かつて『出世列車』と呼ばれた列車がありました。昭和30年代、集団就職を始めとした東北から東京に働きに出る為、すし詰め状態の夜行普通列車で上京した若者が成功して帰省する際、寝台列車でゆったりと帰郷する姿が出世の象徴とされていました。

特に急行『津軽』特急『あけぼの』が出世列車と呼ばれ、秋田・青森方面から上京した若者は上野駅で『いつかあれに乗って故郷に錦を飾る』ことを夢見ていたそうです。

 理由はよく分かりませんが、同じく上野-青森間の夜行列車でも『はつかり』『はくつる』『ゆうづる』『八甲田』など東北本線・常磐線経由の列車は『出世列車』とは呼ばれず、奥羽本線系統の夜行列車だけが何故か呼ばれていました。


 そんな『あけぼの』ですが、一関産まれ・仙台育ちの私には縁が薄く、上越線系統の夜行列車と同じく、『東北の列車』と言われても馴染みがありませんでした。


 しかし、1990年、転機が訪れます。


 山形新幹線の工事に伴い奥羽本線の狭軌車両の通行が出来なくなり、迂回路として陸羽東線が選ばれ、『あけぼの』が小牛田までED75重連で東北本線を北上し、非電化区間区間はDE10重連で運行されるようになり、宮城でも『あけぼの』が運行されるようになりました。


 これにより『あけぼの』を見るチャンスができたわけですが、通過は下りが3時前後、上りが1時前後と当時小学生~中学生が見に行くには現実的ではなく、結局『鳥海』と統合される形で上越線回りになるまで出会うことはありませんでした。


 陸羽東線『あけぼの』の廃止後、再び『あけぼの』が東北本線を北上しました。2011年7月に発生した豪雨災害の影響で上越線が寸断され、『あけぼの』は再び迂回ルートで運行されることになりました。


 今回は何故か北上線経由。ノウハウがある陸羽東線経由で運行してもよかったと思いますが、陸羽東線『あけぼの』を担当した新庄機関区のDE10が全廃されていた為でしょうか?


 『あけぼの』運転再開から上越線復旧までのわずか3日間でしたが初めて岩手を走る『あけぼの』に大勢のファンが集まりました。


 これも私は時間帯や仕事で行けず。。。その3年後『あけぼの』は臨時降格、その後永久に運休(廃止手続きがされていない為)となり一度も会うことが叶いませんでした。コロナが完全に落ち着いたら保存されている小坂レールパークに足を運ばねばと思っています。

 模型というものは歴史資料でもあります。出会うことが叶わなかった『あけぼの』は1/150になって宮城野旅客鉄道にやってきました。

 ゴロンとシート組み込みの9両編成。北上線『あけぼの』はこのままで良いですが、陸羽東線『あけぼの』はゴロンとシート登場前なので2両を外し、オハネフ・オハネを4~6両組み込む必要があります。


 24系の白帯はトミックス製しか所有していない為カトーカプラー標準装備の本編成とは併結ができません。

 よって北上線経由で仕立てました。なお、北上線経由の時はヘッドマークは掲げられなかった為、未装着としました。陸羽東線組成を組んだ時に付けます。



 仙台色の濃い宮城野旅客鉄道ですが、地元岩手カラーを出してみました。固有の車両がたくさんある仙台地区と違いJR化後もしばらく国鉄標準型が居座り、本州最後までレッドトレイン(ED75+50系)が走っていた地区なので『らしさ』を出しにくいエリアでもあります。個性が出るのは国鉄標準型が去った1990年代半ば以降になります。まあ、設定が90年代なので先日の山陰本線の記事と同じく客車普通列車がいること自体が個性になるかもしれませんが。。。


 東北本線系統中心の車両群の中、短い期間ですが小牛田・『北上』まで東北本線を『北上』した(ん?)あけぼのが加わりました。充実する夜行列車のみならず昼行特急も入れていきたいと思います。


 ではまた(*^ー^)ノ♪