緊急事態宣言の全国解除をうけ、掲載を控えていた遠距離企画のupを再開します^
去る3月上旬、まだ緊急事態宣言が出る前、沖縄県・与那国島へ行ってきておりました
当別荘では過去、沖縄県の作をいくつかupしていますが、本島以外の離島では、2011年の久高島(vol.90)、2018年の南大東島(vol.277~278)につづいて3島目です
一度行ってみたかった八重山諸島へ、ついに足を踏み入れてきました
4回シリーズになります。編集はステイホーム期間に終え、既に4作とも完成しております^
(※今作は石垣島、次作から3作が与那国島です)
本日から、6月中の毎週土曜にupとなるよう設定しています
これで今月中はもたせようという魂胆ですw
よければお付合い下さい^
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3月中旬、暁の羽田空港からスタート
1月、この空港から八丈島へ行ったばかり(vol.335~337)なのに、コロナ禍の波の隙をつきw、又僕は離島へ旅立とうとしています(汗笑)
今作の行先は冒頭の通り、日本最西端の離島、沖縄県・与那国島です^
羽田から与那国へは直行便が無いため、往路は石垣経由で行きます。
その石垣島も僕今回初訪問で、乗継時間が石垣で6時間程あるため、今作では石垣島を少し歩き、与那国島は次作からおおくりします^
定刻離陸!
富士山をどんどん遠ざけ、日航機は一路石垣へ・
冒頭の通り、緊急事態発出の前に行った旅ですが、航空各社では既にこの時点で各種対策を採りはじめていて、ドリンクサービスも通常の形ではなく、↑紙パックのお茶だけ
スッチーさん達も全員、マスクとビニール手袋着用。
機内アナウンスでは、『航空機には高性能な換気設備が装備されており、機内の空気は2~3分で全部入れ替わります』という案内も流れました
羽田を離陸して約3時間半(※国内線では最長級の時間)、石垣の島影が迫ってきました
10:10、石垣空港へ無事着陸。
曇りがちながら薄日も差しています
当別荘初、石垣空港です。
3月半ばで気温22℃、さすが沖縄、暖かい
ロビーにはテーブルと椅子が所狭しと並び、南国らしいのんびりムードも漂っていますw
『南(ぱい)ぬ島・石垣空港』という愛称付きの同空港。↑ゆるキャラ・"ぱいーぐる君"もいます
写真では見えないですが、像の下には彼のプロフィールが書いてあって、嫌いな食べ物がなぜか「ゴーヤ」、"今年の目標"は「原付免許を取る」だそうです(笑)
空港から市内へは、路線バスを利用します
石垣島は全島が石垣市、人口約5万という事で、路線バスが島内全域で運行していて、東(あずま)運輸という会社が運営しています。
約5万人という事でそこそこの人口キャパがある上、観光需要も多いのでバスの本数は多く、空港~市内間は毎時2本程度あります
バスが発車しました
空港~市内まで約15km、亜熱帯の雰囲気を醸し出す独特の街路樹が並ぶ道路を快調に走ってゆきます。空港~市内へは経由や種別が数種あり、僕が乗ったのは途中停留所にもマメに停まる普通バスでした
この路線、途中に↑"日本最南端のドンキ"があり^、『ドン・キホーテ前』というバス停もありますw
市街地へ入ってきました
家並も増え、途中停留所での乗降もかなり見受けました。離島といっても人口5万、その上観光客も多い石垣は『日本最南端の都会』としての貫禄を車窓から感じました
(※住民票を置かずに長期滞在している人を含めると、石垣の人口はもっと多いと思われます)
約30分強で終点、港の傍にある↑バスターミナル到着
東バスの車庫と本社もここにあります
色とりどりのバスが並ぶ車庫、ターミナルの真ん前なので丸見えですw
なお、空港へ行く系統のバスは車体に『Airport』と大書されているのでわかりやすい
ここから島内各地へ行くバスが出ていて乗車券売場もあり、ここから乗る場合は窓口でキップを買ってから乗車(※途中から乗る場合は整理券)
バスターミナル近くの食堂で昼食を済ませ(※ソーキそばが美味しかった^)、これから市街中心部の街ブラをするんですが、まずはBTすぐにある、港へ
石垣港・↑離島航路ターミナルです
ここから西表島をはじめ、波照間島や小浜島といったいわゆる"八重山八島"への船が出ています。
広い待合室の向かい側には船会社各社の窓口が並び、定期航路のほかツアーのチケット等も扱っています(※島によって運航会社が数社ある)
次回来た時は、石垣ベースで八島巡りもいいなぁ~と
(※大半の島へは所要1~2時間程度なので、石垣から充分日帰りしてこれる)
港の片隅にあった、石垣が生んだヒーロー・↑具志堅用高さんの像があります
ご存知、元世界チャンピオンの彼、現役引退後はバラエティ番組でおなじみとなってますがw、郷里の石垣では今なおスーパースターです
