ウイイイイイイッス!
どうも、二十日莉奈でーす。
 
今日は、東武鉄道のダイヤ改正当日ですけども、
宇都宮線の特急しもつけは、廃止となりました…。
 
コロナの影響でずっと運休になっていたのですが、一度も復活することなく、廃止です。
予告は2月には出ていましたが、あまりにも突然に最後に乗ることもままならないまま引退することとなり、今でも信じられません。
 
 
 
数少ない350系で運転される列車にして、東武宇都宮線唯一の特急列車。
 
日光線でのきりふりがまだ残っているのは喜ばしいことではあるのですが、数年以内に廃止/500系によって置き換えられるかもなので油断はできません。尾瀬夜行も500系に代わったらしい。
 
 
 
私も高校時代は用事がてら踏切を通るので見送ったりしていたのですが、移動にはどうしてもJRを利用する機会の方が圧倒的に多かったので、実際乗ったのは数えたら3回だけでした。
 
 
初めて乗ったのは小学校3年の夏で、大阪に帰省するときでした。これから始まる旅にすごいわくわくしたのを覚えています、夏目漱石の千円が出たのに、特急券買うのに使われちゃって残念だったな。その後しばらく間が空いて、高2の2018年2月の埼玉大見学の行きが二回目、高3の2019年2月の関西の私大入試の帰りが三回目でこれが最後となりました。
 
 
今回は、2019年2月1日投稿のアメンバー限定記事「私大入試①」の一部を編集・再稿。
画像を追加したうえ、一部補足。
補足部分のうち、当日書かれていなかったかつ後になって分かった箇所はかっこで示しています。
 
 
 
✂-------------------------------チョッキン、チョッキン!
 
2019年2月1日。
 
 

この日は、私立大の入試を受けに埼玉まで行ってきました。

 
そこはセンター利用で多分合格できていると思いますが、万が一のこともあるので、一応全学部統一を受けました。
(などとこの日は書いていますが、その予想は以下のように思いがけない形で裏切られることとなります。)
 
この年は定員厳正化の影響で一気に倍率が厳しくなった中、センター利用はダメでしたが全学部統一では合格。
なんとか滑り止めが確保できました。
 
 
 
 
 
朝起きたら雪が少し積もっていた。
私は少し緊張して家の扉を開け、駅へと向かった。
 
新幹線で宇都宮から大宮まで移動。
さすがにセンターの時ほど緊張はしなかったけれど、昨日から不安な気持ちが続いていた。
 
でも、車窓からきれいに富士山が見えたのは嬉しかった。今日は大丈夫な気がしてきた。

 
(実際に、今回といい国立といい、行きの車窓から富士山が綺麗に見えた時は合格できています。
反対に2月9日に曇天空に雪が舞う中、にじさんじの聖地・両国で受けたもう一校の入試は、さんざんな結果でした…。)
 
 
小山到着前に低空飛行の飛行機をみた。自衛隊のものだろうか。
 
その小山で乗りこんできた人がばいきんぐの小峠に似ていた。
なんて日だ!と思いながらも、ぼんやりと座っていると、何やら診察票を書いていたので、小峠だなんて思ったことを申し訳なく感じた。
 
 
大宮の手前でニューシャトルと合流。
大正製薬の工場が見えたので、響木アオちゃんとのコラボのことでの感謝を込めて礼をした。
 
会場に着いた。
 
それなりの緊張感が漂っていた。エレベーターホールがきれいだった。
 
あと、トイレがすごい物静かで広く、きれいだったです。
 
英語。簡単だった。
昼食はなんなく食べれた。
国語。少し悩んだがまあできた。
世界史。難易度が半端なかった。(7割強くらいかな。)
試験官のおじさんがよく噛んでいたのが気になった。顔赤かった。
 
 
(母親がクーラーボックスにいろいろお菓子や栄養ドリンクを入れて持たせてくれて、休み時間はそれで体力回復していました。
あと、英語で犬の話とか古代中国の青銅鐘の話が出たのが覚えています。)
 
 
そんな感じですぐに終わった。帰りの下に降りるエレベーター待ちでホールが混んでいたので、私は911の教訓を思いだし、ひたすら階段を下りた。
ビルの高層階から避難する場合、エレベーター待ちが命取りになることは歴史上何度も繰り返されてきた定石である。
・・・そんな理屈はともあれ、単にせっかちな私は待っていられなかったのだ。
どこまでも続くような薄暗い階段は不気味だった。機械音が響いている。踊り場が突然現れたり少し怖かった。いつか小さい頃どこかで感じたことのあるような畏れ。
 
