1980年(昭和55年)頃の会津線 | スプーンの気まぐれ日記

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海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

只見線と兄弟路線で、線路などの規格や走る車輛も殆ど同じだった会津線(現・会津鉄道)は、なかなか撮影の足が向かなかったのですが、大川ダム建設に伴う旧船子駅・桑原駅前後の新線切り替えのタイミングが近づいた1980年(昭和55年)11月にようやく行ってきました。

首都圏色のキハ23500も懐かしいです。方向幕は白抜きの「普通」で、どこかのタイミングで交換されたのでしょう。
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旧桑原駅付近のロケーションです。もうすでに村は画像右上のほうへ引越しが済んでおり、建物らしいものは殆ど見当たりません。myspoon_201803_04634_01.jpg

水没する旧桑原駅です。西若松方より。この時点ではカーブしたホームに待合室と駅本屋から延びた階段の上屋が残っています。
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会津田島方より。蒸機時代はここに給水設備があり、C11がひと息入れたのでした。
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近くには立派な吊り橋が残っていました。
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西側の山の中腹を走る道路は今も変わらない国道121号線です。船子駅は現在「大川ダム公園駅」、桑原駅は「芦ノ牧温泉南駅」と名称が変わっていますね。
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普通列車にはすでにキハ40も入ってますが、キハ25、キハ51も首都圏色に塗られて活躍していました。
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キハ55は急行色のままです。後方の橋脚の高さに注目です!
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通学列車は4輛編成(この時代、只見線は5輛編成)、最後尾はキハ28です。最高速度は今も65km/hですが、新線は85km/hとのことです。でもホントにそんなスピードで走っているでしょうか?
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貨物列車は1982年(昭和57年)まで走っていました。会津線の貨物といえばチップ輸送のトラ90000で写真の列車にも3輛入っています。
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桑原駅はすり鉢の底の様な地形にあり、どちらに進むにも登り勾配で、DLのエンジンも唸ります。この貨物列車は只見線と同じタイミングでの廃止でしたね。高 校の下校時に郡山機関区急行気動車A1が入る435Dの西若松発車が遅れると、会津線のチップ輸送の長い貨物列車とよくすれ違ったものです。
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大学の鉄研では会津線の映画も作りました。只見線のせいで目立ちませんが、ロケーションは良かったですね。
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お気に入りのカットです。
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今は電車が走るなんて信じられません。
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終点の会津滝の原です。画像右側には転車台が放置されていました。
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新藤原方向を見ると、この当時でなんと架線柱が建っていました。線路より先にですよ!驚きましたね。
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会津線の臨時列車では「尾瀬フラワー号」が挙げられますが、キハ58系2両編成で、仙台と会津田島を結んでいました。
田島行きは夜行(!)、仙台行きは915D「急行あがの2号」とほぼ同じ時間帯を走ったのを見ると、併結したのでしょうか。
差し込み式のサボに列車名が堂々と記されていた印象が残っています。


次回は日中線の予定です。