幅が2mの大きな側扉を採用し、1000形の番台区分として登場したワイドドア車。
小田急に限らず、この時期は各社でラッシュ時の対策を重視した車両が登場しました。

対策は大きく2パターンに分かれており、小田急1000形や東京メトロ05系のように通常より扉幅が広いワイドドアを採用したものと、JR東日本205系や京王6000系のように多扉を採用したものがあります。
東京メトロは、路線の特性に合わせて両方のパターンを採用しましたが、小田急ではワイドドアのみを採用し、2000形や3000形へと発展させていきました。

全国的には多扉車の採用例のほうが多くなっていますが、小田急はなぜワイドドアを採用し、その後も採用し続けたのでしょうか。

1000形にワイドドア車が登場する少し前まで、小田急には3扉と4扉の通勤型車両が混在していました。
最後の中型車となった2400形が廃車になったことで、1989年に小田急は20mの4扉車に統一されたのです。

扉の位置が統一されたことで、小田急ではしっかりとした整列乗車が可能となりました。
ラッシュ時の対策を重視した車両を導入するにあたって、小田急でも多扉車の検討が行われましたが、整列乗車が崩れることを避けたため、1000形はワイドドアを採用したのです。
ようやく扉の位置を統一できた小田急としては、すぐにそれを崩すというのは考えられないことだったのでしょう。

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こうしてワイドドアを採用した小田急ですが、実際に運用を始めると上手くいかなかった部分もあり、後継となる2000形では幅を少し狭くして1.6mとしました。
1000形のワイドドア車も後に改造を行い、現在は幅が1.6mとなっています。

輸送力が限界に近付く中で、切り札として登場したのが1000形のワイドドア車でした。
複々線が完成して多少の余裕が生まれた今となっては、遠い昔の出来事のように感じてしまいますね。