今回の"はしやすめ"は阪急電鉄宝塚線の神崎川橋梁のご紹介です。
阪急電鉄宝塚線三国~庄内間にあって淀川水系神崎川を跨ぐ橋梁です。
4径間連続上路コンクリートI形桁橋で、長さは150m(独自調べ)です。
阪急の8両編成がちょうどすっぽりの長さですね。
平成10年に三国駅付近の高架化に伴って竣工しています。
架け替え前の橋梁は、渡ったことはありますが画像は一切ありません。
ずいぶん以前に"神出鬼没第53回"でも訪れてますよ。
上流に見えているのは「三国橋」。
その昔、能勢街道の渡し場があった場所です。
下流には国道176号線の「新三国橋」が架かっています。
ゲルバー桁のプレートガーダー橋です。
ちょっとだけ脱線すると、前々から「三国」という地名が気になってたのです。
全国にいくつかある三国岳、三国峠の大半は三国の国境であることが多く、
大阪府堺市の三国ヶ丘駅あたりも国境変更前の摂津・河内・和泉のだったらしい。
で、それが気になって橋梁そっちのけで神崎川を調べてみると、8世紀の「続日本紀」に三国川という名で登場しているそう。
現在の神崎川は、大阪府摂津市の一津屋で淀川から分岐して西流したあと、
大阪府と兵庫県の県境となる区間があって最後は大阪湾へと流れ込みます。
淀川から分流したのは、奈良時代末期の長岡京遷都に伴って開削されたとありますから、
もともとは今は支流の安威川が三国川の本流だった可能性が高そうです。(それでも三国の由来は諸説あるようですが・・・)
話を橋梁に戻します。
右岸から見ると、大阪梅田方へ向かって右に緩く曲線を描いてます。
真下から見ると、I形のPC桁が4本。
橋脚は小判型で川に流れに逆らわないような配置になってます。
橋脚の梁が架線柱の基礎を兼ねていますが、丸みを持たせた上ですっきりまとまってますね。
なぜこの時期に?なわけですが、淡路定点102回-その6でお伝えした千里線の新神崎川橋梁の橋脚が、
姿を現したのがきっかけではあります。
あちらも小判型ではありますが、橋座が宝塚線のものとは明らかに違っています。
それもそのはず、あちらはPCボックスガーダー。
つまり箱桁になることをすっかり見落としてました。
ちゃんちゃん♪
鉄道コムで「神崎川橋梁(阪急宝塚線)」を調べてみる