6月24日は、新木場から東京まで、東日本旅客鉄道(JR東日本)の205系のM23編成(クハ205-9F、京葉車両センター(千ケヨ)所属)による、武蔵野線から来た東京行き🚃に乗りました。

武蔵野線の205系🚃は、1991(平成3)年に8両化に伴う輸送力増強用として導入された車両であり、当初は、メルヘン顔の5編成が新製配置されていました。

2002(平成14)年からは、中央・総武緩行線や山手線からの転用編成により、103系が順次置き換えられ、2005(平成17)年12月10日のダイヤ改正で一時的に205系に統一され、103系に替わる武蔵野線の顔となっていたのであります。

武蔵野線の車両は、2004(平成16)年3月12日まで豊田電車区(現、豊田車両センター(八トタ))所属だったので、6両編成の時代には、青梅線や五日市線と共通運用となっていました。

武蔵野線で全て8両編成となったのは、1996(平成8)年12月1日のことであり、それまでの間は、201系の6両編成も活躍していました。

2004年3月13日には、武蔵野線の車両が、京葉線の車両と同じ京葉電車区(のちの京葉車両センター)所属となったけど、その理由は、豊田電車区(当時)と武蔵小金井電車区(現、武蔵小金井派出所)に分散配置されていた中央快速線の車両(当時は201系が使われていた)を豊田区に集中配置させる為でありました。

このことは、2006(平成18)年3月18日に横須賀・総武快速線の車両(E217系)が鎌倉車両センター(横クラ)と幕張車両センター(千マリ)の分散配置から鎌倉車両センターに纏められたことに準じています。

三鷹車両センター(八ミツ)所属の中央・総武緩行線の車両も、2003(平成15)年12月まで、三鷹区と習志野電車区(元津田沼電車区、現在は習志野運輸区、留置線となっている)に分散配置されていました。

京葉車両センターのほうは、1986(昭和61)年3月3日の西船橋~千葉港(現、千葉みなと)間で開業した当時、津田沼電車区→習志野電車区の新習志野派出と呼ばれていたので、当時活躍していた水色の103系に、千ツヌ→千ラシの表示がありました。

1990(平成2)年3月10日の京葉線の全線開業の時に拡張されたと共に、電車区への格上げにより、京葉電車区となったのであります。

今年3月14日には、南武線と鶴見線の車両基地である中原電車区が、鎌倉車両センター中原支所となり、JR東日本から車両配置のある電車区が全滅していました。

中原電車区の運転士部門は、川崎運輸区に移管されたけど、車両の表記は横クラではなく、横ナハのままとなっています。

武蔵野線の東所沢駅付近にある東所沢電車区は、車両配置を持たない車庫(留置線)となっているけど、豊田区所属時代には、東所沢電車区常駐となっていました。

武蔵野線の路線

府中本町~北府中~西国分寺~新小平~新秋津~東所沢~新座~北朝霞~西浦和~武蔵浦和~南浦和~東浦和~東川口~南越谷~越谷レイクタウン~吉川~吉川美南~新三郷~三郷~南流山~新松戸~新八柱~東松戸~市川大野~船橋法典~西船橋→(京葉線、南船橋、海浜幕張、東京まで直通運転、各駅に停車)

むさしの号は、八王子~大宮間、府中本町→大宮間、しもうさ号は、大宮~西船橋、新習志野間、大宮→海浜幕張間(どちらも武蔵野線の車両)での運転であり、八王子方面へは、新小平駅、大宮方面へは北朝霞駅(しもうさ号は武蔵浦和駅)から分岐していくことになるけど、むさしの号が連絡線の配線の関係で西浦和駅を通過するので、注意が必要であります。

乗換駅🚃🔃🚃

府中本町 南武線

西国分寺 中央快速線

新秋津 西武池袋線(秋津駅)

北朝霞 東武東上線(朝霞台駅)

武蔵浦和 埼京線

南浦和 京浜東北線

東川口 埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線🏟️⚽

南越谷 東武スカイツリーライン(伊勢崎線、新越谷駅)

南流山 つくばエクスプレス線

新松戸 常磐緩行線(東京メトロ千代田線と直通運転)、流鉄流山線(幸谷駅)

新八柱 新京成電鉄新京成線(八柱駅)

東松戸 北総鉄道北総線、京成成田スカイアクセス線(成田空港線)✈️

西船橋 京葉線(南船橋、海浜幕張、東京まで直通運転)、中央・総武緩行線、東京メトロ東西線、東葉高速鉄道東葉高速線

新小平駅から東へ600m歩いたところに西武多摩湖線の青梅街道駅があるけど、乗換駅とは認められていないです。

新小平駅は、武蔵野線(旅客線)の二大トンネル区間(東村山トンネルと小平トンネル)に挟まれた2面2線の駅であり、1991(平成3)年10月11日の台風🌀の影響により水没していたことがありました。

これによって、西国分寺~新秋津間が12月10日まで不通となり、府中本町~西国分寺間、新秋津~南船橋、東京間での折り返し運転が行われていました。

その間は西国分寺~新秋津間でバス代行が行われ、西武線等での振替輸送が行われていたけど、青梅街道駅が新小平駅の代わりに使われていました。

こちらは、貨物列車も通る路線であるので、迂回ルートや運休の措置が行われていたことで、貨物列車にも影響を及ぼしていました。

12月11日には運転が再開されていたけど、再発防止策も行われるようになっています。

武蔵野線の新八柱駅は、新京成線への乗換駅である地下駅であり、新京成線の八柱(やばしら)に対して、新八柱(しんやはしら)と、濁らない読みとなっているので、西武池袋線の江古田(えこだ)駅が、都営大江戸線の新江古田(しんえごた)駅と読み方が異なっていることに似ているところがあります。