(※ちなみに、前出のゆるキャラ・ぱいーぐる君の"尊敬する人物"も彼になってました^)
なおこの港、ネーミングライツを採用していて、↑『ユーグレナ石垣港離島ターミナル』という名です。
"ユーグレナ"とは何ぞやというと~
ミドリムシです
藻類の一種の微生物ですが、鞭毛で動く事が出来、『植物兼動物』という生物学上極めて珍しい存在だそうです。
栄養素が豊富だそうで、その名も『ユーグレナ』という会社が栄養食品として売出している(※↑はその自販機)ほか、バイオ燃料の材料としても期待されているとの事
(※同島に研究施設がある)
ちなみに、離島港の前には↑、↑沖縄でおなじみのTシャツ店の本店があります
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港を出て、いよいよ"石垣・Wo流街ブラ"へ行きます
石垣島といえば、美しいサンゴ礁のビーチですが、今回は乗継立寄で時間がないためビーチには行っていません。
八重山の美しい海は、次作からの与那国島でたっぷりご覧頂きます^
今作では、他ブログではあまり取り上げない、石垣市街地の横顔をWo流の視点で廻っていきたいと思います^
港からすぐ、広い公園があったのでまずはここから
新栄公園といいます
なにやら↑地球をかたどったモニュメントが・
地球モニュメントの上には、石垣から各都市までの距離が、↑驚きの数字で書いてあります
早朝飛行機で出発した東京まで約2.000km!そりゃ3時間かかるはずw
そして日本最北端の稚内市まで約2.800km。長細い日本、まさに最南端の都市・石垣です。
一方、台湾までわずか270km、さらには香港やフィリピンより大阪のほうが遠い!凄い所まで来た実感がわきます
公園の片隅で保存されている↑古いコンクリ、気象台の壁の残骸で、先の大戦で米軍の攻撃を受けたものです。弾痕が生々しく残されています。
本島だけではない沖縄戦の記憶を伝え、平和への誓いを新たにするため、この公園に移設されたという事です。
公園からすぐに、商店街のアーチみたいなのがあったので歩いてみます。美崎町商店会とあります。
↑『お~りと~り』は、石垣の言葉で"ようこそ"です。本島の"めんそ~れ"です
美崎町、歩いてみるといわゆる"商店街"というより、飲食店が多いエリアで、夜のほうが賑わう街という感じです
そんな中、やたら沢山見かけたのが↑『焼肉屋さん』
なぜ石垣に焼肉店が多いのか、理由があります。それは・
島で牧畜されている『石垣牛』が名産なんです。日本最南端の和牛生産地です。離島で味わう本格和牛もいいかもです^
時既にお昼過ぎ、気温25℃。↑ワンちゃんが道の真ん中でのびてますw
美崎町の近くにある、↑石垣市役所。
赤い垂れ幕は、ご当地出身のバンド・ビギンのデビュー30周年を祝う言葉が、島言葉と標準語の両方で書かれてます
さらに、市街中心部へむけ歩くと~
ある交差点の一角に、↑の碑があります。
碑に『730』と刻まれてますが、その通りで"730記念碑"といいます。
『730』とは・?
沖縄のかたなら今更何を、という話ですが、アメリカ統治時代に車両右側通行になっていた沖縄県の交通方法を、1978(昭和53)年7月30日、周到な準備の上一斉に、本土と同じ左側通行へ変更した日付に由来します。
730当日、本島で夜を徹して行われた歴史的な変更作業の様子は今でも語り草ですが、八重山諸島でも同時に作業が行われました。
730について詳細は、11.3.9upの沖縄旅①で詳述しています。末尾にリンク貼っておきます
この交差点、信号名も↑『730記念碑』
沖縄にとって歴史的一大事だった事が窺えます
交差点.脇のお土産屋さんまで↑"730"
この交差点、石垣市から宮古島市を経由し、那覇まで繋がっている(※繋がっていると言っても勿論海上でのみなし経路です)日本最南の国道・390号の起点でもあります
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さらに街中へ入ってゆきます
路傍の小さなポケットパーク、ここは・
↑"八重山島蔵元跡"
なにか、酒を造っていた蔵の跡かと思いきや、全然違うんです
何の跡かというと・
現在はバス停前に小さな空き地が残るのみですが、『蔵元』とは、琉球王国が各離島に置いた役所の事で、ここに八重山諸島を管轄する役所・蔵元が15~19世紀に亘って存在していました。
沖縄県(※戦前)が支庁を設置するまでの約400年間、ここが八重山統治の中心だったとの事です
そのバス停の脇には、↑オベリスクのような石柱が立っています。
これは~
これは八重山の"道路元標"
