「日比谷線虎ノ門駅」顛末記 | 書斎の汽車・電車

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 昨日、地下鉄日比谷線に「虎ノ門ヒルズ駅」が開業しました。

 東京の地下鉄を趣味対象の一つとしている者としては、本来なら開業初日に出かけて、その印象をさっそくご紹介すべきところではありますが、ここ数日体調が少々悪く、それでもいつもなら出かけてしまう程度なのですが、抵抗力が弱まったところに新型コロナウイルスの餌食になっても困りますので今回は断念し、後日訪れることにしました。

 とはいえ、あまりぼやぼやしていますと、駅の様子も大きく変わってしまいそうです。今回はあくまで「暫定開業」だそうで、本開業時には改札口の位置も変わるそうですし、オリンピック延期のおかげでその姿もありませんが、「BRT」との接続駅にもなります。2020年6月の開業当初の様子を記録するなら、早めに現地を訪れた方がよさそうです。

 

 その虎ノ門ヒルズ駅ですが、銀座線虎ノ門駅との「乗換駅」扱いとなりました。当初は地上へ出ての徒歩連絡のみとのことですが、いずれは地下にも連絡通路が出来るのでしょう。

 そもそも日比谷線は、虎ノ門駅付近で銀座線をアンダークロスしているのですが、ここには日比谷線の駅は造られませんでした。しかしながら日比谷線の計画当初には、虎ノ門駅の設置が予定されておりました。今回は、幻となった「日比谷線虎ノ門駅」にまつわるお話をします。

 

 日比谷線が現在の形で姿を現したのは、昭和32(1957)年6月17日改訂「東京都市計画高速鉄道網」で、後の日比谷線はその「2号線」ということになります。それに先立つ同年5月18日、営団地下鉄は「2号線建設計画」を策定しており、その中で「虎ノ門駅」を設置し3号線(銀座線)と接続することを明記していました。また、既存の免許線について、「東京都市計画高速鉄道網」に合わせて変更した「起業目論見変更」(昭和32年8月13日認可)でも、経由地として「虎ノ門」がありました。

 その後も営団地下鉄は日比谷線に虎ノ門駅を設置するつもりであったようで、同社社内報『地下鉄』第84号(昭和36年8月31日発行)の「日比谷線の建設概要」という記事には、霞ヶ関駅と神谷町駅の間に虎ノ門駅があり、銀座線と接続する予定となっていました。

 しかしながら、その頃から虎ノ門駅は設置されない方向で話が進んでいたようです。社内報の記事が出たのと同じ昭和36(1961)年12月27日認可の「霞ヶ関・南千住起点15.180km分割工事施行及び特別設計」(出願は同年6月10日)には、同区間の駅として、「霞ヶ関」「神谷町」「六本木」とあり、虎ノ門駅は出てきません。また、これより先の同年10月27日認可の「南千住起点15.180km・18.240km分割工事施行及び特別設計」(出願は同年4月20日)は、恵比寿駅付近から広尾・六本木間(港区霞町19番地先)の工事に関する文書ですが、この中で「未定区間」の駅名として、霞ヶ関、神谷町、六本木の3駅はある一方、虎ノ門はありません。遅くとも、昭和36(1961)年4月ごろには、日比谷線に虎ノ門駅は設置しないことになっていたと思われます。ただ、あくまでも正式に運輸省から認可される前でしたので、前出の社内報には当初計画のまま載せてしまったものと推測されます。

 

 それではなぜ、日比谷線虎ノ門駅は幻の存在となってしまったのか、公文書等にはその理由は書いてありませんでしたが、恐らくは銀座線をアンダークロスするための勾配の途中であったことが大きいのではないかと思われます。『東京地下鉄道日比谷線建設史』によれば、虎ノ門駅付近の建設は、当時としては難工事だったようです。銀座線のこの付近を建設した東京高速鉄道が、他線との接続、交差を全く想定していなかったことから、日比谷線の建設にあたっては、慎重に工事を進めることが求められたようです。

 

 以上で、幻となった「日比谷線虎ノ門駅」のお話を終わりますが、ともあれ早いうちに「虎ノ門ヒルズ駅」に行くとともに、「運転台かぶりつき」で今回お話した区間の様子も見てみたいと思います。