営業用車両と違って毎日仕事があるわけではなく、普段は車庫で白河夜船の高いびきで寝ていており、いつ仕事が舞い込むのか判らないから、走る姿はなかなかお目にかかれないのが 「事業用車両」 。JRになってからは少しだけ趣味的に市民権を得て、何処から情報を仕入れたのか、事前に情報をキャッチして行く先々でカメラの放列を浴びていますが、国鉄時代はゲテモノ扱いで研究対象にもならず、逆に色々と調べようものなら、変態視されたりしたそうです。

 

事業用車両も様々な種類があり、例えば事故が起きない限り (車庫の) 外に出ない救援車や、自走出来ない車両を車両基地へ送り届ける牽引車、車両の交換部品を車両工場から車両基地へ “配達” する配給車、架線や線路を検査する検測車辺りが代表例と言えます。そして社員、特に乗務員や検修要員の教育実習を目的とした車両に 「教習車」 というのがあります。これもなかなか営業線には姿を見せないので、中にはその存在すら知らない人も多いのではないでしょうか。

 

 

客車では数例あった教習車も、電車では戦後、新旧合わせて3形式3両しかありませんでした。画像はその代表 (?) 系列であるクモヤ92 (クモヤ92000) です。

電車教習車は、文字通り、電車乗務員が電車のメカニズムや動作の仕組み等を実車で教習を受ける際に乗る車両で、特徴的なメカニズムとして、普段は床下に組み込まれた主電動機や主制御器、圧縮器などの機器類を車内に据えて、走行させて動作を観察したり、模擬運転台でシミュレーション訓練を実施したりします。

 

クモヤ92000はその車体から、一目で種車がモハ72・73系であることが判ります。

昭和33年にモハ73055 (←モハ63134) を改造して登場しました。旧姓はモヤ4600でしたが、昭和34年の形式称号改正に伴って、クモヤ92000になりました。

モハ73系は通勤用車両なので、側面扉は4枚×2ありますが、改造にあたって中間の4枚を潰して窓にしました。また、片運転台だったのを後位側にも運転台を取り付けました。形式は 「クモヤ」 になりますので、自走は出来ます。

前述のように、本来は床下にある機器類を室内に移植しておりますが、前位側からから遮断器、主制御器、界磁弱接触器、電動発電機、空気圧縮器が設置されています。また、ブレーキなど車内に移設出来ない機器類については、その部分をガラス張りにして、動作を観察出来るようにしました。

前面窓上、前照灯横についている意味不明の文字は、教習の 「教」 という字で、旧字体なのか、第二水準漢字なのかは全く不明。

配置は武蔵小金井電車区 (西ムコ) なんですけど、通常は当時、国分寺にあった中央鉄道学園に常駐していました。昭和36年までは 「中央鉄道教習所」 、さらに遡ると鉄道省の 「東京鉄道教習所」 が前身になります。毎年10月に開かれる学園祭でこの車両を拝む機会が与えられていました。画像を見ると、人だかりが出来ているのが判るので、おそらく学園祭による学び舎開放の際に撮ったものなんでしょうね。

新性能電車が大半を占めて、旧型車両の数が少なくなった昭和53年2月に廃車されましたが、しばらくは解体されず残された模様です。

 

 

そしてこちら。

一見すると103系っぽい面構えなんですけど、これも教習車で、クヤ153と言います。

新性能電車用の教習車で大阪鉄道管理局内の職員教育用に使われました。

昭和50年に153系のサハシ153-11からの改造で、側面に種車の面影が残されています。

車内に種車の面影は全く無く、ビュッフェ設備は仕切りを除いて全て取っ払われて、テーブルと椅子が置かれた会議室を兼ねた講習室となりました。運転室背後にはスクリーンや模擬運転台も設置されています。また、交直流急行形電車が営業運転を行う際の動作や故障の状況を表示する教育用回路のパネルも置かれました。屋根上には研修用のパンタグラフが設置されていますが、モーターが無いので自走は出来ません。

向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) に配置されていましたが、東京と違って鉄道学園常駐というのはなく、またJRに引き継がれず、昭和61年に廃車されました。

 

この他に、名古屋鉄道管理局の教育用車両で、やはりサハシ153から改造されたクヤ165というのがありました。

廃車後もしばらく残って、飯田線中部天竜駅構内にあった佐久間レールパークに保存されましたが、後継となる 「リニア・鉄道館」 での展示対象から外れて、その場で解体されたそうです。あれだけはものすごく 「勿体ない・・」 と感じましたね。

 

今のJRでは、社員の教育ってどういう風にやっているんでしょうね。

座学だけではなかなか理解出来ない部分もあるでしょうに、でも、教習車は無いので、営業用車両を使って研修が行われてると思われます。103系や115系などを改造した 「訓練車」 というのがありましたが、あれはあくまでも 「異常時の取り扱いや車両故障時の応急措置などの訓練」 を行うための車両で、一から教育するための車両ではなかったはずです。

 

そうそう、中央鉄道学園で思い出した。

そういう学校があると信じ込み、学校案内とかで色々と調べたのですが、何処にもそんな学校は掲載されてなくて、中学の先生に問い合わせても 「そんな学校、聞いたことがない。鉄道学校っていったら、岩倉か昭鉄 (昭和鉄道) くらいだろ」 って言われる始末。後で分かったことですが、国鉄職員のための学校で、郵便局で言うなら 「郵政研修所」 と同じ扱いでした。

 

【2枚とも画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.866 (電気車研究会社 刊)

鉄道ファン No.230 (交友社 刊)