歴史街道「東海道 枚方宿」を堪能する! | キハでGo!

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こんばんは、土日はあっという間に終わり、また平日が始まりました。

今日は色々とあったので、一日は比較的早く終わったように感じました。

風呂上がりでちょっと余裕があったので、昨日の散策を記録しておこうと思います。

 

昨日は日曜日でしたが、とある場所でのイベントの打ち合わせがあり、昼間前に家を出ました。家を出る前に色々とあったのですが・・・w(詳しくはコチラ

 

いつもは愛車を駆って出かけるのですが、止める場所がないのと、打ち合わせ後に遊びに出るので、久しぶりにバスに乗りました。バスは日曜日の正午前にも関わらず、そこそこの人でにぎわっていました。

枚方市駅で降り、目的の歴史街道案内板を確認します。今回の目的地となる「鍵屋 資料館」までは歩いて20分ほどのようです。

 

案内板に従って、歩き始めます。今では駅近辺に大きな商業施設が立っていますが、この歴史街道だけはちゃんと残っており、所々に立て看板や、案内資料が整備されています。

説明を見ていると、このあたりに京や大阪から三十石船(30乗りの船)が通る際に茶船を枚方浜(淀川沿い)から出して、食べ物やお酒を売っていたようです。その説明が書かれていますが・・・

『「餅くらわんか」「酒くらわんか」と茶船が漕ぎ寄せ、売りつけた。これを乱暴な呼び声を売り物に淀川交通の名物となった「くらわんか船」である』・・・・押し売りかよww なんか、ちょっとイメージ悪いですね(笑)

確かに時代小説を読んでいて、大阪から京へ船を使った主人公が枚方あたりで餅を買う場面がありましたが、うろ覚えですが、先に金を受け取ってから、商品をほり投げるように渡して素早く船を離していく・・・主人公が餅を開けると冷めて、ベタベタになった餅が入っており、とても食べれたものではない・・・とありました・・・

まぁ、すべての「くらわんか船」がそういうわけではなかったと思うのですが、他の資料を見ていると客もどの「くらわんか船」が良い商売をしているのか、知り始めると、粗悪品を売る「くらわんか船」の相手をしなくなったとあるので、どの時代でもまっとうな商売をする心構えは大事ですね・・・・

 

駅近くの商業ビル群を抜けると道は徐々に細くなりますが、所々に趣のある建物が目に留まります。立派な瓦屋根に白壁の民家で現在も人が住んでいます。写真1枚目の建物は左側に「枚方市街角デイハウス」の「わくわく」が入っています。市内にいくつかある街角デイですが、ここのデイは何と趣のある建物・・歳を取ったら行ってみたいくらいです。(その時まで残っていればいいのですが・・・w)

そして案内板を見ると、街道にある歴史的建造物の位置と写真が紹介されており、この先もまだいくつかあるようですw

 

こちらは周りの歴史建造物に合わせて建てられたものですが、看板に思わず目が行きましたw

どうやら古美術品、骨とう品を扱っているお店のようですが、ネーミングな何とも言えず・・・w

今日、職場で話をしました・・・

私:「初めて枚方の京街道を歩きましてね・・色々と趣があった中で面白いネーミングの店を・・・」

職:「ああ、珍古堂でしょ?」

私:「そうそう!昨日は私一人だったのですが、ボンを連れていたら、絶対反応して連呼してたかもしれません!」

職:「いやいや・・・〇〇さんも十分、反応してますよ・・・子どもみたいw」

と言われてしまいました・・・まぁこうしてブログに上げてる時点で確かに・・・と思ってしまいましたw

 

そしてさらに大阪方面へ歩くこと数分、石の道しるべに「鍵屋資料館」の文字が!

