栗山町に炭鉄港関連の施設?あったかな?そんな思いで一覧表の施設名を見ると、小林酒造とあります。
いやいや、栗山町にも炭鉱があったんです。北炭角田(かくた)炭鉱。
その専用線が国鉄栗山駅ー夕張鉄道新二岐間にありました。
小林酒造は明治33年に札幌から豊かな水を求めて移転。
栗山町の農業の発展と空知の炭鉱夫に愛される酒として知られ、「北の錦」の名前は酒好きに広まりました。
大酒飲みに思われている私は、実は酒は苦手で……。
正確には日本酒は苦手です。
ビール、ウヰスキー、焼酎は飲めます。好きです。
でも日本酒はダメ!あの匂いだけで具合悪くなります。
でも日本酒好きには興味津々の資料館も併設されています。
そんな「小林酒造」で「炭鉄港カード」配布中です。
赤レンガの建物が並ぶ小林酒造建造物群がカードになっています。
分類は【炭】。炭鉱マンが愛した酒。
北海道銘菓のひとつ、「日本一のきびだんご」でお馴染み谷田製菓は近所です。
2つがコラボした北の錦の酒粕入りのきびだんご「北の錦 甘酒餅」が直売所で売られています。
これは私でもOKです。
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炭鉄港とは
令和元年日本遺産に認定された「炭鉄港」。
「北海道は、明治初期から昭和の高度成長期までの100年で、人口が100倍となる急成長を遂げました。
薩摩藩の島津斉彬が構想した「北門の鎖鑰(さやく)」、開拓使が主導した「殖産興業」、日露戦争による「新たな領土」、太平洋戦争の「国家総動員」、その後の「経済復興」と、《炭鉄港》の歴史は、時々の国の政策に沿って日本が近代国家として自立・発展する過程を一身に体現しています。
その中核となったのは石炭というエネルギーであり、そこから派生する鉄鋼・港湾・鉄道を含めて、歴史をたどるための手がかりは100㎞内外の範囲に多数存在しており、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」のサブストーリーとも言えます。
これまで100年にわたり日本で最も忠実に《近代》を実践してきた足跡を顧みることは、今後100年の日本の進路を考える上で、極めて意義深いものがあります」【特定非営利活動法人 炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団 HPより】
炭……空知の石炭
鉄……室蘭の製鐵
港……小樽・室蘭の港湾
これらを結んだ鉄道の「鉄」も含まれています。