数日前に「4両までしか入れない京成金町線の柴又駅のホームが6両対応に延伸された」というつぶやきが話題になっていて、ほぼ同時に別のニュースで「鉄道車両の後継問題」について触れていて、京成で新しい車両が6両以上しか対応していなく4両編成は古い車両を止むなく使い続けているという内容の記事も見たことから、ついに6両化で車両置き換えに踏み切るという決断をしたのかと思ったのですが、結局のところは柴又駅が昔から元々6両対応だったということに後で気付きました。
当初は、「6両対応工事に着手したのなら見に行ってみよう」というつもりだったので行く理由はなくなったのですが、寅さん記念館など他に見に行きたいものもあったので、まずは久々に金町に行きました。


金町駅南口に出たら、駅前ロータリーに面した場所がビルの新築工事中でした。以前は小さい店舗などがごちゃごちゃと集まっていたかと思うのですが全てなくなってしまい、一昨年12月に着工して来年夏の完成予定で再開発ビルの建設が進められています。
駅前ロータリーからは都内完結路線以外に三郷方面など都県境を越える路線も多数出ていて、しかも距離が長めの路線もあるだけに23区内の駅ながら後乗り方式のバスの割合が高いです(京成バスは都外に出るものも前乗りですが)。


埼玉県方面のバスは東武バスのほかに、「マイスカイ交通」という超ローカルな会社も乗り入れています。マイスカイというのは、三郷・八潮・草加・越谷・吉川の頭文字で、新規参入当初は名前の通りこれら地域ほぼ全てに次々と新路線を開拓したのですが、採算が合わなかったり、ICカードに対応していないという小規模事業者特有の弱点もあったなどで短期間で撤退してしまい、現在は金町駅に乗り入れる路線以外は三郷市内だけで終わっているものばかりだそうです。


京成金町駅は駅前広場の片隅にあり、支線とはいえ大手私鉄の始発駅しかもJRとの乗り換え駅なのに、非常に肩身が狭そうに見える立地ですね。


しかも、金町線自体が単線というのもありますがホームが一つしかありません。


金町線が4両までしか対応していないのは、京成金町駅のホームがこれ以上延伸できない構造であるも理由の一つで、駅のすぐ南側には歩行者用ながら商店街に直結している踏切があるし、すぐ北側にも道路があるのでこちらにも延伸できないし、それ以前にホーム用地の確保自体が不可能と思われ、どうしてもホームを伸ばしたいのであれば、高架化や地下化で移設するしか方法はありません。
そして、駅のすぐ南側の踏切を渡った先は栄通りという小さな商店街で、居酒屋などが多いので午前中だとほとんど開いていないのですが、昔ながらの雰囲気のレトロな街並みがいいです。


そして、下町~郊外にかけての駅前に多い個人経営の駐輪場は金町にもいくつかありますね。再開発が行われた地域だと公共の大きい駐輪場ができて個人経営のところはなくなってしまうことが多いですが、もしかしたらここも近い将来なくなってしまうかもしれません。


また、京成金町駅のホームの真下には細くて薄暗い地下道もあり反対側に抜けられますが、抜けた先はごく普通の住宅街でした。
踏切対策で作ったものかと思いますが、京成金町線の本数を考えるとここが開かずの踏切になることはないので、地下道の入口周囲に住んでいる人でもない限り利用することはなさそうですね。


金町駅周囲を見終えた後は線路沿いを歩いて柴又方面に進みました。
駅を出るとすぐに大きい踏切と高架道路がありこれは水戸街道(国道6号線)で、水戸街道の本線はこの手前で陸橋に上がったらそのまま江戸川を渡りきるまでずっと高架になっています。ビルなどが多く立ち並ぶ駅前に単線の線路と高架道路の組み合わせが見られる場所は地方都市だとよくありそうですが、都内だと極めて少ないはずです。


その後は柴又方面に向けて線路沿いを歩き、気になるカフェがあったり、あのスペインのFCバルセロナのロゴ入りバスが止まっていて、近くにFCバルセロナ公認の子供向けサッカースクールがあることを知ったり、柴又七福神・宝袋尊の良観寺などを見て柴又駅に到着。


「男はつらいよ」の寅さんが旅立つ場所ですので、駅前ロータリーには寅さん像とさくら像があります。

柴又駅到着後は食事をする場所を探しながら駅周辺を散策。
そうしたら、踏切のそばに有名人の似顔絵が多数掲げられているコインランドリーを発見。壁から天井まで多数の似顔絵が飾られていますが、ここの経営者が描いたものだそうです。


