一周忌 忘れないために | コロラドウエスタン鉄道

コロラドウエスタン鉄道

2006年から続けている趣味の鉄道模型と日々の生活情報を書き綴っているブログです。
趣味の鉄道関連だけでなく、日頃の話題なんかも書き込んでまいります。

2019年6月3日 月曜日 朝9時過ぎ 1本の電話が鳴った。
 
「こちらはフィリピンの日本国大使館です」
「???」
「実は昨日、息子様がここフィリピンでお亡くなりになりました」
「はぁぁ? あんたねぇ、いたずら電話や詐欺電話でも言うべきことじゃないよ、そういうことは!」
「おっしゃるとおりです。信じられないことだと思いますので
外務省の邦人援護課に確認いただけますか。連絡先ですが、外務省の代表番号は・・・」

事実であった
というか、電話は事実であっても内容が本当に我が息子のことかはまだわからない
再度、フィリピンの日本国大使館から電話があった
これから亡くなった遺体を安置してる病院に行ってくるとのこと
確認後、再度連絡をするとの内容
なんだ、まだ確認してないんじゃないか。
 
3時間後、再々度、電話があった
「パスポートと遺体の照合確認をしたところ息子さんに間違いないようです」
「そうですか。お手数をお掛けいたしました」
悲しみの感情が出てこない
まだ自分で確認をしていないため、信じきっていないからか
家族のだれにも涙はない。間違いの可能性にかけているから。
「この後の対応ですが、こちらにお越しいただくとか・・・」
 
「もちろん確認に伺いますが、当面の対応ですが、
息子は旅行会社のJTBの社員ですのでJTBのマニラ支社にも協力をしてもらおうと思います」
「そうですか、それではすぐにJTBマニラ支社にこちらから連絡を入れさせていただきます」
 
10分くらい経過しただろうか、息子の所属先の上司から電話があった
今回は仕事の出張ではなく週末の個人旅行であったが
会社が全面的にフォローしてくれるとのこと。正直、助かる。でもまだ信じ切っていない。
 
西新宿の都庁庁舎を見下ろすような息子の勤務先であるJTBオフィスに出向く
お互いが持っているその後の情報の摺り合わせを行い
現地へ行く手配その他の打ち合わせ
すべてが事務的に淡々と進められていく
それはまだ100%息子の死が確認されていないことが前提だからだ。
ここで問題が。
息子を現地へ迎えに行きたいのだがパスポートの有効期限が切れている
これでは迎えに行けない。 すると、
「大丈夫ですよ、すぐにパスポートを発行してもらいましょう」
???
こうした緊急事態にはパスポートをすぐに発行してくれるとのこと。本当?
翌日、小池都知事宛てに事前に教えられた内容の旅券緊急発行要望書?を書いて手続きをしたら
2時間弱でパスポートが発行された。
小池都知事に感謝です。 こういう救済措置があるのですね。
 
翌日、手配いただいたフライトでマニラへ
現地スタッフに協力をいただいて安置されている病院へ
ところが既に病院から離れ現地の葬儀社の安置室に居るとか。
安置室で対面・・・ ここで始めて涙が溢れた
息子だ、間違いない、異国の地で眠ってる
「バカヤロー」
この言葉しか出なかった。
続けて
「一緒に日本へ帰ろうな」
 
遺体を日本へ運ぶというのは何かと手続きが大変である
今回も検死をした医師の死亡診断書の記載ミスであわや日本への移送が出来なくなるハプニング
その医師はダバオへ出張中でいないとか。
その医師が戻るまで足止め?
幸い、現地で協力をいただいたJTBスタッフの尽力で助かった。
ここで書くのもなんですが、さすがはJTBです。
「医師の記載ミスなら訴訟ものですよ」
とか言って病院側を恫喝?するようにして
死亡診断書を検死に関わった他の医師に書き直しをさせた
ほんと、現地スタッフの頑張りに助けられました。
海外で自力で出来ることなんか何もないです。
 
なぜ息子がフィリピンで亡くなったのか
週末を利用してマニラ近郊へに来ていた
今後の仕事に必要な情報収集のようだ
 
2019年6月2日の日曜日
日本へ戻るため訪問地からマニラ経由で飛行場へバスで向かう
そのバスの車中で急に苦しみだしたため、運転手の機転でバスをそのまま病院へ横付け
すぐにICU治療室に運ばれ懸命の治療を施すも救えず
若干39歳の若さで急性心筋梗塞で天国へ旅立った。
 
持参していたパソコンを調べてみると
「高血圧」とかいった用語を調べていた
何か自覚症状があったのかも知れない。
 
息子は旅行が心底大好きな猛烈社員でした。
仕事以外にもプライベートでも時間を見つけては海外を飛び回っていた
それは仕事に役立ちそうな情報収集のため
今回の渡航はプライベートな旅行でしたが
実際のところは仕事の延長だと思う。
 
「自分がゆっくりと寝れるのは飛行機の中」
と言っていた言葉を思い出す。
実際、
飛行機に乗って座った瞬間に寝入り
ガクン! という振動で目が覚めたらロンドンのヒースロー空港だった
そんな笑い話を聴いたことを思い出した。
 
我が家では
好奇心の強い息子には幼い頃から本物を見せてやりたい、と思い
学校を休ませることに躊躇せず
社会勉強だと思い海外へよく連れ出していた。
そうした教育方針の影響もあってか旅行会社へ就職
その時、海外を飛び回る仕事なので
 
「どんなことがあっても受け入れるように覚悟だけはしておこう」
 
と家内と話したことを思い出す
でも本当にこのようなことになるとは。
 
我が息子は最後に訪問すべき国「天国」へ旅立ちました。
旅行好きなヤツの、ちょっと早とちりな訪問国でした。
そのうち、我々も行くであろう最後の訪問国です。
 
昨日、一周忌の法要を済ませました
亡くなって1年が経過したのですが
今でもどこかの国へ行っているような気持ちです。
「あいつ、今、どこにいるんだぁ、最近連絡ないじゃん」
そう言って毎日を過ごしていた頃と変わりがありません
というか、そのように思うようにしています。
そして、これからもそうして過ごしていきたいと思います。
 
浄旅輝宏信士
これが息子の戒名です
極楽浄土へ言っても好きな旅を続けられるように付けていただきました
わが息子は永遠の旅人なんです。
息子がこの世に生存していたことを
どこかに書きとどめて置きたかったので
ここに記載しました。
 
最後までお読みいただいた方へ
ありがとうございました。
合掌