下津井電鉄の思い出 瀬戸大橋フィーバーに沸き、散った軽便鉄道 | HIDEKYUブログ

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 子供の頃の鉄道の本に、どの鉄道線にも接続していない鉄道として、下津井電鉄が紹介されていました。児島~下津井を結ぶ鉄道で、当時は他に、連絡駅を持たない鉄道、しかも軽便鉄道ということで、興味を持ってました。ずっと昔はそんな路線もあったのでしょうが、1980年代には、軽便鉄道も貴重価値となり、さらには単独路線は、下津井電鉄だけやったと思います。ご多分にもれず、赤字に苦しむ鉄道で、元々は宇野線の茶屋町で国鉄に接続してたのですが、バスに喰われ、茶屋町~児島間を廃止にしました。下津井電鉄にとっては、鉄道を守るための苦渋の判断をされたと思うのですが、当時、子供の頭ではそこまで考えは及ばず、「そっち(茶屋町~児島間、唯一、他路線との接続する側)を廃止にしたらアカンやろう」なんて勝手に思っていました。

 ところが、1988年にとんでもないことがおきました。っというか、計画どおりやったのですが、瀬戸大橋が開通し、JR本四備讃線が開業、児島駅ができました。児島は、今やジーンズの町として、またJR西日本とJR四国の境界駅として重要な駅ですが、さらには下津井電鉄と接続する駅となりました。下津井電鉄は観光路線へと方向転換し、児島駅の移転新築や各駅の整備、そして新造車2000系「メリーベル号」をデビューさせました。

 しかし、期待した瀬戸大橋の効果は思ったように伸びず、瀬戸大橋建設のために作った道路が、一般開放され、皮肉にもそれが下津井電鉄の鉄道としての使命に止めを刺す結果になり、1991年1月1日、鉄道線は廃止されました。

 そんな下津井電鉄を訪れたのは、思えば廃止の半年前の1990年6月でした。もう観光客も疎らで、なんとも切ない思いをしたことを思い出します。この時、乗車したのは、フジカラー号。

 下津井駅構内には貴重な車両たちが並んでいました。

 

 下津井駅舎は、かつての下津井 - 丸亀航路でにぎわった繁栄を伝えてくれるような立派な駅舎でした。

 

 

 夕暮れ迫る下津井の港から、小さなナロー鉄道に大きな夢を持たせ、輸送の使命を奪った瀬戸大橋を眺めたのが思い出として残っています。

 

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