次いで立ち寄った参道入口横にあるハイカラ横丁という駄菓子店がレトロな感じでなかなか面白い店でした。
帝釈天の参道は平日に加えこういうご時世であるせいもあり、人通りは極めて少なかったし、店で客と店主が世間話をする声が聞こえましたが、「(頼みの綱であった)外国人が全く来なくなった」というなんとも悲痛な内容でした。一日も早く感染そのものや不安が解消され観光客が戻って来られる状態にならないと、特にこういう観光頼みの業種の人にとっては死活問題だと言えます。この叫びは自治体や政府には聞こえているのでしょうか。


そして、参道の中央付近にある草団子の「亀家本舗」にて食事にし、「季節のランチ」を注文。
ぶっかけうどん、ミニ野菜天丼、草だんごのセットで、一見シンプルそうに見えてもそれなりにボリュームはありますし、色々なものを同時に味わえて看板商品の草だんごもついて、お得なセットでした。


食後は帝釈天を参拝。
参道もでしたがやはり境内も人がほとんどいませんし、彫刻ギャラリーや庭園なども閉鎖されたままになっていて再開していません。そして御朱印も直書きは行なわず書置きしたものだけの取り扱いになるそうです。


その後は、昔ながらの丸い地球瓶が沢山並んだ煎餅店で唐辛子中辛煎餅を1枚買って食べてから、帝釈天から少し離れたところにある寅さん記念館&山田洋次ミュージアムを見学。隣接する山本亭とセットの観覧券を550円で売っているので、これを買って入館しました。
寅さん記念館の最初は、映画づくりの現場の様子の紹介です。制作スタッフの仕事内容についての解説や映画の看板などを見ました。
次は寅さんの生い立ちのジオラマで、映画「男はつらいよ」の寅さんになる以前の幼少期~16歳での家出~的屋見習いの頃~柴又に帰ってくるまでの様子が音声付きのジオラマで紹介されていました。


次いでとらやとタコ社長の朝日印刷の実物大セット、とらやと朝日印刷の位置関係がよく分かるジオラマ、帝釈天の参道などのジオラマがありました。


そしてこの部屋には、葛飾区と京成電鉄が発行したものと思われる江戸川水郷自然公園の案内が展示してあったのですが、なんとまだ新京成線が松戸まで乗り入れていない頃のものでした。
新京成電鉄の大部分の区間が陸軍鉄道連隊演習線を戦後に民間転用したというのは有名な話ですが、松戸付近は演習線ではなく新設した路線で、1955年(昭和30年)4月21日に松戸~初富が開業して全線開通になっています。 開通するまでの間は連絡バスを運行していたそうで、この案内はその当時のものですね。


この次の部屋は鉄道関連の展示物で、入口に「葛飾柴又鉄道故郷駅」と架空の駅名が書かれているほか、改札口を模した造りになっているのが面白いです。1372mm→1435mmに改軌した頃の案内も貼られていました。


ここにも昔の京成路線図が貼られていたのですが、やはり新京成線の松戸~鎌谷初富(後に初富と改称)間はバス連絡になっているほか、鉄道路線以外に一部のバス路線が京成のネットワークを構成する路線の一つとして書かれていて、京成バスの京成金町~水元~戸ヶ崎、京成船橋~寺台~印旛沼~木下に加え、成田バスの京成成田~佐原~香取・大船津、小湊バスの京成千葉~五井と小湊鉄道の五井~上総中野も書かれており、まるで京成上野から小湊鉄道の上総中野や大船津(現在の鹿嶋市)が1つの路線で繋がっているように見えるのが印象的でした。
金町から戸ヶ崎の路線は現在も京成バスの一般路線バスかつ金町地区の主力路線として存在しますが、他のバス路線は場所が場所だけにおそらく現存しないでしょうね。


次いで展示室にある帝釈人車鉄道の動く模型を見ました。
帝釈人車鉄道とは明治時代に柴又と金町を結んでいた人力の鉄道で、これが後に京成電気軌道に買収されて現在の金町線になりました。

動く模型の後ろには、帝釈人車鉄道の客車の実物大の復元車両も展示されていて、人力だけに小さい車両ですが、これに6~10人乗せて人力で押して走らせていたというのだから驚きです。


寅さん記念館の最後の展示物は「寅さんが愛した鈍行列車の旅」というミニシアターで、昔の客車のボックスシートを模した座席と車窓をイメージしたスクリーンが3組並んでいて、ボタンを押すと各作品に登場した鉄道に関連した風景などが上映されます。


