河内街道を行く⑴ | としのブログ

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枚方から八尾への河内街道



現在は何処から何処に行くのも自動車での移動が簡単に出来て行けない処は無いだろう。
しかし、昔はもっぱら移動は徒歩が中心だった時代、町から町へ、また村から村へと移動する「街道」があった、私は現在の住所とその前に住んでいた場所の極近くを「河内街道」が通っており是非訪ねて見たかったので、何回に渡って訪ねて見ます、なるべくなら江戸時代から有ったとされている古い道筋を探して見ます。

河内街道は、枚方の堤町に有る京街道の交差から現在のJR八尾駅までの約30kmの村々を通す、江戸時代にできた街道で江戸時代は、ひらかた道と呼ばれていたようです。

この地図は、枚方ー寝屋川ー四條畷ー大東までの河内街道の道筋です、細かい部分は省略しています。

桜町交差点ーひらパー周辺へ


旧1号線(府道京都守口線)の桜町交差点です、この国道が出来たのは当然明治時代以降なので起点はここではありませんね。


この辺りは「郵便屋の渡し」の有った場所である。

その説明書きの石碑

また明治時代に、大きな洪水があってこの辺りが堤防決壊の場所らしい。


その説明書き。


桜町交差点から河内街道を巡ります。

河内街道の起点からひらパー周辺の地図です。


大正時代初期の同じ付近の地図です、淀川は京街道のそばまで迫っています。
河内街道の文字が読めます、当時は道路との併用区間がありました。
現在のひらかたパーク駅が、初代のひらかた駅でした、現在の枚方市駅はひらかた東口でした。1949年(昭和24年)に現在の呼び方になりました。



A  のところです「西見附」と言う交差点と言うか地名で、江戸時代の旧河内街道はここが起点です。

せっかくだから少しだけ京街道を見てみます。


この付近の京街道の説明です、京都と大阪の中間に有る枚方宿だったのです。


その枚方宿の代表的な、江戸時代から有る鍵屋旅館です。


鍵屋旅館の主屋は、現在枚方市立枚方宿鍵屋資料館になっています。


鍵屋旅館の主屋は、1811年(文化8年)の建築だそうで、表玄関は京街道に面し、裏は淀川が直ぐにあり、当時は堤防が低かったのでしょう。



鍵屋旅館の内部です。


では、河内街道に戻ります。
B 少し進むと右手にお寺があります、遠くにひらパーの観覧車が見えてきます。


立派な鐘楼もあります。


浄土真宗本願寺派「誓願寺」です。


そのまま進むと京阪電車が見えてきます、ちょうど8000系が横切ります。


C 京阪電車に出ると河内街道は右折します。


ひらかたパーク駅です。

私の好きな5000系が来ましたラブ


D この踏切を渡りますが、旧河内街道は真っ直ぐ伸びていたと思われます、明治43年に開通した京阪電車よりかなり古くからあった河内街道なので真っ直ぐ伸びていてもおかしくはありませんね。


E 枚方パークのジェットコースターとフリーホールです。




F 現在は京阪電車の東側を南下します。


G ここで旧河内街道が別れます。

つづく