枚方市駅からあれこれ堪能して歩くこと320数分、目的地の「枚方市鍵屋資料館」に到着です。

ただ一緒に打ち合わせに行く、鉄摸愛好会のAさんとBさんは時間が早かったので、まだ到着しておらず、すこしあたりをうろつくことにしました。

 

街道から少し上がると、そこは淀川の堤防でだだっ広い河川敷とはるか向こうに見える淀川、高槻市の風景を堪能しました。そしてその後ろにはあとで打ち合わせをする「鍵屋資料館」も

本来、6月の上旬なので、心地よい春の穏やかさのはずが、30度近い温度で、「6月はどこに行った?もう7月が順番飛ばしで来たのか?」といったくらいの暑さでした。

 

この後、いつもの鉄摸愛好会のおっさん三人衆は無事、合流し、この「鍵屋資料館」で開催される某イベントの打ち合わせを行いました。AさんとBさんはまじめに色々と話や検討をされていましたが、私は歴史好きが出てしまい、思わず管理をされている職員さんに鍵屋のことを色々と聞いてしまいましたw

写真を載せてご紹介したいところなのですが、打ち合わせで来ており、中には打ち合わせとして入れていただいたので、勝手に紹介するわけにもいかず、イベントの開催時にボンを連れて正規で訪れ、その後にご紹介したいと思いますw

そのあとは、Aさんと一緒に京阪→大阪メトロを乗り継いで、数か月ぶりの日本橋を堪能しに行きました。

 

最近は新商品はついネットで買ってしまうので、日本橋に行っても、主に部品や通販では送料を出すにはもったいないほどの安価なものしか買わなくなってしまいましたが、ちょっとうろつくだけでこんなに買っていましたw(まぁ単価が安いので総額はしれていますが・・・)

戦利品はコキ用のケース(程度良しの中古で半額以下)、投げ売り状態の動力台車を4パケ(車輪とギア目当て)、中古コンテナ、Assyパーツとさらに買わないと思っていたク5000トリコロールカラー用の日産自動車セットも気が付いたら買っていました。(ただ高い!クラウンは6台で600円でしたが、今回は8台で1500円でした。(定価、税別比較)なのでク5000のトリコロールカラーは4両買っていますが、4セットも買う気は起らず、1セットのみにしましたw)

 

そして今回は目的にしていた桜井線・和歌線の105系(SW009編成)を購入しました。こちらは近所のJoshinには入荷せず、ネットでも買うのを忘れており、ちょうど、日本橋で発見したので、購入しました。

こちらはAさんと227系を目的に大阪小周りを敢行して和歌山線に乗りに行きましたが、結局和歌山線では227系はまだ見かけることなく、いつもの105系で長時間揺られました。(詳しくはコチラ

乗車した車両だと良かったのですが、実はこの車両は和歌山駅で和歌山市行きとしてホームに止まっていました。なので乗りはしませんでしたが、見たということで買いましたw(ただ厳密にいうと、ちょうど和歌山電鉄のホームにたま電車が停車しており、様子を見るために停車中のSW009編成に乗り込んで窓越しにたま電車を撮影したので、乗ったことにしてもいいとちょっと思っていますw)

 

と昨日は色々と堪能できた一日でした。

出かけると人は徐々に戻ってきている様子ですが、新しい生活様式としてほとんどの方がマスクをしており、また日本橋では必ずと言っていいほど、中国語を聞くのですが、昨日は本当に全く聞かずだったので、来日外国人もかなり減少しているのも実感いたしました。

世間では第二波を予測しており、中には再宣言や自粛を言われる方もいますが、新しい生活様式を元に外でも活動できるようにしていくことも大事と思うと、何が正しいのかわかりませんが、昨日の外出は久しぶりに色々と話の合う方との交流や興味関心のあるところへ出かけるといった本来の生活を堪能しました。自粛ポリスに言わせれば日本橋は「不要不急」かもしれませんが・・・

でわでわ

 

打ち合わせ前に淀川近辺を歩いていると巨大な石碑があり、何かと思って確認すると明治18年に発生した淀川洪水の碑であり、その横に説明がありました。かいつまむと明治18年に堤防が決壊し、枚方だけでなく、交野や大阪市内にも洪水を起こしたということで、改めて淀川のすごさを確認しました。

ただ・・説明の中に「未曽有」の部分に取って付けたかのようにふりがなが打たれており、これはもしかして、某大臣が以前に「みぞうゆう」と読んでしまったことから、各都道府県や市町村が「忖度」して「未曽有」や「云々」(うんぬん・・でんでんではないよw)にふりがなを打って回ったのかもしれず、これもその作業の一環だったのかもしれませんw

って、そんなわけないかw

でわでわ

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