終戦直後、米軍統治下にあった当時の八重山群島政府が建てたものです。オベリスク型は米国統治の影響とみられ、沖縄県内でも大変珍しい型だそうです(※現地看板による)
この場所には、八重山の歴史を語る碑もあります。
↑は『人頭税廃止百年記念の碑』
社会科で習った覚えがありますが、"人頭税"はザクっと言えば住民の人数割で一律に課した租税で、所得や農業収穫高を一切考慮せず定額を課したので、大変な重税だったとの事。
世界的に中世から近世にかけヨーロッパ等で採用されましたが、日本で唯一この税制があったのがこの八重山諸島でした。
なぜ琉球王国は、八重山だけにこの税制を採ったのか僕はよくわかりませんが、なぜか明治になってからも八重山の人頭税はしばらく存続し(驚)、廃止されたのは帝国議会発足後の1908(明治36)年までかかったとの事。八重山の人々を苦しめた過酷な税制を後世に伝えるための碑です。
(※人頭税については、次作以降の与那国島でも出てきます)
そして、蔵元跡の隣には、市立の八重山博物館があります。この辺り、石垣の"歴史ゾーン"です。見学します
内部は~
古代から現代に至るまで、日本最南端の人住地としての歴史を紡ぐ八重山諸島の文物、古文書から什器、美術品や農工具に至るまで、あらゆる種類の貴重な史料を展示。他では見られない品々に興味津々でした
年表も見応えあり、古代グスク時代より琉球王国、そして日本沖縄へと、同島の激動の歴史を仔細に刻んでいました。中でも明治初期、なんと明治政府が清(※現中国)に八重山諸島を割譲するというとんでもない密約を交わしたという故事も(※その後立消え)
祭礼の調度品も同島独特で、興味深いものばかりでした。石垣へ行ったら訪問必須と思います
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次は・
少し内陸へ歩き・
↑標識で見つけた『宮良殿内』へ行ってみます
塀のむこう、↑の古民家が"宮良殿内"です。
台風に耐えるため、漆喰でしっかり固められた沖縄の瓦
一見、典型的な沖縄の古民家ですが、国重文に指定されている歴史的建造物です
この『宮良殿内』(※みやらどぬじぃ)ですが、19世紀初頭、八重山の頭職だった宮良家の邸宅として、首里の士族邸宅の様式を模して建てられたとの事。
しかし那覇の王府から度々、「身分に比して豪華過ぎる」と何度も取壊し命令が出ましたが宮良家はこれを無視(笑)、結果今日まで、この貴重な琉球殿内様式の家屋が残されているという訳です
残念ながら室内には入れないんですが、受付の方から「縁側で庭を見てゆっくりしていって下さい」と仰って頂きました(※庭園も国名勝に指定されている)
次第に、空港へ戻る時間が迫ってきました。
バスターミナルがある港の方向へ戻ります
冒頭出た、離島ターミナルの↑向かい側ですが、ここからも、1カ島へフェリーが出ています。
それは~
与那国島への船だけは、ポツンと離れたここからの出港です
与那国へのフェリーは、↑福山海運が運航しています。4日おき位の運航で、所要約4時間です。ただ、僕も含め与那国への旅客は殆ど飛行機を使うため、主に同島への物資輸送が目的の航路です
港のそばの公園で、↑の碑を見つけました。
近づいて碑文を読んでみると、石垣ならではの碑だとわかりました。
この碑は~
石垣の北方約150kmに浮かぶ、尖閣諸島を明治期に開拓した先駆者、古賀辰四郎を顕彰する碑でした。尖閣諸島はこの石垣市に属します。
古賀は福岡県出身、同諸島最大の島である魚釣島を開拓、かつお節工場を設立し(※戦前まで尖閣には日本人が住んでいた)、終戦まで国から許可を得て操業していたとの事。
戦後は無人島となりましたが、現在では中国が領有権を主張して係争状態となっているのはご存じの通りです
時間がきました、いよいよ目的地、与那国へ立ちます。
再び東バスで空港へ
"ビーチなし"の石垣街ブラでした。ビーチは、次回石垣目的で来た時ゆっくり楽しみたいと思います^
与那国島へ出発します
17:35発の与那国行、RAC(琉球エアコミューター)便です。
一昨年の南大東島につづき、RACさんのお世話になります
南大東への便と同じく、ボンバル社のプロペラ機です^
いよいよです!
プロペラが始動し、まだ離陸してないのに揺れ始める機内w
石垣島、乗継での短時間とはいえ印象深い島でした。次回本格的に来る時の参考になりました。次回来たら、フェリーで離島三昧を楽しみたいと今からプランを練っています^
今作ここまでです!
いよいよ次作から、日本最西端の島、与那国を廻っていきます。
お楽しみに^
☆関連作リンク↓
vol.86 2011冬~沖縄旅① 斎場御嶽(せーふぁうたき)と平和祈念館 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
(※2023.12 文一部修正)