渋谷上空の「ひばり号」 | 書斎の汽車・電車

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 今回は、夫馬信一『渋谷上空のロープウェイ』(柏書房)をご紹介します。

 

 昭和20年代の一時期、渋谷駅の上空に「ひばり号」というロープウェイがあったことは、私も知っていましたし、どこか「もっさり」としたその車体についても、写真を見たことはありました。しかしその詳細についてはよく知りませんでした。東急がロープウェイという新しい交通システムの「実験線」として試験的に敷設したのかなくらいに思っておりました。

 

 本書によれば、「ひばり号」は渋谷の東横百貨店本館(のちの東急東横店東館、現在は渋谷スクランブルスクエアの一部)の屋上と、東横百貨店別館(東急東横店西館、本年3月に閉店)の屋上とを結んでおり、国鉄渋谷駅の線路の真上を通っていました。しかしあくまでもデパート屋上の「遊戯物」であり、広義の「鉄道」の仲間にも入れてもらえない存在だったようです。

 「ひばり号」は先に述べた区間75mを秒速0.5mで動くアトラクションでした、運賃は往復20円といいますが、当時東横百貨店別館の屋上は、戦争により工事が中断(7階建のところ4階部分まで完成)したことから、上層階用の柱が飛び出ただけの殺風景な状態で、乗客はここで降りることは出来ず、出発駅である本館屋上に戻るしかなかったのです。

 その「ひばり号」ですが、営業開始がいつだったのかも定かではありません。昭和26(1951)年6月には完成していたようですが、国鉄線の真上を通ることから、万一のために金網を張るなどしたため営業開始は同年8月までずれ込んだそうで、しかも日付は20日と25日の2説あるような状態です。やはり「遊戯物」となると、正確な記録も残されていないのですね。

 子供には大人気だったという「ひばり号」ですが、その最後はあっけないものでした。工事が中断していた東横百貨店別館をベースに、11階建の「東急会館」が建てられることになり(設計はあの坂倉準三)、工事の邪魔になる「ひばり号」はあえなく撤去されてしまいました。その終焉も昭和28(1953)年頃というだけで、例によって正確なところはわかりませんが、本書の著者は8月下旬~10月上旬のどこかではないかと推測されています。

 

 私は「ひばり号」を手がけたのは、ロープウェイの世界ではトップメーカーといえる「安全索道」だと思っていましたが、本書によれば「日本娯楽機」という遊園地等の遊戯物のメーカーでした。本書では日本娯楽機とその創設者である遠藤嘉一についても詳しく触れており、また遠藤が多数手がけたというデパートの「屋上遊園地」の興亡(最近ではほぼ壊滅状態です)についても筆を進めています。こうした分野には不案内ゆえ、興味深く拝見しました。また、「ひばり号」の舞台である渋谷駅の変遷についても詳しい記述があります。(本題とは余り関係ないかも知れませんが「忠犬ハチ公」の銅像の設置場所の変遷なども載っています)特に「ひばり号」の息の根を止めることとなった「東急会館」については、前身の「玉電ビル」時代からの歴史を読むことができます。当時の坂倉準三事務所のスタッフの方の証言などもあります。

 

 本書は「ひばり号」の物語をメインとしつつも、その産みの親である遠藤嘉一、デパートの屋上遊園地、渋谷駅(特に東急側)の変遷など、ともすれば「ごった煮」的になりかねないところですが、要領よくまとめられています。ロープウェイ好きの方、渋谷駅に興味のある方などに特にお薦めしますし、それ以外の方も、一読の価値はあると思います。