荷物が雑然と乗った網棚まで設置されているし、「オハ35 2015」という車番まで書かれていて、非常にリアルです。オハ35の電気暖房搭載車は0番台の原番号+2000で改番されたそうですが、この車番は実在したのでしょうか?
そして、ここの映像に登場する国鉄ローカル線や中小私鉄の中には廃線になってしまったものも少なくなく、こういう形で後世に記憶を伝えていくという仕掛けは非常にいいですね。


寅さん記念館を出ると隣接して山田洋次ミュージアムがあります。
ここでは男はつらいよ以外の山田氏の監督作品に関する展示を見ることができ、1室だけなので寅さん記念館のおまけのようにも見えてしまうのですが、撮影機材やフィルム、映画ポスター等、小さいながらも見ごたえのある展示施設でした。
ボタンを押すと予告編が流れるスクリーンもあったのですが、ハナ肇主演の「喜劇一発勝負」(1967)の予告編がなかなか面白かったです。
ハナ肇(1930~93)というと私個人的には昭和終わり頃のコントの銅像役というイメージだけが強いのですが、男はつらいよが大ヒットする以前の山田洋次監督作品では常連の役者だったそうで、この辺のことは知らなかっただけに勉強になりました。


寅さん記念館&山田洋次ミュージアムを見終えた後は山本亭を見学。
山本亭は大正時代に建てられた和洋折衷の住宅で、入口の長屋門も和風建築の瓦屋根ながら窓にステンドグラスを使っているところが印象的でした。
そして内部は、洋風の応接室「鳳凰の間」、人力車が置かれた玄関、広大な庭園などが見事でした。


山本亭を見終えた後は江戸川の河川敷に出て矢切の渡しのところに行ってみましたが、運航していない様子でした。


江戸川河川敷を見た後は柴又駅に向かって帰路につきました。


駅構内に「Tiger Railway」と書かれた謎の路線図らしきものがあり、「男はつらいよ」の全作品名を駅名に見立てて並べたもので、よく見たら寅さんの顔になっていることが分かりました。
架空鉄道趣味的にはこういうネタは好きですし、これのレベルの高さは私自身の趣味でも見習いたくなります。
余談ですが、この「Tiger」の字体といい黄色い字といい阪神タイガースのロゴに似ていますが、これを作った人は阪神ファンなのでしょうか?何か阪神ファンを喜ばせるお祭りごとが起こった際、くれぐれもここに集まって駅前の寅さん像を江戸川に胴上げでダイブさせるようなことはしないで下さいね。


帰りの電車は3500形でしたが、3600形のVVVF改造車(通称ターボくん)以外だと今はこの形式しか金町線には入れません。


乗った編成は東急車輌・昭和48年製というかなり古いロットになりますが(3500形は初期車だけ更新されるも、後期車は更新が中止され早々廃車されてしまいました)、この頃に製造された車両で現役のものが減っているだけに、昔の紺色の東急車輌銘板はかなり久々に見た気がします。


そして天井では扇風機が回っていますが、ラインデリアなどに移行して送風機が天井にビルトインされるようになって久しいだけに、こういう車両を見かける機会もめっきり減った気がします。
きれいに整備はされているので大至急置き換えなくてはいけないという訳でもないと思いますが、今後の置き換えはどうするのでしょうね。
ほぼ金町線専用になってしまう3100形の4連を新造するのか、3700形あたりの従来車を短編成化して使うのか、あるいは運用の制約を解消すべく6両化に踏み切るのか、どうなるのか気になるところです。


そして京成高砂で京成本線に乗り換え。
京成高砂駅は、成田スカイアクセス線開業時に線路容量の問題で金町線を他に追いやる形で金町線ホームだけ高架化され、その後は何の動きもないまま現在に至っていますが、一応本線系統も含めて全面高架化するという構想はあるようですね。
ただ、航空写真などで見ると一目瞭然なのですが、現在の金町線ホームは本線の線路に対し斜めに設置されていて、本線も高架化する際には移動するなどして真っ直ぐに作り変えなくては不可能です。最初から本線の高架化を想定して端っこにホームを作ればよかったのに、それはできなかったのでしょうかね?
その後は天気予報の雨雲レーダーを見たら雨が降りそうだったので、寄り道はせずにまっすぐ帰宅。駅からうちに向かって歩いている最中に降り始めましたが、なんとか本降りになる前に帰ることができました。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。

(1)http://blog.livedoor.jp/silkroad_vx/archives/6265701.html

(2)http://blog.livedoor.jp/silkroad_vx/archives/6265839.html

 

 

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