武蔵野線は、1973(昭和48)年4月1日に府中本町~新松戸間が開業したのが最初であり、当初は長大トンネル対策により、A-A基準を満たしていた101系1000番台が使われていました。

国分寺~北府中~東京競馬場前間を結んでいた下河原線が武蔵野線と入れ替わりに廃止されていたけど、そのうちの北府中駅が下河原線から受け継がれた駅となっています。

東京競馬場前駅の廃止後は、府中本町駅が受け皿となっているので、府中本町駅の臨時改札口や東京競馬場(府中競馬場)🏇への連絡通路があります。

府中本町駅は、1928(昭和3)年12月11日に南武線の駅として開業した駅であり、武蔵野線の乗り入れによって現在の形の駅に改良されていました。

1番線(南武線上り、登戸、武蔵小杉、川崎方面乗り場)は、武蔵野線との交差の関係により半分地下トンネル内にある半地下式となっているので、乗り換えに時間が掛かる状態となっています。

1976(昭和51)年3月1日には、鶴見~梶ヶ谷貨物ターミナル~府中本町間が開業していたけど、この区間は、普段貨物列車しか通らないので、武蔵野貨物線と呼ばれています。

1978(昭和53)年10月2日には、西船橋まで延長されて現在の路線へ。

1988(昭和63)年12月1日には、京葉線の新木場~南船橋間、千葉港(千葉みなと)~蘇我間、市川塩浜~西船橋間(高谷支線)が開業し、既に開業している西船橋~南船橋間(二俣支線)と合わせたデルタ線が形成されたことにより、武蔵野線と京葉線の直通運転も行われるようになっていました。

1990年3月10日には、武蔵野線との直通運転が新木場から東京まで延長され、快速運転(休日にはむさしのドリームと呼ばれていた)が行われるようになったけど、2013(平成25)年3月16日には、各駅停車に格下げされていました。

新三郷駅は、1985(昭和60)年3月14日に開業した当時は、武蔵野操車場があった関係により、下りホーム(新松戸、西船橋方面)と上りホーム(南浦和、府中本町方面)の間が360m離れていました。

1999(平成11)年3月20日に上りホームが下りホーム側に移設されたことで、このような問題が解決していたのであります。

新三郷駅前には、武蔵野操車場跡に出来たららぽーと新三郷やイケア(IKEA)新三郷があるので、以前と想像出来ないほど変化しています。

同じJR東日本の白新線の東新潟駅(新潟県新潟市東区)や、JR西日本の大和路線とおおさか東線の久宝寺駅(大阪府八尾市)も、操車場に挟まれた上下ホームの離れた駅となっていたけど、前者は1989(平成元)年10月30日に、後者は1997(平成9)年7月28日に上下ホームの統合により現在の形に変更されていました。

武蔵野線の205系は、最盛期には42編成あったけど、中央・総武緩行線からのE231系0番台や209系500番台の転用が進められていることにより運用離脱が進められ、現在はM4,6,17,20,22,23編成(全て元山手線)の6本となってしまいました。

そのうちのM17,20,23編成の4号車と5号車は、元埼京線の大窓となっているけど、6月3日に運用離脱されたM8編成もこうなっていたのであります。

武蔵野線では、6M2TとM車の比率を上げるという決まりがあったけど、山手線からの転用によりM車が不足してしまう為に、武蔵野線入りした時にVVVF化(5000番台化)させたことで、4M4Tでも従来の6M4T編成と同様の出力を得ることが出来るようになっていました。

今回乗ったM23編成🚃は、先頭車が元山手線のヤテ9編成(1985年製)、中間のM車が元ヤテ13編成(1985年製)と33編成(1986(昭和61)年製)、T車が元埼京線のハエ23編成(1990年製)から転用された寄せ集め編成となっています。

この後に東京駅で撮影した、M17編成(クハ205-10F)も、元山手線(ヤテ10,57,59編成)と元埼京線(ハエ22編成)の寄せ集め編成であります。

武蔵野線で活躍していた205系🚃は、42編成全てがインドネシア🇮🇩のKRLジャボタベックに輸出されることになっているので、配給輸送の時にジャカルタの表示が出ていることにより、ジャカルタ行きがアピールされています。

残りの6編成も、インドネシア🇮🇩に輸出される予定となっているので、今回は、インドネシア🇮🇩(ジャワ)の地に渡る前のM23編成に乗ることが出来たのであります。

武蔵野線で活躍していた103系も、2編成がインドネシア🇮🇩に輸出されていたけど、残念ながら廃車となっていました。

このM23編成は、山手線で活躍していた編成なので、山手線で205系によく乗っていた頃を思い出しました。

山手線🚃♻️は今年になってからE235系に統一されたので、山手線を追われた後に中央・総武緩行線で活躍中のE231系500番台が1世代前、1985年から2005年まで山手線で活躍していた205系が2世代前の車両となっています。

武蔵野線の205系の残りの編成は、早ければ年内に運用が終了する見込みである為に、カウントダウンの状態となっているので、乗車、撮影はお早めにということになります。

このように、新木場から東京まで、武蔵野線から来た205系に乗ることが出来て良かったです。