 
確かこんな階段のでてくる小説を読んだことがある。大声大会の雑踏を避けて入った非常階段、大きな音が響き轟く「耳の塔」でかつての父の面影を見る話。
私は不意にこれを思い出した。
 
ナポレオンの戦慄。
 
そんなこんなでロビー階に到着。ほっとひと安心しながら重い扉を開けたところ、私はさらなる恐怖に包まれた。
表向きのきれいなホールかと思いきや、そこには無機質な空間が広がっていた。非常口はこちらと指し示す看板。はるか上に行くためにぼーっとしながら荷車にもたれかかっている無愛想な管理業者の人。
どこにいけばいいのかも分からず私は呆然とした。
 
そこに目に飛び込んできたのは、この扉を開ければエレベーターホールに出られるという案内。
それはまさに天から降りてきた一本の光輝く雲の糸のようだった。
 
扉を開ける。
私は今度こそ迷宮から解放された喜びに浸りながら、良かったと呟いたのであった。
 
 
(本当にきれいな高層ビルでした。もう一度行ってゆっくり買い物とかしたいぜ。あれ以来一度も訪れてないけど。)
 
 
 
外に出てビル風の音をききながら大宮駅に向かう。もうすっかり夕方になっていた。
 
ここで私は受験生から「鉄」に幕回し。
せっかく鉄道に乗るのだから、旅気分も味わうことにしていた。
 
京浜東北線の3号車。制服を着た高校生を何人か見かけた。みんな受験の帰りだろうか。
私はこれからほんの少し寄り道をする。
 
暮れいくビル群を眺めながら揺られること3分。さいたま新都心で下車。
 
街は夕陽に照らされ、この日最後の輝きをちらつかせていた。
きれいに区画された都市に私は心を奪われた。
(本当にこの日の夕日きれいでした。)
 
スマホを見ると、ロック画面のYuNiちゃんが笑っていた。
今日からここは「ユニングラード」だ。(サラダ記念日的な何か。ちな浦和駅は「流れ星駅」だったな。)
(サラダ~は補足ではなくもともと書かれてました)
 
 
 
ここに来たのにはある目的があったからである。
始皇帝に影響を受けてカゲプロを燃やしに来たのではない。
クアアニアのハンバーガーを食べにきたのだ。軽井沢にあるあのハンバーガー屋さんである。
私は中華料理にも心を惹かれはしたが、値段を見るとどれも一人で食べるのには高かった。
 
そこでハンバーガーに心を決めた。
チェダーバーベキューバーガーにアボガドをトッピングしたのを頼んだ。セットで1800円。
ハンバーガーにしては高額な出費だが、ビーフパティは150gもあり、満足いくだけのものである。

 

 
 
センター後のフレッシュネスバーガーといい、試験後にハンバーガーを食べるということが新たなルーティンになりそうである。
(これにあやかり、国立入試後もフレッシュネスバーガー食べに行きました。)
(どうでもいい話だけど、2月9日ににじさんじの聖地・両国で食べたフィッシュアンドチップス本当にまずかった。ブルーシートに覆われた店には絶対行かない方がいいよ。思い出しただけではあちゃま出そう。)
 
 
注文から食事がでてくるまで10分はかかる、普通のハンバーガーとはまるで違うところにここの良さがある。
 
 
ハワイアンな木の器に盛られたポテトもカリカリとしていて、この感じもたまらない。
最初の一口目はとびきりおいしいが、最後は少し苦しくなってくるものの、お腹一杯になる。
 
しなの鉄道に乗りに行ったとき、ヒメヒナ女児女児帝国(田中駅)の帰りにでも軽井沢にあるクアニイアに寄ってみることをおすすめする。
というか自分がいきたい。
 
さて、店から出るともうすっかり日は暮れており、駅前にある居酒屋の「ミライザカ」の看板がミライアカリに見えた私はもう末期なのかもしれない。
 
 
 
 
京浜東北線で大宮まで戻り、そこから東武野田線に乗り換える。
(なお、ここで自販機で買ったピーチティーを床でこぼしました。カメラのレンズにもかかりました。)
 
