和銅黒谷駅(秩父鉄道)から和銅遺跡へ   | 国立公園鉄道の探索 ~記憶に残る景勝区間~

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和銅黒谷駅から和銅遺跡へ  

(埼玉県秩父市)

 

 

「和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)」 ・日本初の通貨の原材料となった和銅が採掘されたところが、埼玉県秩父市の山中にあります。ニキアカガネと呼ばれる純度の高い和銅が産出されたとされる一帯は「和銅遺跡」として保全されています。

秩父鉄道秩父本線・和銅黒谷駅から15~20分程度の散策で到達できます。

 

 

 

 

秩父鉄道秩父本線の黒谷駅(羽生起点53.4km)は、2008(平成8)年、和銅奉献から1300年を記念して和銅黒谷駅に改名されました。

 

 

 

 

和銅黒谷駅の駅舎も古風な感じがします。

 

 

 

駅の近くには荒川が流れています。

 

 

和銅黒谷駅から国道140号線を、皆野の方向に向かって7分ほど歩き、山へ向かう道へ入ると、聖神社に達します。

ここにも、和同開珎のモニュメントがあります。

本殿は豊穣な樹林を背景として鎮座しています。

 

 

境内にある古木は、ご神木として崇められています。

 

 

聖神社から山道を辿ると、やがて和銅遺跡へ向かう探索路の入口にいきあたります。

あたりは、県立長瀞玉淀自然公園の指定区域です。

 

 

特別に歴史に興味がなくとも、駅から比較的近いところで森林浴をするには相応しい場所かもしれません。

 

 

谷筋を遡ると「和同開珎  日本通貨発祥の地」と記された大きな記念碑が迎えてくれます。

西暦708年、明日香にあった当時の政権は、良質の銅が奉献され、国内初の流通通貨生産の礎が築かれたことで、元号を「和銅」(708~

715年)に改元します。

この国内初の流通通貨、やはり初手から成功とはならず、通貨としての信用を得るには時間がかかったようです。

711年には「畜銭叙位令」という通貨流通を促進させる政策がなされます。これは、沢山通貨を手にしたものは、官位を得ることができる、というもので、つまり、カネで官位が買える、という施策です。官位本位制ともいえるこの政策は、逆に流通を妨げ、通貨政策としては失敗したと目されています。

しかし、別の見方もできるかもれません。「カネを貯めればご利益がある」という「貯蓄インセンティブ」を政府が国民に示した出来事の嚆矢と見做せば、正史とはひと味違う、庶民感覚の歴史観も開けるのではないでしょうか。

それはともかくとして、712年には「銭を用いる便を知らしめよ」 、 つまり米など重荷を持ち歩かなくても銭を携帯すれば、長い道程の途中でも食料などが買える、という通達も打ち出されます。

何時の世も、経済金融政策担当者は、様々な試行錯誤を強いられるようです。

 

ここには、いくつか説明書きも用意されています。

 

 

露天掘りがなされた場所、という立て札もあります。

 

 

こちらは埼玉県の表層地質図です。小さくで恐縮ですが、青い点のところが和銅遺跡の位置です。

秩父中古生層の秩父東縁の山地と新生代第三紀層の秩父盆地の境目にあたっています。

銅鉱石を生み出す、含銅硫化鉄鉱層、私が学生の頃はこれをキースラガ―という呼び方で教わったのですが、これが山地側の変成岩の中にあり、これがニキアカガネの元になったようです。

 

 

 

今現地でみられる岩は、ほとんどチャート(放散虫などの殻や骨片が海底に堆積してできた堅い岩石)などの堆積岩です。

 

 

 

 

和銅遺跡は、山地と盆地の地層が接する場所にあたり、断層帯に位置しています。古代、貨幣経済を開始させる大きな資源を提供する場が、この変動帯によって生み出されました。

そこで胚胎された鉱物が資源化された、ということは、その時代にも、細かな地質探査能力を持った人が存在した、ということに他なりません。おそらく、川を遡り、河原にある夥しい石を識別しながら銅が出る支流を特定していったものと思われます。