【鉄道模型】板谷峠の歴史05“EF64形直流電気機関車” | cavacho☆彡“きゃばちょこ”です。

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 緊急時代宣言は解除になりましたが、私はまだまだ出かける事は出来そうもありません。

 そこで本日も

「#家で過ごそう」【鉄道模型】CRW撮影シリーズを続けます。

 

「鉄道模型で振り返る板谷峠の歴史」の5回目

“EF64形直流電気機関車”です。

 

 1950年代~1960年代前半の板谷峠では、EF16が順調に回生運転を行っていましたが、同区間の輸送力強化の必要性から機関車の増強が計画されました。

 そのために板谷峠や電化が計画されていた中央東・西線の25~35‰程度の勾配線区用に新しい勾配線用新系列電気機関車を投入して、牽引定数の増強を図るという抜本的な輸送力増強対策を講じる事となりました。

 そこで誕生したのが、「EF64形直流電気機関車」です。

 

 1964年(昭和39)に試作車として、EF64 1,EF64 2の2輌が福島機関区に配属され板谷峠で各種性能試験を行い、それを基に量産車の設計が進められました。翌1965年(昭和40)9月末までに、量産車EF64 3~12の10輌投入され、試作機2両を加えた12輌で、EF16に変わり本格的な運用が開始されました。

 

 EF64は投入から安定した成績を示し、機関士にも検修掛からも大変評判の良い機関車となりました。これは、牽引能力が高められた事と自動進段や発電ブレーキの採用で故障しにくく運転しやすい機関車になっていたからによります。この時の板谷峠での成績の良さが、今でも活躍するEF64形の礎になったと言っても過言ではありません。

 

 EF64は順調に運行が進められましたが、投入時点から奥羽本線米沢~山形間が交流電化で工事が進められており、その完成の折には福島~米沢間も交流化が計画されておりました。そして1968年(昭和43)に交流化が実施されました。

 それに伴って板谷峠用の機関車も交流型のED78およびEF71が投入されることになりEF64は退役。板谷峠での活躍はわずか3年で終了。全機が稲沢第二機関区へ転出しました。

 

 今回のCRWでの運行は、昭和40年頃の板谷峠をイメージしたEF64牽引普通列車です。

 福島駅は交流電化されており、この頃もEF64の連結は「中川信号所」で行われていました。当時福島機関区は無煙化が完成しており、福島駅構内の入れ替えは郡山区のDD13によって行われていました。

 確信はないのですが、福島駅から中川信号所まではDD13が牽引したものと思われます。今回の動画はそのDD13牽引で再現いたしました。

 

 1、花見山麓S字をEF64牽引普通列車。

 CRWには、EF64 1~12福島機関区在籍の機番はないので中央本線で運行された罐で代走です。

 

 2、山中村を行くEF64牽引普通列車。

 5両の60系客車を軽快に牽引します。

 

 3、咲花駅(米沢駅)に到着したEF64牽引普通列車。

 EF64の牽引はここまで。米沢駅からはD51等の蒸機牽引になります。

 

 今回も手元に写真はないので、「とれいん増刊 グラフ板谷峠’83」から写真を紹介いたします。

(※37年前の雑誌ですが、著作権上問題があれば削除いたします。)

 

 4、板谷駅上りホームに停車中のEF64 2試運転列車。 1965年(昭和40)1月。 

 とれいん増刊 グラフ板谷峠’83より    写真 中島正樹

 

 5、板谷駅を発車するEF64試運転列車。今でもこのスノーシェッドは残っています。 

 とれいん増刊 グラフ板谷峠’83より    写真 中島正樹

 

 ※EF64形直流電機牽引の普通列車の動画です。福島駅から中川信号所まではDD13牽引です。

EF64牽引で庭坂・赤岩・板谷と停車。米沢駅を目指します。 6’13”

 

 

 次回は「EF64形直流電気機関車重連貨物列車」です。よろしくお願いいたします。