日中線のこと(前)・・・C11の日常 | スプーンの気まぐれ日記

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海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

日中線については3回に分けて記したいと思います。・・・日中走らないのに日中線、と揶揄されたものですが、スプーンの手許にある最も古い時刻表(昭和32年)では日中も含め5往復の列車がありました。
やがて朝1往復、夕方から夜にかけて2往復とよく知られた3往復のダイヤとなり、廃線までこのスタイルでの運転でした。牽引機はC12に始まってやがてC11へと変わりました。今回は叔父の写真を中心に、C11の日常を記してみます。

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一番列車は2輛の客車牽引で会津若松からやって来ます。C11が走っていた当時は首都圏から夜行の「急行ばんだい」から乗り継いで来た方も多かったですね。
朝 の621レはC11が前向きで磐越西線では速かったそうです。おそらく最高速度は75km/hだったのでしょう。この列車を若松から乗ったことは遂にあり ませんでした。喜多方は2番ホーム到着でしばらく停まります。後発の新津行きの気動車列車221Dが3番ホームに到着して先に発車して行きました。621 レでは貨車を連結した姿は見ませんでしたが、客車の後ろに繋いでいた写真は見たことがあります。

折り返しの熱塩発喜多方行き622レは通勤通学客を乗せて走りました。C11は逆向きです。開業当初は喜多方と熱塩にターンテーブルが設置されましたが、もともと最高速度が45km/hなので必要ありませんでした。

上りの622列車は喜多方の4番ホーム(日中線ホーム)に到着して客車を残し、3番ホームに転線して、喜多方から244列車(243レの折り返し)を牽いて 会津若松に一旦戻ります。平日は客車2輛を牽いて野沢まで行くDD51とプッシュプルしているということは、日曜日の撮影だったのでしょう。
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この244列車は会津豊川、姥堂、笈川、堂島にも停車しました。塩川駅南側の日橋川橋梁です。現在の橋梁(左側)は工事中です。
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午後には基本的に朝と同じカマが今度は逆向きで貨車を牽いてやって来ます。単機の時もありました。2番ホームに到着して貨車の入換えが済むと日中線ホーム (4番線)に停まっている客車に連結します。16時前後に磐越西線の上り下りの客車列車が交換し、乗り換え客も乗せて日中線の623レが発車します。
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日中線の貨物は基本的に混合列車で、特に貨物の連結が多かったのは夕方の623レと624レでした。加納までの貨車は熱塩寄り、他の駅行きは喜多方寄りに繋いで、帰り(上り列車)に置いて行きました。熱塩寄りに貨車を入れると蒸気暖房が使えませんので、冬の乗車は寒かったですね。
熱塩から前向きで帰って来たC1164です。跨線橋の向こう側に小さな日中線の待合室がありましたが、C11引退の頃だったでしょうか、撤去されてしまいました。
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C11は道路寄りの機回り線を通って水を飲みに行きます。給炭もしました。この給水塔と給炭台の向こうにターンテーブルがあったと母親から聞きましたが、熱塩駅の様なピットの遺構などは、スプーンの記憶が始まった時にはもう見られませんでした。
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給炭はショベルでコールバンカーに入れてましたね。
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C11の後ろ側にはかつてターンテーブがありました。
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夜の625レと折り返しの626レは夕方の往復と変わりませんが、貨物の連結は無かったと思います。上り列車の喜多方到着は1番ホーム、列車ごと3番ホームに転線して1233レ折り返しの回送列車と連結して会津若松に帰るのです。この1233レは休日は野沢行き(休日は喜多方止まり)で、C11がスユニを含む7輛の客車を牽引し、前の3輛が野沢行き、後ろ4輛は喜多方止まりでした。

今回の記事でスプーンが撮った写真は最初の1枚だけ。次回は日中線「さようならSL」の予定です。