.2312・NO.2313の2回にわたりまして筑肥線の佐賀県唐津地区の旧東唐津駅~山本駅間の廃線跡区間探訪をご紹介しておりましたが、今回からは以前撮影しておりました福岡地区の姪浜駅~博多駅間の廃線跡区間探訪を3回にわたりまして皆様にご紹介してまいります。
ご紹介します前に、この旧国鉄筑肥線の廃線跡区間には、姪浜~博多間に5つの旧駅が存在しておりました。それが以下に表す通りではありますが、現在から考えまして、こう言った区間も運行していたのかと思わせる所も存在しておりまして、区間から考えましても今で言う都心部を避けた形で運行していた事も地元の方なら特にお分かりいただけるのではないかと思います。
姪浜~西新~鳥飼~小笹~筑前高宮~筑前簑島~博多
まずご紹介します画像は、現在の筑肥線及び地下鉄線の始終着駅姪浜駅であります。この駅は画像のように高架駅となっておりまして、駅舎や駅内からの様子でもわかりますように「地下鉄の駅」と言う印象が強くなっております。そのため、JRの主な駅にあります「みどりの窓口」は設置されておりませんし、以前は駅内にJR九州旅行がありましたが、現在は既に閉店しております。 上の画像の撮影地点から少々歩きますと、画像のように室見川へ至る事にもなります。この室見川にはもちろん橋梁が存在しておりましたが、その橋梁跡には画像にもありますように、新たに橋が架け替えられております。
(改札口前)
一方、こちらがかつてホームがあったと思われる部分です。ここは西鉄バスや昭和自動車(昭和バス)の路線バスが発着しておりまして、かつての姿は残念ながら見る事はできません。
そんなかつての駅構内は、画像中央にありますシルバー色の車の辺りが元のホームであったようでありまして、この駅は島式ホーム1面2線であったそうですし、さらに側線に関しましてはわかりませんが、もしも側線も存在していたようであれば駐車場の部分も構内の一つであったのではなかったかと思われます。
こうして、線路は画像のあたりを続いていたようであります。さらには分岐点等を考えますとビルがある部分も旧筑肥線であったでしょうから、どれだけ広かったのかが伺えるようでもあります。
場所は変わりまして、地下鉄のトンネル出入口がある部分からの撮影です。ちょうど画像の手前左側で旧筑肥線は分かれておりまして、それからこの後ご紹介しますように、福岡市の南側を通りまして、博多駅へと至るようになっておりました。
ちなみに、画像は地下鉄のトンネル出入口でありますが、このトンネルも西新や天神と言った都心部を運行して(地下鉄)博多駅へと運行している訳でもありますので、福岡市の南側を回っておりました旧筑肥線とは違った形である事には間違いないのではないかと思います。
画像は、上の画像10の分かれている部分からの撮影です。この部分に関しましては、廃止からしばらくの間は舗装もされずに放置されていた状態でわかりやすかった所でもありましたが、現在は舗装もされている事もありまして、かつての面影も消えつつある事が見ていて伺えておりました。
同位置の逆方向からの撮影です。このような部分からも、その先のかつての旧筑肥線があった事がわかる姿ではないかと思いますが、先述のように廃止されてからしばらくの間は放置されておりましたので、この姿からも本当によく道路化したなとも思ってしまいます。
上の画像の奥の部分であります、少々先へと進んだ部分からの撮影であります。この部分は、ご紹介しております姪浜駅方面への道路と接続している部分ですが、この部分も旧筑肥線でもありましたので、こう言った姿もかつての面影を感じる部分でもあります。尚、右側の茶色い建物は、地下鉄の変電所となっております。
こうして、旧筑肥線は以下画像の道路を奥の方へ向けましてさらに進んで行く事になります。画像右側の部分が、先述の姪浜駅南口方面から続いている部分でありまして、ここで廃線跡と交わっておりますが、この交わった道路をさらに進みますと室見川を渡りまして、そして旧西新駅へと進む事になります。
場所は変わりまして、画像は上の画像の場所から少々先へと進みました、室見川の手前の所からの撮影であります。この道路の部分が筑肥線の廃線跡にあたる部分でもありまして、画像の奥が姪浜駅方になる部分でありますので、ほぼ直線となっていた事もわかります。それにしても、上には福岡都市高速も通っておりまして、様子が大きく変わっている事もわかるでしょうか。
