レベッカの小田原豊さんの講演のニュースを発見!
羨ましいなぁ〜!夢に対するメッセージを聴けたなんて(★★)
レベッカのコンサートで参加されてたパーカッションの中島オバヲさんとの
独特の掛け合い?っは、迫力を感じてました。

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夢といえば、私の場合、好きな電車に関わる仕事につく事は出来なかったけど、
今、仕事として電車の次?に好きだった絵を描く事を続けて、デザインワークを担当。
プライベイトでは、大好きな電車のイラストや3Dを描くことで、
データが重要になっていく未来に、データとして残して置きたい夢の世界をコツコツと。。

40過ぎて、頭がはげ出したオッサンとして、
好きだから続けられるという事だけは事実だと子供たちには断言できる。

イラストもヘタクソだった。
商業ベースで、報酬を頂けるには勉強をして知識武装とテクニックを武器に実をつけて、
しかし、
一番大切なのは、自信を持って提供する心。
もし料理人さんから、「たぶん美味しいと思うから、これで勘弁してください。」って言われたら、
食べたくないし、ましてや友達にお勧めを紹介してといわれたら時には、その店は外すよね><。

学生時代、制作発表の時に教授さんたちから
完全燃焼しましたか?ってみんなに訊かれるんだ。
合評日の当日まで、ギリギリ2•3日でやってしまう友達もいて、その時はみんな心で、
「先生!彼は、今の今まで、完全燃焼でしたよ〜」ってテレパシーを送っていたと思う事も。。。
作品から湯気を感じる気迫もあったよ(笑)。

美術とデザインは違っていて、
仕事ではデザイナーとして、納期と予算、クライアントのイメージをできるだけ汲み取って表現する。
だから、美術モードのブログで描く電車は、結構あり得ない描写が多いのかもね。
町並みを描くとき、電信柱がこの構図ではいらないなって思ったら、
思い切って表現しないんだ。だってリアルで言いなら、写真という媒体を使えば良いしね。って
自己中><っていうか、私の中の美術。世界観。としてね。

今となれば、何故電車が好きなのか。
きっと、盆と正月に乗れた近鉄特急が、心の底から嬉しかったんだろうね。
おしぼりが渡されて、鶴橋を出て布施を出るまでにサンドイッチを食べきって、
今思えば、時間配分、ヘタクソ過ぎたとも思う。

夢を叶えるには、目的を無意識下までもっていく事。
意識をしないと出来ない事は、なかなか実行にまで移らないんだ。
時間を理由に、体調を理由に、気分を理由に、
人間は成長する際に、細胞の再生より破壊のスピードの方が早いとなれば、
意識をしない限り、万物は朽ちゆき、この自然を維持していることになるから、
夢を叶える事は、自然にとっては結構、厄介な人間の勝手だと言えるのかも。
自然に感謝する気持ちは、夢を叶える事の大前提なんだね。

無意識の中にいる最後まで出会う事のできないもう一人の他人が
時にストレスを回避する際に、引きこもりモードのスイッチをオンにして、
心の安定を求めて、もう一つの世界の部屋に連れて行っているのかも。。

靴下を履こうとしている左と靴下を脱がそうとする右。
靴を履いて外へ出ようとする左と扉を閉める右。
脳の反応として、行動心理学なども意識して自分を冷静に見れば、
今の行動は、実は無意識が数秒前に決断した結果を、
ただただ実行しているだけみたいだから。

袖(そで)触れ合うも、他生の縁という「生」は、「世」と同じで、
前世でも同じ境遇、または、逆の境遇で、
今世で因縁因果の清算を果たす場面に今いると自発的に再認識すれば、
身近な人の苦って、未来にやって来る「自分の苦の番」の予行練習と受け止めて、
一生懸命サポートすれば、未来の時間線から苦が和らぐと信じて、

仕事をして働く。周りを楽になるように意識して働くだけで、
傍(はた)が楽になって喜ばれて、業の解消に繋がると信じて、、、 

学生時代、「自分探し」という言葉を見たり聞いたりしたけど、
40過ぎて、「自分探し」は、さすがに言えない><。
この考えが、自分の限界を作るのかな。

子供たちの夢が、儚いものにならないように、大人の私がイラストを通して、
少しでも笑顔になれたら。。


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今は、マスクをしないとね。
決して、口を開けて走っては、危険だからね。