旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

海峡下の電機の系譜【Ⅳ】 交直流機の決定版・EF81の参入(1)

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5.交直流電機の決定版・EF81

5-1 EF30以後の交直流機

 国鉄の交直流電気機関車は、関門特仕様をもつEF30の量産に始まり、交流区間での高速運転を実現したEF80へと進化していきます。交流電流を直流電流へと変換する整流器の技術が発達したこともあったので実現できましたが、それでも交流機器の重さは如何ともし難いものがあり、様々な制約を抱えるとともにその構造も特殊なものでした。

 直流区間は大きな制約もありませんでしたが、交流区間では架線からパンタグラフを通して得る電源は交流20000V・50Hzだけでした。これは、EF80を周波数60Hzの地域である西日本で運用することを想定しなかったことと、50Hzと60Hzの両方に対応するとなると、変圧器や整流器をはじめとした電装品が大きくなってしまいました。

 ただでさえ50Hzに絞ったにもかかわらず、60Hzにも対応するとなるとEF80の自重は制限をはるかに超えてしまいます。こうした理由もあって、EF80では常磐線専用といっていいほど割り切った性能になりました。

 こうしたあたりは、まだ黎明期でもあった国鉄交直流機の特徴で、EF30に通じるものがあるといえるでしょう。

 しかし、いくら割り切った性能といっても、EF30は交流区間での運用はごく限られた門司駅・門司操と東小倉の構内だけでした。しかし、EF80は上野・隅田川から勝田までと比較的長い距離を走り、交流区間も藤代付近のデッドセクションから勝田まで本線での運用となっていたので、相応の性能が求められたのでした。

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 このため、EF80はEF30と同様に、台車1台につき主電動機1基という構造になりました。この構造では主電動機1基で動輪軸2軸を動かすため、自ずとカルダン駆動を採用せざるを得ません。こうしたあたりも、EF30の構造を踏襲していました。

 とはいえ、主電動機MT53を3基装備し、定格出力1,950kWは同時期に製造されていた直流機のEF60(2,550kW)や交流機のEF70(2,250kW)と比べても低く、パワーの面では僅かに心許ないものであったといえるでしょう。

 EF80はこうした黎明期の交直流機の特徴を持ちながら、1961年から全部で63両が製造され、すべてが常磐線を中心とした客車・貨物列車に使用され、一部は総武本線水戸線外房線にも定期運用をもっていました。

5-2 交直流機の決定版・EF81

 1960年代には地方の幹線も電化が推進されましたが、その多くは交流電化によるものでした。

 いわゆる日本海縦貫線と呼ばれる日本海沿いの幹線も電化が進められ、北陸本線羽越本線は交流電化でした。ところがこの両者を繋ぐ形になる信越本線は直流電化でした。これは、信越本線で最初に電化されたのは横川ー軽井沢間の碓氷峠で、この区間は直流600Vが採用されたからでした。

 その後、信越本線の電化を進めるにあたって、同じ直流が採用されました。これは、碓氷峠区間が既に直流電化されていたこともありますが、信越本線は東京・上野始発があるなど、既に直流電化がされていた区間との一体的な運転がされている列車もあり、直流で電化されるのは自然の流れでした。

 こうした背景もあり、関西ー東北間の長距離列車は、直流機と交流機を、ともすると交直接続のために非電化区間すらありディーゼル機関車にも付け替えながら走らざるを得なくなり、手間と時間がかかるのを承知で運用され続けました。

 このような不便な運用を強いられていた中、東海道本線北陸本線を結ぶバイパスとなる湖西線の建設が計画されます。湖西線では、永原ー近江塩津間にデッドセクションを設け、列車の一体的な運用ができるように計画されました。

 また、前述のように信越本線は直流で電化が進められていましたが、1969年に糸魚川ー梶屋敷間にデッドセクションが設けられ、ここで交直接続をすることが決まると、これに対応できる交直流電気機関車が必要となりました。

 そこで、湖西線を経由し、日本海縦貫線を一体的に運用できる直流1500V 、交流20000V50Hz、交流20000V50Hzの三電源に対応した交直流電気機関車として、EF81が開発されたのでした。

5-3 EF81の概要

 EF81は三電源対応であるため、保安装置や線路規格によおる軸重制限のことを除けば全国の国鉄線電化区間ならどこででも運用できます。とはいえ、この機関車が開発可能になったのは、パワーエレクトロニクスの飛躍的な進歩によるものといえます。

 それまでの交流機器はいまだ発展途上で、整流器は水銀整流器からダイオードを使ったシリコン整流器に変わったものの、大型で重量の嵩むものでした。しかし、小型化・高性能化したことで、周波数は50Hzと60Hzのどちらにでも対応できるようになったのでした。

 また、この頃の直流機はEF65が生産されていましたが、EF81はEF65に交流関係の機器を載せたものとなりました。そのため、直流区間での性能はEF65と同じ2,550kWで、歯車比も同じ18:69、最高運転速度は110km/hとなりました。しかし、交流区間では整流器など交流機器の制約から2,370kWと若干落ちてしまいますが、それでもEF80に比べれば出力は確実に向上しました。

 こうした性能のため、主要機器はEF65とほぼ共通となりました。直流区間では、パンタグラフを通して得た1500Vの電流は、抵抗バーニア制御器を通して主電動機に流されます。抵抗バーニア制御器はCS36、主電動機もMT52と同じ機器です。

 交流区間では、パンタグラフと抵抗バーニア制御器の間に、主変圧器と整流器が入ります。主変圧器で電圧を下げ、その電流はシリコン整流器で直流に変換されます。そして、速度制御は直流機と同じ抵抗バーニア制御器によって電圧を制御されるので、いわばEF65に「小さな変電所」を載せたのがEF81といったところです。

 

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 EF81は新製当初から日本海縦貫線で重点的に運用されます。敦賀第二、富山第二、長岡、東新潟、酒田などの機関区に配置され、一部は田端機関区にも配置されて東北本線でも運用されました。

 EF81は三電源対応で、理論上は日本海縦貫線を通しで運転できる性能をもっていましたが、製造当初は関西から東北までの長距離運用はありませんでした。これは、北陸本線のEF70や羽越本線ED75など、多数の交流機が配置されていたためで、交流区間の多くは交流機で、交直のセクションがある区間はEF81でという棲み分けがなされたためでした。

 EF81がその持てる能力を発揮するのは、多数の交流機が合理化による余剰となって廃車となる国鉄の分割民営化を待たなければなりませんでした。

 

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