この橋の名称は、画像からもわかりますように「室見川筑肥橋」と呼ばれておりまして、この名称にある「筑肥」と言う所からもわかりますように、かつては筑肥線が存在していた事が伺えるのではないかと思います。さらに、この橋には動輪がデザインされておりまして、こう言った所からもかつてここに鉄道が存在していた事がわかる部分ではないでしょうか。
(動輪のデザイン)
この「室見川筑肥橋」から博多方を収めたものであります。やはり見ていましてちょうど直線の区間でもあった事がわかるのではないでしょうか。それにしても、画像からはわかりにくいですが、この道路も朝夕を中心に比較的交通量も多い所でもありまして、廃線の道路化がうまくいっている事がわかるのではないかと思います。
「室見川筑肥橋」より先へと進みまして、弥生二丁目交差点にて信号待ちの時に博多方を撮影したものであります。この通りも両側にマンションや商業施設等が立ち並んでおりまして、かつて鉄道が通っていたと言う面影は全く見当たらなくなっておりました。
こうして、旧西新駅付近にやってまいりました。この旧西新駅付近の道路は、画像のように緩やかなカーブが東西両方向に存在しておりまして、その膨らんである部分に旧西新駅があったようであります。
(姪浜方)
(博多方)~手前側には現在マンション「MJR」が建てられております
この旧西新駅は、早良区昭代三丁目に存在しておりました。そのため、現在の地下鉄西新駅があります西新地区よりは直線で南に約1キロも離れておりまして、それにもかかわらずなぜ西新駅と言う名称になっていたのか気になる所でもあります。
画像は、旧西新駅跡にありますコンビニ「ファミリーマート」であります。実はこのコンビニはJR九州の子会社でありますJR九州リテールの直営店でありまして、鉄道からはあまり離れていない印象であるのもわかります。尚、後にありますアパートも実はJR九州の社宅となっておりましたし、画像の反対側にはJR九州のマンション「MJR」が、さらにファミリーマートの隣にはJR九州系のドラッグストアであります「ドラッグイレブン」も存在しておりまして、旧国鉄から変わりJRとなりながらも関係の施設がこの周りに残されております。
(「ファミリーマート」隣のマンション「MJR」)~「ストリートビュー」より
(同、「ドラッグイレブン」)~「ストリートビュー」より
旧西新駅は、おそらくは画像の中央から右側あたりに駅舎が存在していたのではないかと思われます。さらに、「ファミリーマート」の玄関あたりがかつてのホームではなかったのではないかとも思われますが、どちらにしましてもその面影は「ファミリーマート」などを含みますJR系の建物以外残されていないのもおわかりいただけます。
かつての駅前の交差点にあたります昭代三丁目交差点です。実際この信号の中央部奥に駅舎が存在していたようですが、イメージしてみましてもどんな駅であったのかと言う印象が見ていて伺えます。尚、この廃止直後から、西鉄バスでは代替バスとして69番系統が運行されておりますが、かつては昭代三丁目始終点のバスも存在しておりましたので、もしかしたら折り返し場もあったのではないでしょうか?
こちらは、旧駅前周辺の姿です。よく見ましても、アパートやマンションが通りに多く立ち並んでおりまして、かつての姿は残念ながら見ることができなくなっております。尚、その反対側にあります建物が、先述の上の画像にあります「MJR」の部分となっておりまして、かつては両側にJR九州の社宅、そして中央部に旧西新駅の駅舎が存在していた事が伺える所でもあります。
(旧西新駅方向から)
今回は姪浜駅から旧西新駅までの廃線跡探訪をご紹介しましたが、こうして見ましても、かつての線路であった部分は道路化されておりまして、その面影も残念ながら見られなくなってしまっている事がお分かりいただけます。やはり、37年も経過している事がそう言った事を伺わせる部分なのではないかとも思いますので。それでも、旧西新駅に関しましてはJR関係の施設が残っているなど、かつて駅が存在していた事が裏付ける部分がいいのではないかとも思う所ではあります。次回その2では、さらに公共施設へと様変わりしました旧鳥飼駅や、面影が見られない旧小笹駅に関しましてご紹介しますので、次回もご覧になっていただきたいと思います。