 
京浜東北線で秋山に似ている人を見かけた。
髪はロン毛だった。
 
 
 
野田線の混雑はすごい。がら空きだった車内が5分もしない内に劇混みになっていた。
幸手の部活帰りのJCがコーラを飲んでいた。私はラインで連絡を取りあった。(家族と)
 
岩槻で下りた女子高生かわいかったなぁ・・・。
 
 
ここで私は運命の出会いを果たす。
車内でオタクを見かけたのだ。顔はたぐちエンターテイメントに似ていた。カーキ色のコートに眼鏡をかけていた。リュックにはたくさんアニメの女の子のバッヂがついていて(それらは同じ作品なんだろう)、ローマ字で「半蔵門雪」とか書いてあった。
絵柄が古かった(2005年くらいのフリゲに見えた)ので、こいつVtuberという「文明」を知らない方だな。あにまーれでもつけとけ。
 
・・・という19世紀の西洋人さながらの選民意識で見ていたのだが、ここで私はあることに気づいた。
裏返っているクリアキーホルダーのシルエットを見て、唖然とした。
もう何度も目に焼き付けてきたあの「ぴょこぴょこ」が見てわかった。そしてたなびく長い髪。
 
・・・「非文明人」どころかアイちゃんのガチファンでした。
まさかこんなところでキズナーに出会えるとは。
こっちはゆにチルやぞ。
 
ちなみに調べてみたところ、この半蔵門雪って方は、10年前どころか前シーズンのアニメのヒロインらしい。
1クールで嫁が変わるイキリオタクかよぉ!
「文明化」が遅れていたのはこっちだった・・・。
 
 
・・・ハワイ帰りの莉承晩と、カーキ色の金日蔵は列車の中で偶然でくわす。民族
 
・・・というところまで妄想は膨らんだが、世界史の問題では韓国のあたりで相当苦しめられたことが思い出されたのでやめた。
 
(本当に難しかったんですよ。大体私立文系は英語と国語は固定で、世界史と日本史と地理と政経と数学とかで選べるのですが、多くは数学を避けて得意科目で受けるため、かなり難易度あるんですよ。地理で受けた高校の友人もスバールバル諸島が分からなかったと言ってた。結果は聞けなかったッス!(大空スバル,2019)
ちなみに、2月9日のにじさんじの聖地・両国で受けた時も世界史で受けて点数調整で落とされるという憂き目にもあっています。)
 
 
 
 
そんなうちに春日部に到着。
キズナーが降りるのは見かけたが、気づいてみたら人混みのなかに消えていた。
 
(このあとのVtuber界隈がこんな運命をたどるなんて誰が予想していたか。この頃は、キズナアイは炎上した後であったとはいえ、チーズおかきコラボが行われ、バーチャルさんは見ているは放送され、ゲーム部が流行るという安定期であった。まだまだ四天王の覇権は続くと思われていた。私もまた、大学に行くことで大きく変われると思っていた。あれから1年以上たち、四天王はじめ動画勢は軒並みオワコンと化し、ライバーの箱文化が主流となったが、それでも界隈は延命を続け、ファンは閉じた界隈の中で移動を繰り返すようになった。そしてあれから1年以上たっても私はこの界隈の文化から卒業することができず、これでいいのかと思いつつ、そんな自分に自信を持つこともできず、結局ホロ箱推し、星詠みとゆにチルを続け、悩み続けている。野田線で出会った名もなきキズナーは元気にしているだろうか。今もキズナーを続けているのかな。せめて自分が好きなことに自信を持ち続けていてほしい。自分の人生には関係ない割とどうでもいい話だけど、そう願わずにはいられないのである。)
 
 
100系スペーシアが通り過ぎる。

ここから特急しもつけに乗るために何本も夜闇の中に走り去る列車を見送った。カンテラを持った駅員を見ていると少ししんみりとした。
発車メロディがクレヨンしんちゃんだった。今週はないんだよなぁ・・・。
 

 
夕暮れのラッシュの春日部駅。
 
東京メトロ日比谷線の03系が到着。一年後に日比谷線から引退し、長野電鉄に転属予定。
 
野田線に残る8000系もいた。宇都宮線系統はすぐ置き換わってしまった。
 
そしてしもつけ号が到着。
やがてしもつけ283号が到着。指定券を買ったときはがら空きだったが、車内はすごい混んでいた。見ているとほとんどの乗客が春日部で降りるらしい。何があったんだ。
なんとか乗ることはできた。ところが先の一連の出来事のおかげで3分ほど遅れているようだ。
 
