この画像を提供していただいた時、目を疑いました。 「何故、シロクニが・・?」

C62といえば、往年の特急 「つばめ」 「はと」 「あさかぜ」 などを牽引した旅客用機関車です。それなのに、貨物列車を牽引とは・・・。

そりゃあ、本来貨物用のD51が旅客列車を牽くことだってあるし、蒸機以外でも貨物用電機が旅客列車を牽引したり、ブルートレインの牽引を主な日課としていたEF65 500番代P形が間合いで貨物列車を牽引することだってありました (特に下関運転所配置機はね) 。でも、C62の貨物列車牽引は、なかなかお目にかかれるものではありませんし、知っている限りで、C62が貨物列車を牽引したシーンを各種媒体が掲載したのを見たことがありません。そういう意味ではかなり貴重な絵面になるのではないでしょうか。

 

おそらくではありますが、この画像は山陽本線か呉線かの何れかだと思われます。

カモレの先頭に立つ41号機は、昭和23年に汽車会社で製造され、宮原機関区に配置。ということは当然、東海道本線の特急や急行の牽引がメインであるのは言うまでもありません。ナンバープレートは赤で、宮原時代はナンバープレートの取り付け位置が煙室ハンドル寄りでした。

昭和30年代に入って、特急列車の数が増えたことによって、重油タンクを併設しましたが、東海道本線の全線電化を機に、広島第二機関区に転属 (昭和42年の現業機関の統合によって広島機関区) 。さらに糸崎機関区へと移って、昭和45年3月に廃車されます。糸崎機関区は主に呉線の運用で、その頃の呉線といえば、 「仁義なき戦い」 ・・・ではなくて、急行 「安芸」 の存在が一際大きかったですよね。通常は特急列車にしか付かないヘッドマークを掲げ、山陽路におけるC62の最後のステージとして脚光を浴びることになります。その頃、ナンバープレートが少し前照灯寄りに嵩上げ取り付けとなりますが、温暖な西日本特有の端正な佇まいは変わりませんでした。

 

C62の貨物列車牽引は、北海道でもあったらしく、小樽築港配置のカマ (確か3号機) が石炭列車を牽引したシーンは発見しました。

画像ももしかすると、所定の牽引機はD51辺りだったんでしょうけど、そのデゴイチが何らかのトラブルを起こして、C62に 「ちょっと行って来てくれない?」 とばかりに、牽引させたのではないかと予想します。

 

どうせなら、10000系高速貨物を牽かせてみたいなと思いました。当時としてはEF65FやEF66の独壇場だった10000系貨車牽引ですが、 “高速旅客機” という意味合いで、D52よりも似合っているかもしれませんね・・・。

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ファン No.400 (交友社 刊)