国鉄原色485系と北の名門[盛アオ]の終焉(2) | 空の下、レールの上を人生と共に(JNR Forever)

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青森運転所(2004年6月より青森車両センター)には、多数の485系・583系が配置されていました。
「1977年版 国鉄車両配置表」(鉄道図書刊行会)によると、485系は271両、583系は180両が配置。
 
 
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2043M 特急 いなほ(下り)2号 485系12連[盛アオ]
1978.3.25 上野
 
1003M 特急 ひばり3号 485系12連
1978.4.29 上野
 
特に583系が配置されたのは(定期列車の運用として)青森運転所の他には南福岡電車区・向日町運転所だけでした。
 
青森運転所は、多数の夜行列車も担当していました。
「はくつる」「ゆうづる」「あけぼの」「出羽」「日本海」「八甲田」「十和田」など、数多の名列車ばかりでした。
 
最盛期には7往復を数えた「ゆうづる」はその全てを青森運転所で担当し、正しく本州最北の名門車両基地でした。
 
 
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(左)14M 寝台特急 ゆうづる10号
(右)5014M 寝台特急 ゆうづる12号
583系13連[盛アオ]
1979.10.14 上野
 
 
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(右)5008レ 寝台特急 ゆうづる2号
(左)18レ 寝台特急 ゆうづる(上り)3号
24系客車[盛アオ]
1978.8.27 上野
 
 
東北新幹線の延伸で昼行列車が移行し、夜行列車が廃止されるとその使命は失われました。
物事には全て始めがあれば終わりがあるのは世の習いですが、一つだけ言えることは、よい時代を経験できて幸せだったということです。
 
 
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オシ17 2055
「十和田」に連結されていました。
2016.6.12 碓氷峠鉄道文化むら
 
「鉄道ファン」1977(昭和52)年6月号「特集 食堂車」によると、1968(昭和43)年8月10日、
青森発上野行 急行「第1みちのく」の食堂車がオシ17 2055でした。
 
 
※2016年に投稿した記事に、一部加筆しました。