1988年に営業運転を開始し、小田急にステンレス車体の流れを決定付けた1000形。
先輩である8000形が編成のバリエーションが少ないのに対し、1000形はかなり多種多様な編成が揃っていることが特徴です。

1000形は営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れを前提とした形式ですが、最初に登場したのは4両編成で、合計で8本が製造されました。
運行を開始した1988年3月22日のダイヤ改正では各停の8両化が実施され、1000形はそれに合わせて増備されています。

このことから、小田急の慎重さが分かる部分が二つあります。
それは、すぐに1000形を地下鉄に直通させなかったことと、最初から8両固定編成を製造しなかったことです。

地上用の編成を最初に増備したのは、各停の8両化を行う必要があったことも関係していると思いますが、小田急で初めてVVVFインバーター制御を採用したため、慎重な対応をとったものと考えられます。
登場直後の1000形は、小田急線内での運用も限定的で、そこからも慎重な姿勢がうかがえます。

そして、4両を2本繋いで8両を組んだことも、小田急の慎重さなのだと思います。
8両の各停は分割併合を行わないため、このタイミングで8両固定編成としても大きな問題はありませんでした。
4両を2本繋いだ8両としたことで、様々な運用に使用できるメリットはありましたが、現実には8両で使われる機会のほうが圧倒的に多く、1993年の増備車では8両固定編成が登場しました。

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この傾向は地下鉄直通用の編成にも見られます。
9000形に続き、1000形も4両と6両を繋いだ10両で直通運転を行いました。
こうすることで、直通運用以外にも充当することが可能になるのです。

しかし、直通運用以外に充当される機会はあまりなく、1992年には10両固定編成が登場しています。
その際に4両と6両の一部が地上用に転用されており、中間に入っていた先頭車が役に立ったように思われますが、1000形で1000形を置き換えているため、本質的にはあまり意味がありません。

数年後に8両や10両の固定編成が登場していることからも、当時の小田急の慎重な姿勢が見えてきますね。
近年は固定編成化が一気に進み、小田急もだいぶ変わったように感じます。