東武宇都宮までの1時間半の旅程、外は暗くてほとんど景色は楽しめなかったが、栗橋や栃木駅は分かった。
リクライニングができないのは残念だったがレトロな特急に乗ることができて良かった。
 
列車が北上するにつれ、乗客はどんどん降りていき、栃木につく頃にはこの車両には私を含めて2~3組しかいなくなった。
 
 
折り畳み式と座席収納式のテーブル。1800系の面影が漂う。
かつての私鉄の優等列車らしい車内設備が今でも楽しめるのは貴重な体験。
 
リクライニングはしないが、重厚感漂う座席。
 
車内自販機。
 
 
車内では今日あったことをまとめたり、会場で食べなかったお菓子を食べたり、自販機の紅茶を飲んだりした。
 
新栃木駅。ここから単線の東武宇都宮線に入るため、しばらくの停車。日光線の普通列車6050系とすれ違う。
かつては浅草と東武日光・会津田島直通の快速や区間快速の運用にもついていたが、数年前のダイヤ改正で廃止になり、今は南栗橋以北での運用。
 
 
 
東武の社章をあしらった扇風機。
 
おもちゃのまち駅。
面白い駅名のため、写真を撮っている人がいた。
あっという間の旅は終わり、20時22分東武宇都宮到着。
ごみ回収のおじちゃんがいい感じの人だった。
 
 
右は8000系を置き換えた20000系。なんだか前の車両の方が味気があったと感じる。
 
回送されるしもつけ号を見送ったあと、改札を出た。ファミチキ先輩が恵方巻売りに必死だった。
 
 
こうしてまた長い一日は終わった。
 
 
私立はもう一校受ける予定です。
国公立受験もあるので、これから1ヶ月くらいは鉄道に乗る機会も増えると思います。
春休みは言わずもがな。
 
埼玉、もう一度いきたいぜ。
 
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そして、これが私が特急しもつけに乗った最後の機会となったのであった。
 
 
6月6日、特急しもつけ、廃止。
東武宇都宮線は1953年~1959年の急行列車が運行された時期を除き、長い間普通列車のみのローカル線でした。
1988年に急行しもつけ(2006年に特急に格上げ)が「復活」してから、350系は長い間この路線の顔として走り続けていましたが、
今回の廃止により、再び優等列車はなくなります。
 
32年間、お疲れ様でした。
 
 
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前回の記事のその後と次回予告。
 
 
そういえばこの前星街労働新聞をあげたまさに次の日に、北関連で拉致被害者の家族がなくなるという悲しいニュースがありましたね。本当に偶然であり、タイミング狙ったわけではありません。結果として不謹慎な内容になってしまいました。申し訳ありません。
そして、横田滋さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
あと、結局ホロライブは、公式サイトより、ゲーム配信の許可をとっていなかったことを発表しました。
何の声明もないよりは断然いいのですが、かなり残念です。
ライバーを責める気にはなれませんが、商売をするためには、必ずその商品を仕入れるのにそれなりの対価は払わなければいけないわけでして、黙認ベースとはよく言えたものです。
最近好調であった以上、今回の騒ぎが原因で一気に人気がなくなり、箱の崩壊に至らないか心配ではありますが、
実況への運営の対応がまずかったことがすべての原因なので仕方ありません。
すいちゃんはこうした中でも持ち前の技術力とメンタルの強さで、確実に生きていくことでしょう。などと自分に言い聞かせる日々。
運営への信用が崩れ去った今、ライバーの力を信じることしかできません。
 
 
 
 
次回予告:
 
突如巻き起こったホロライブ騒動が人民の心を突き動かした!怒れホロ推し、立てよ有権者!
果たして二十日莉奈におけるVtuberの長い歴史はここで途絶えてしまうのか!
 
次回、北都の県!「真夏の夜の逃避行!ムーンライトながらの運命はいかに!」、
…あるいは「麗らかな春の知らせ!埼玉の地にのぼる朝日!」 (どちらかは決めていない)
 
乱世の怒りがすいちゃんを呼ぶ!