番外 現在はミャンマーで活躍中、平成23年撮影時下関車両管理室(旧称)に留置のキハ181系気動車 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 当ブログでもこれまでもご紹介しておりましたが、下関駅から門司駅寄りに設けられておりますJR西日本下関総合車両所運用検修センターは、様々な電車・気動車の姿を見る事ができておりまして、山陽線の下関~門司間の列車に乗車しておりますと、画像のような姿を拝見する事ができております。
 
 これら留置されております車両を見ましても、「広島支社色」や「広島更新色」が見られておりました平成21年と比べまして、「末期色」やかつての国鉄時代のような「朱色」が多く見られます現在と変化が見られているのがわかります。それでも、国鉄型の115系電車やキハ40系気動車などがこの山口地区では多く健在でもありますので、国鉄型から国鉄型への置き換えで現在に至っている事も伺える所ではあります。
 
 
 それとともにその下関総合車両所運用検修センターの所に存在します林兼(はやしがね)産業の建物にあります、マルハニチロの「ハム・ソーセージ」の看板には特に目を引く方もいらっしゃるのではないかと思います。

 実際に、「ハム・ソーセージ」の看板は変わらないものの、外観の姿に変化が見られておりまして、上の画像1の平成21年撮影時は濃い茶色であったのに対しまして、画像2の現在は濃い緑色に変わっておりまして、10年もの変化が伺える所でもあります。
 
 
 さて、そんな下関総合車両所運用検修センターでは、かつてある理由で特急形気動車が留置されていた事がありました。今回はその模様を収めておりましたので皆様にご紹介してまいります。
 
 
 それが、JR西日本京都総合車両所に所属しておりました上の画像のキハ181系気動車でありまして、平成22年まで大阪~鳥取間などで運行されておりました山陰方面の特急「はまかぜ」として使用されていたものでありました。尚、この下関総合車両所運用検修センター(←下関車両管理室)に入る事は、平成17年に廃止されました「いそかぜ」用の車両以来でありまして、6年ぶりにキハ181系気動車が入線するに至っておりました。
 

 この経緯は、この年に新型車両でありますキハ189系気動車に車両が置き換えられた事から、それにより定期運用から離脱しまして、その後一時は一部臨時列車としても使用されていたものの、結局その運行自体も終了しまして、全車引退と言う事になっておりまして、その結果この地へとやってきておりまして、内訳はキハ181形5両・キハ180形8両・キロ180形2両の計15両がやってきておりました。
 
 
 ここからは、当時の下関車両管理室に留置されていた姿をご紹介してまいります。この時見られておりましたのは8両でありまして、4両×2編成の陣容でありました。このうち画像の1編成は、キハ181-98を先頭にしました編成となっておりまして、公道からも見る事が可能となっておりました。
 

 この編成の場合で見て見ますと、愛称板も外されていますし、方向幕も外されておりましたが、

 それでも、白と赤の「特急」の表示は残されておりまして、かつては特急でも運行されていた事が伺えるのではないかと思います。
 
 
 一方、もう1編成につきましては下関車両管理室の東側端の留置線に留置されておりまして、実質東西端の方に留置されている状態となっておりました(管理室近くの駐車場から撮影)。
 
 
 この15両は、下関総合車両所幡生本所におきまして解体されるのではないかと思っておりましたが、実はミャンマー国鉄に譲渡されるためにこの地にやってきておりまして、その後全車が近くの下関港からミャンマーへと船で送られております。

 そして、ミャンマー国鉄での現況でありますが、ミャンマー国鉄の形式では、RBE5000番台の形式で名乗られているそうでありまして、それは500馬力と強馬力であるからとされております。現在も高出力車両でもある事から、ヤンゴン近郊の路線で活躍しているそうでありまして急行列車として運行されているそうでもあります。
 

 今回ご紹介しましたこれら15両に関しましては、ご紹介しておりますように幸い解体まで免れておりまして、そして現在では遠くミャンマーの地で活躍を続けておりますが、この下関の地で見た際には最初今後どうなるのだろうかとさえも思っていただけに、新天地ミャンマーでの活躍の場を与えられた事は良かったと思っております。本当に、キハ181系気動車にとりましても、仲間が日本国内では使用されなくなりまして解体もしくは保存と言う流れに至った車両もあるだけに、これからも仲間の分、ミャンマーの地におきまして大切に使用していただきたいと思う所であります。