-赤岩青巌峡(15:25発)-ニニウキャンプ場(16:45着)
※この全駅間歩きは2015年に歩いたものです。
奇岩と峡谷が隣り合わせの赤岩青巌峡谷を訪れた続きです。
いよいよニニウへ向かいます。
先に言ってしまえば、ここから先は完全に寄り道です。
ニニウへ通じる道はこの道だけなので、明日は同じ道を戻ります。
それでも、ニニウは一度行ってみたかったのです。
これから向かうニニウは無住地帯といわれていますが、
かつては集落が存在し、小学校に郵便局まであったそうです。
しかし、四方を山で囲まれた土地ゆえ長らく原始的な生活を強いられ、
集落に電気が通ったのは1966年のことだったそうです。
そんな集落の今を見てみたかったのです。
鵡川を下るように進みました。
頑丈なスノーシェッドが設置されていました。
かつては融雪期になると外部と行き来できなくなったとか。
なかなかの秘境っぷりですね。
仁々宇橋を渡りました。
キャンプ場があるとはいえ、
無住地帯へ向かう橋としてはずいぶん立派なような。
非舗装に戻った道をさらに西へ。
しばらく進むと、右側が開けました。
いよいよニニウ集落に入ったようです。
…でも、
無住地帯という割にはきれいな牧草地ですよね。
少し進んだ所には、こんな標識が。
明らかに近年誰かが立てたものですよ。
改めて調べてみると、
2015年現在、ニニウには2世帯4人が住んでいるそうです。
人が去った場所に、再び人が戻ってきたようです。
ニニウのセンターストリートに出ました。
かつては、この道に沿って民家が点在していたそうです。
今となっては、木々が覆い茂るばかり。
(国土交通省国土地理院HP内「地図・空中写真閲覧サービス」より CHO7747-C3-25(1975年撮影)を一部加工)
こちらが1975年当時の空中写真。
ひとつ上の写真は青星付近から北向きに撮影しています。
ニニウは木材の搬出、後年には石勝線建設の拠点として栄え、
1970年当時の人口は477人を数えていましたが、
林業の衰退と鉄道建設の終了で人口は急速に減少し、
平成に入る頃にはほぼ無人の集落となってしまいました。
少し前まで、往時の廃屋が残っていたそうですが、
取り壊されてしまったようです。
奥にちらほら見える建物は
最近作られた感じが…。
ここは左に大きくカーブ。
正面奥に新入(ニニウ)小学校があったそうです。
再び鵡川を渡りました。
秘境を立派な道路が貫く風景。
少々奇妙な感じがします。
鵡川を渡って歩くこと10分弱。
今日のゴール・ニニウキャンプ場に着きました。
1.5kmほど先には石勝線の清風山信号場があります。
ニニウ駅として開業する予定だった信号場ですが、
熊に会いそうな予感がしたのでパスしました。
もう夕暮れだから、無理はしない。
今日のバンガローも一人にしては大きいものでした。
写真撮ってたと思ったのに、こんなのしか残っていなかった。
晴れていたので星空も期待していたのですが、霧が出てきてがっくり。
この日もコンパクトバーナーでお湯を温めて、簡単な夕食。
あとホット紅茶を湧かして飲んだんだっけな。
隣のバンガローじゃバーベキューしてたのに…。
そして、隣の面々はどこかの日帰り温泉行ったのに、
こちらは今日も風呂なしです。
寝袋に入ったとき、
「ピィー」という音とともに、住民が切望していた列車の音が山々に響き渡りました。
(その16へ続く)
3日目・9月7日(月)
歩行区間:旧穂別町稲里-占冠村ニニウ 天気:晴れ 日出時刻/5:00 日没時刻/17:58
鉄道距離:約18km 歩行距離:37.9km 総歩数:56,389歩 所要時間:9時間40分
穂別キャンプ場(7:05発)-5.4km-穂別ダム(8:02着・8:20発)-8.2km-
-福山PA(9:52着・10:50発)-13.8km-名石PA(13:45着・14:15発)-4.2km-
-赤岩青巌峡(15:05着・15:25発)-6.2km-ニニウキャンプ場(16:45着)
赤岩青巌峡からニニウまでのGPSログ(1/60,000)です。
清風山信号場は地図左端の少し先にあります。
3日目全行程のGPSログ(1/250,000)です。
一日通じて、まともな集落を見かけませんでした。
こういうのも北海道らしいですね。
3日目の標高データです。
いかに登ったかがよく分かりますね。
2回目の峠は本当にきつかったです。