今日は、工事の進捗状況が気になっていた阪神高速道路の淀川左岸線(2期)本線工事の様子を見に行ってきました。
阪神淀川駅で下車しました。
画像下部の廃線跡は淀川橋梁架け替え前の旧阪神本線の軌道跡です。
2016年3月に撮影した阪神本線淀川橋梁です。
阪神本線淀川駅(大阪市福島区)に保存されている1968年に撤去された旧橋梁の一部である「本線新淀川旧橋梁鋼溝桁沓部分」です。
2016年3月に撮影した淀川左岸線(2期)本線工事着手前の長柄運河跡です。
もう工事のために、この場所に立ち入ることができず、この上流の淀川小橋まで迂回路を通って移動しました。
国道2号線の淀川小橋から見た阪神本線淀川駅方面です。阪神高速道路の淀川左岸線(2期)本線工事の現状です。
2016年3月に撮影した工事着手前の同じ場所です。
淀川大橋と同じデザインの橋の欄干です。淀川大橋もそうですが、橋の竣工当初のデザインが維持されています。
(2023年12月30日追記:淀川小橋の欄干は撤去されました)
淀川大橋の南詰です。(2020年5月)
工事中のため車線の半分を規制中です。
2016年3月に撮影した改修工事開始前の淀川大橋南詰です。
淀川大橋南詰の橋飾塔です。これも竣工時のデザインが守られています。
淀川大橋に隣接する長柄運河跡の淀川小橋です。
こちらは放置状態なので今後が気になります。
(2023年12月30日追記:淀川小橋の欄干は撤去されました)
淀川小橋の上流の長柄運河跡の阪神高速道路の淀川左岸線(2期)本線工事の現場です。
第2期工事の事業区間は大阪市此花区高見1丁目から大阪市北区豊崎6丁目(新御堂筋)までの延長約4.3kmです、
同じ場所の工事着手前です。(2016年3月)
この淀川左岸線2期工事に伴い、たいへん風情があった長柄運河を渡る大正時代に架橋された古い歩道橋(複数ありました)は2019年に姿を消したそうです。
続いて淀川小橋の上り線側です。
2020年5月27日に確認したところ長柄小橋に残っている元阪神国道線の架線柱の2本は健在でした。
(2023年12月30日追記:淀川小橋の架線柱は撤去されました)
淀川大橋北詰付近の阪神国道線の架線柱です。(1970年5月)
たしか淀川大橋の部分の架線柱は1961年の第2室戸台風のときに大部分が倒壊し、建て直されたという記憶があります。
今なお電柱として役に立っている元阪神国道線の架線柱です。
(2023年12月30日追記:淀川小橋の架線柱は撤去されました)
阪神電車国道線などの軌道線の架線柱は他の目的の電柱を兼ねていたため、軌道線廃止後もそのまま残っているものがあります。
これは阪神本線甲子園駅の改修により消滅した甲子園駅東口前の元・架線柱と、高架下にあった甲子園線のプラットホーム跡を撮影した画像です。(1998年9月)
追加画像【阪神国道線を走った車両】
阪神国道線の、愛称「金魚鉢(71形・91形・201形)」電車です。(1970年・国道線野里)
兵庫県尼崎市の蓬川公園に保存されている阪神軌道線71形74号です。(2014年5月撮影)
兵庫県尼崎市の水明公園に保存されている阪神軌道線71形71号です。(2014年5月撮影)
阪神国道電軌1形(1970年・北大阪線中津)1970年
【追加画像はここまでです】
この後、阪神野田駅まで歩きました。
海老江で見た私道の舗装路です。これは路面電車の敷石を転用したもので、おそらく倉橋島産のピンク色の御影石(議院石)です。
福島区大開(おおひらき)にある旧松下電器産業(現・パナソニック)発祥の地を通りました。
野田阪神本通商店街です。松下幸之助氏のゆかりの地であることから「なにわの出世街道」になっています。
老舗の和菓子屋の長栄堂さんは健在でした。ところが、昔、阪神電車のフリーペーパーに掲載されたときに、それを見て、わざわざ行ったことがある「あかだま」というお好み焼き屋さんを見つけることができませんでした。もう店舗がなくなったのでしょうね。
昔のスーパー「シロ」(野田阪神のイオンの前身)があったところの近くです。
「シロ」の中にあったカメラ屋で旧ソ連製ボディの一眼レフカメラの「メプロゼニットE」を見た記憶が蘇ってきました。
野田駅に着きました。
(おしまい)