旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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海峡下の電機の系譜【Ⅳ】 交直流機の決定版・EF81の参入(2)

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5-4 関門用特殊仕様300番代の登場

 EF81が続々と量産されていた頃、関門トンネルはすべてEF30が客車・貨物列車を牽いて本州と九州の間を結んでいました。門司機関区はEF30の牙城のようなもので、ED72やED73、ED75 300番代など多種多様な交流機もいましたが、関門トンネルはEF30の独壇場といっても過言ではありませんでした。

 ところが、1972年のダイヤ改正山陽本線寝台特急や貨物列車が増発されると、にEF30では所要数が不足してしまいました。これに対応するには、関門用特殊仕様の交直流機を増備しなければなりませんが、EF30は製造から既に12年が経ち、設計も古いことから、同じ交直流機で性能も大幅に向上したEF81で、これを賄うことになります。

 こうして1973年から製造されたのが、EF81に関門用特殊仕様を施した300番代でした。

 

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 300番代の大きな特徴は、なんといってももその車体でしょう。300番代は、EF30譲りのコルゲート板を取り付けた銀色に輝くステンレス鋼を外板にしました。これは、EF30と同じ理由によるもので、関門トンネルの中を湧き出る海水のために、普通鋼では腐食が起きてしまい、煙害と腐食に強いステンレス鋼をを採用したのでした。

 同じステンレス鋼の車体で、コルゲート板も取り付けた300番代ですが、車体のデザインは他のEF81と同じでした。重連運転を想定していないため、前面は非貫通のままとされました。また、機器類は基本番代の後期形と同じものを装備しています。

 300番代は1873年に301号機と302号機が新製され、門司機関区に配置されると先輩であるEF30とともに運用に就きます。翌1974年には303号機、304号機もつくられ、総勢で4両とEF30と比べても小所帯でした。

 ただ新製当時の300番代は、EF30のように重連総括制御装置をもたないなど、異なる部分もありました。このため重連での運用が必須となる貨物列車には宛がわれず、専ら単機での運用である客車列車に宛がわれる限定された運用に就いていたのでした。

 しかし、EF30が関門専用機であったのに対し、300番代は関門用特殊仕様ではあったものの、電装品や走行機器は基本番代と同じなので、走行性能も同じでした。そのため、1970年代末になると関門間の客車列車が削減されて余剰気味になったことと、常磐線のEF80が老朽化により置換が必要になったことで、1979年に301号機と302号機は遠く離れた内郷機関区へと配置転換されていきます。

 内郷にやって来た300番代は、同じく富山第二からやって来た基本番代2両とともに、EF80とともに常磐線の運用に入りました。ところが、300番代の特徴でもあるステンレス鋼の輝く車体は、線路内に入って作業をする施設関係からはいい評価を得られませんでした。その理由として、常磐線総武本線など内郷機関区が受け持つ地域は比較的霧が発生しやすく、白い中を銀色の車体では識別しにくくなってしまい、触車事故の原因になってしまうと指摘されたのです。

 そのため、301号機と302号機は関門用特殊仕様の大きな特徴でもあるステンレス車体に、他の交直流機と同じ赤13号・ローズピンクの塗装が施されました。これ以後、この2両は終焉まで塗装を身に纏ったまま走り続けることになります。

 

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 1982年には内郷機関区から田端機関区へ配置転換されますが、やはり常磐線を中心とした運用には変わりありませんでした。しかし翌1983年からは、寝台特急ゆうづる」を牽く運用を、田原のEF81が受け持つことになり、301・302号機もヘッドマークをつけてその先頭に立つこともありました。

 一方、門司に残った303・304号機は、変わらず客車列車に限定された運用をこなす日々でした。ただ、その限定運用のおかげとでもいうのでしょうか、東京・関西と九州間を結ぶ寝台特急の先頭に、短い距離ながらも立つ機会が非常に多くありました。

 国鉄の分割民営化を控えた1986年、常磐線のEF80置換用として転出していた301・302号機が再び門司に配置されました。これは老朽化したEF30を置き換える目的の配置転換でした。

 この配置転換は国鉄時代最後のもので、あくまでも筆者の推測ですが、この時点でEF30は車齢が30年を超えていたので老朽化し運用コストも高くなり、交流区間での運用に制限のあるEF30はEF81に比べて汎用性に乏しいことが理由として挙げられます。民営化後には貨物会社が関門区間の電機の運転を引き継ぐことから、財政的に厳しいことが予想されていたので、他地区と共通に運用できる車両を継承させた方が得策だと判断されたといえるでしょう。

 こうして300番代は再び全機が門司機関区に所属しますが、同時にEF30が担ってきた貨物列車の運用も引き継ぐため、同区間の貨物列車運用では必須であった重連運用に対応させるため、重連総括制御装置の追設などの改造を受けました。

 1987年に国鉄は分割民営化されると、300番代は全機が門司機関区配置のままJR貨物に継承されます。門司機関区もまた、JR貨物の運転区所として引き継がれ、引き続き関門トンネルを通過するすべての客車・貨物列車の先頭に立って、本州ー九州間を結ぶ役割を担いました。

 特筆する点として、300番代はJR貨物に引き継がれましたが、ごく短い関門間での運用に特化していたため、国鉄時代と同様に東京・関西ー九州間の寝台特急を牽く運用があったことです。JR九州に継承された関門用特殊仕様に改造された400番代もいましたが、その数は必要最小限だったので運用によっては不足することもあり、JR貨物に所属する300番代が先頭に立つこともしばしばありました。また、この区間の運転業務はJR九州JR貨物に委託する形を採っていたため、機関車のハンドルを握る機関士も門司機関区所属のJR貨物の職員が担うという、全国的にも珍しい形態でした。

 また、2011年3月11日に発生した東日本大震災で、東北本線常磐線などは大きな被害を受けて列車の運転が困難になり、加えて3月という気候から東北各地では暖房用の灯油など燃料が必要でした。救援物資として北海道の製油所から船で送ろうにも、港は津波で甚大な被害を受けてしまい、関東から貨物列車で送ろうにも鉄道も寸断された状態でした。
 そこで、救援用の石油を積載した臨時貨物列車を日本海側を経由して送ることになり、日本海縦貫線の運転を担当していた富山機関区のEF81やEF510では所要数が不足することから、門司所属の303号機・304号機が富山へ応援で派遣されます。そして、羽越本線奥羽本線などを銀色に輝くステンレス車体の機関車が走りました。国鉄時代に内郷へ配転した301・302号機ともども、300番代は全機が本来の任地を離れて遠く東日本でも運用されたことになりました。

 民営化後も長らく400番代や450番代とともに関門区間を走り続けましたが、九州島内専用ともいえる交流機ED76が老朽化で廃車が進むと、その役割をEF81が代わって担うようになります。そして、EF81が抜けた穴を新鋭機であるEH500が担うようになり、関門専用機として登場した300番代もその座を明け渡すとともに、年を追うごとにその数を減らしていきました。

 2020年現在では、ステンレス鋼の地肌をそのままに保っている303号機が残り、門司を拠点に九州島内の貨物列車を牽き続けています。

 

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