鉄道写真アーカイブ。1981年の近鉄撮影 | 鉄道とバスのブログ

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1981年に撮影した近鉄の写真をお見せしよう。

18400系。東寺。
1981年当時、京橿、京奈、吉野特急の一部は2両編成で運転されていた。
18400系はに1969年に奈良・京都・橿原線系の縮小車両限界に準拠する狭幅車として設計された。車体幅は2,670 mm、全長は20,640 mmと当時の施設で許容しうる限界ぎりぎりまで拡大が図られている。18400形にスナックコーナーが設置されていた。主に京都発着の特急で運転されていた。2000年廃車。


11400系。東寺


旧型特急車の置き換えによるサービス向上を目的として1963年に製造された。
混雑状況に合わせて自由に編成替をできるのが特徴だった。1996年廃車

18000系
1965年に製造された特急車両で旧形車両の台車、電装品等を流用し、車体を新造。
主に京奈、京橿特急で運転された。
1982年廃車。

3000系。丹波橋
1979年に省エネ対策に製造された電機子チョッパ制御車で、近鉄で初めてのステンレス車両である。


製造当時具体的な案件としてあった京都市交通局京都市営地下鉄烏丸線との直通運転に対応すべく、様々な試作要素を盛り込んでいた。地下鉄烏丸線乗入れについてはATCの車上装置を搭載しないなどの保安機器の仕様の相違などから実現しなかった。 

2012年廃車。


12200系。大久保
1969年から1976年に製造された
汎用特急車両で168両が製造された。
編成は2両固定、4両固定、6両固定編成があり、混雑具合に対応して2両編成から10両編成まで様々な編成で運転された。

12400系。大和西大寺
1977年に製造された汎用特急車両。 
12200系として新造されたが、

次期新型特急車両(30000系)の構想が割り込んだため、正面塗り分けや、屋上、インテリアなど随所で設計変更を実施した。このため、監督官庁より変更点が多過ぎるので形式称号の変更を行うように指導があり別形式となった経緯がある

竣功日は1977年12月21日で、12200系として届出されたが、翌22日付で形式称号変更届が提出されて12400系となった。このため、書類上12200系と名乗っていたのは1日だけであった


800系。 
1955年に製造された奈良線用車両。
車体は流線型で軽量設計された。
1992年廃車

18200系。大和西大寺

1966年に京都ㅡ伊勢間を直通運転開始に伴い、製造された特急

車両。

座席は転換クロスシートで利用者には不評であった。



18400系。大和西大寺。

820系。西ノ京
820系は奈良線用に1961年に製造された中型車両。
新造時から支線運転を考慮されていた。
主に生駒線で運転されていた。
1984年ㅡ1993年に形式を860系に形式変更して伊賀線に転出。2012年廃車


薬師寺の西塔と18400系。西ノ京

30000系。学園前。
1978年に製造された3代目のビスタカー。
当時の近鉄の看板列車は30000系で当時の子ども達の憧れの車両だった。

京都―難波間の特急で運転の11400系。学園前


1480系。鶴橋 
1961年に製造された大阪線用の通勤形車両。
1998年廃車。

10400系。松阪
旧形車両で運転されていた主要駅停車の乙特急のレベルアップのために1961年に製造された。
座席にシートラジオが取り付けられていた。
名古屋ㅡ伊勢間の名伊特急のみで運転されていた。
1992年廃車。

当時の近鉄特急の塗装が一番、良かった。 
今は廃車が進んで数を減らしている12200系が当時は南大阪、吉野線を除く全ての特急で運転されており、特急に乗車するとき、必ず12200系が来てうんざりしたが、今は乗車する特急が12200系だったらすごく嬉しい。